第百八十話「拡張された通路」
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遂に、通路の拡張が完了した。
全長二十キロ。鼠たちの働きによって、遂に。
10センチの穴でしかなかった通路が今は、俺が通れるほどに広げられている。通路の石壁はポッコによる補強済みで、崩落の心配もない。これなら往来に支障は出ないはずだ。
「マスター……」
背後からかすかな声が届いた。乞うような、いや、縋るような響きを帯びたその声に振り向けば、エージェがこちらを見上げていた。銀色の髪が揺れ、褐色の肌に淡い光が差す。
本当に、人間味が増してきたな。最初に出会った時の、あの無機質な応答が信じられないくらいだ。
「指示通りに頼む。この通路は偽装しておくから、ダンジョン側でも俺が出たらすぐ塞いでおいてくれ」
「……承知しました」
こくりと頷いたエージェは、そのままコアルームへと待機する体勢に入った。だが視線だけは、名残惜しそうに俺から外れない。
「しばらくダンジョンには戻れないかもしれない」
そう伝えた瞬間、エージェの眉がわずかに動いた。人形のように整った顔立ちが、ほんの少し歪む。
「……それは、事前に……」
「言ったよな。開通作業を始めたときから」
俺が苦笑すると、エージェは渋々といった様子で黙り込んだ。かなり、かなーり渋られた。だが仕方がない。ここで暮らすわけにはいかないのだから。
とはいえ、ダンジョン運営の権限はエージェに渡してあるし、念話のパスも繋げてある。遠隔での連絡は可能だ。ただ……。
「通路を出ると、やっぱり念話が届かないんだよな」
瘴気の影響なのかもしれない。通路の一部では、地上から瘴気がじわりと染み出している箇所もあった。そこは密閉処理を施してあるが、数が多すぎて完全とは言い難い。
通路を地表近くに設定したのは失敗だったか。だが、あの深度まで掘り下げてしまうと今度は別のリスクがある。結局、折衷案を取らざるを得なかったのだ。
「念話って仕組み、結局どうなってるんだろうな。電波みたいにアンテナでも立てりゃ届くもんなんだろうか」
携帯電話なら電波、不感地帯なら中継器やアンテナ。じゃあ、念話も“波”を媒介にしているとしたら、精霊術でどうにかできるのかもしれない。波の精霊と契約しているウルズ様なら、きっと詳しいに違いない。
……そもそも、波の魔法ってどうやって使うんだ?
もし波の魔素なんてものがあるなら、“波素”とか呼ばれてたりするのか? 残念ながら俺のステータスにはそれらしい項目はなかったが。
「いずれ出るのか……いや、最初から存在しないのか?」
小さく首を傾げる。『ダンジョン』アプリを開いても、載っているのはダンジョン関連のデータばかりだ。他の情報はまるで載せる気がないように、徹底して排除されていた。妙に偏っている、と言っていいだろう。
まあ、魔素の吸収率の引数だとか、細かすぎるくらいのデータはあったんだけどな……。
考え込んでいると、背後からまた声がした。
「……マスター」
「ん?」
「一刻も早い帰還を、心よりお待ち申し上げております」
そう言って、エージェは深々と頭を下げた。まるで古の城に仕える侍女のようなその所作は、どこか儚く、けれど妙に胸を打ってくる。普段は機械めいた声でやり取りしているせいか、こうしてしおらしくされると――うっかり本気で騎士のように誓いを立てそうになる。
「わかった。必ず帰ってくる」
思わず背筋を伸ばし、胸を張って答えていた。……いや、なんでだろうな。人に「いってらっしゃい」って言われるの、こんなに温かいものだったっけ。
――帰る場所があるって、悪くないもんだな。
「じゃ、行ってくる」
軽く手を上げて通路へと足を踏み出す。背後では、鼠たちがガチャガチャと道具を鳴らし、猫と追いかけっこをしている音が遠ざかっていった。その喧騒が妙に温かく、心地よい。
少なくとも、クェルや皆と合流して状況を確認したら、また戻ってくるつもりだ。このダンジョンでの日々は思った以上に悪くなかった。むしろ居心地の良さすら覚える。だが――。
ずっと引きこもっているわけにはいかない。
二十キロという距離は想像以上に長い。景色でもあれば退屈しのぎになるが、両脇に広がるのは、石と土ばかりの単調な風景。修行僧の荒行かと思うほどの無味乾燥ぶりだ。
時折、鼠たちが残した工事跡が見つかり、「安全第一」「急ぐな、焦るな、事故のもと」といった安全標語の看板が壁に立てかけられているのが、せめてもの変化だ。……いや誰が読むんだこれ。俺くらいだぞ。
そんな中、頭にちょこんとヘルメットを被った鼠たちが駆け回る姿を目にすると、思わず「お疲れさん」と声をかけたくなる。というか似合いすぎだろ。気づけば俺、マジで感心して頷いていた。
やがて通路の旅も終盤に差し掛かる。足元では相も変わらず鼠たちがせっせと働いていた。小さな体で土を削り、削った土を横道に運んではまた戻る。その律義さは、もはや作業用ロボットそのものだ。
「……お前ら、ほんとに休まないんだな」
ふと漏らした独り言に、頭上からアイレの笑い声が落ちてきた。
『当たり前ですわ。彼らは自分の役割を理解して行動しているのですもの』
そこへ、シュネが水滴のようにぷるんと揺れ、のんびりした声で付け加える。
『うん、でも……ちょっとー……せっかちなくらい、がんばってますねー』
壁に半分潜り込んでいるポッコはというと、こくりと小さく頷くだけ。だが彼が頷いた時点で、それは「満場一致」ということなのだろう。
それにしても、二十キロの通路は本当に骨が折れる。広げたといってもまだ狭く、足元はでこぼこ。全力疾走なんて夢のまた夢で、慎重に一歩ずつ進むしかない。……おかげで、行軍というより「延々と続く足ツボマッサージ」を受けている気分だ。
それでも出口が近いとわかるだけで、自然と胸の鼓動は速まっていく。
外には、クェルがいるはずだ。別れてから、もう半年近く。あの、うるさいほど明るい声がまた耳に戻ってくるのだろうか。そう思うだけで、妙に喉が渇いた。
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