第十八話「言葉の壁」
言葉が通じないなら、身振り手振りで伝えるしかない。
俺は両手を広げて、敵意がないことを示した。
「俺は敵じゃない。襲うつもりもない」
もちろん、言葉が通じない以上、これをそのまま理解してもらえるわけじゃない。
でも、俺が武器を持っていないことや、攻撃の意思がないことは伝わったのかもしれない。
男性が近づいてきて、俺の全身をじろじろと観察する。
「……?」
肩や腕を触られた。何か危険なものを持っていないかを確認しているのかと思ったが、それよりも体つきを確かめているような感じだ。
戦士かどうかを見ているのか? それとも健康状態を確かめているのか?
とにかく、彼らは敵意を持っていないらしい。
男性が手招きし、俺は焚き火のそばに座ることを許された。彼の脇に短剣のようなものが見えてしまい、一瞬動きを止めそうになるが、気にしないように努めて座る。
そこで、金属製の器に入った白湯を手渡された。
「……ありがとう」
たとえ言葉が通じなくても、感謝は伝えるべきだろう。
器を口元に持っていき、ゆっくりと白湯を飲む。温かさが胃に染み渡る。
「……」
そして次には、肩に何か大きな布をかけられた。
少しごわごわした、大きなバスタオルのようなブランケットだった。
その親切さに、心が温まる。
男性は何か話しかけながら、俺の肩をぽんぽんと軽く叩いた。
表情や声色からして、苦労したんだな、とでも言いたげだ。
対照的に、女性のほうは警戒しているのか、馬車の上から降りてこない。
ちらちらと周囲を見回している様子から、俺に仲間がいるのではないかと警戒しているのかもしれない。
この夫婦は、慎重かつ親切な性格らしい。
改めて、二人の姿を観察する。
男性は茶色い髪で、中肉中背。目も茶色で、肌は日焼けしているのか色黒気味。顔立ちは彫りが深く、西洋人のような雰囲気だ。
女性も茶色い髪で、目は男性よりも薄い茶色。肌の色は同じで、ややふくよかな体型をしている。
年齢は二人とも、二十代半ばから三十代くらいだろうか?
とはいえ、他の世界の人間だから俺の感覚が間違っている可能性もある。
それに、二人はあまり似ていないから、多分夫婦なのだろう。
そして気づく。
「……二人とも、でかいな」
俺と比べて、頭一つ分は身長が違う。
この世界の人間は、全体的に大きいのだろうか?
日本人は世界的に見て小柄なほうだが、こっちの人間はオランダ人並みに長身が当たり前だったりするのかもしれない。
二人は俺のほうをちらちら見ては会話している。俺の処遇について話している雰囲気だ。
その後どんな話し合いが行われたのか、俺は彼らの馬車に乗せてもらい、一緒に移動することになった。
夫婦が休んでいたのはどうやら街道の脇だったようで、よく見れば轍の道がずっと続いていた。
「……結構、揺れるな」
馬車はなかなかの振動で、尻に響く。長時間乗っていると、確実に痛くなりそうだ。
道は舗装されているわけでもなく、ただ轍が続いているだけ。時折打ち捨てられた木材などがあったり、何かが書かれた道しるべがあったりしたが、それが読めるわけでもない。ただ、それらは確かに人工物だった。
最初はそんな景色を眺めていたが、やがて慣れると暇になってくる。
夫婦は交互に御者を交代しながら進んでいる。
俺も馬車の操縦をやってみたいが、言葉が通じない以上、まずは言語習得が最優先だろう。
時折、奥さん――たぶん名前はイテルさん――が歌を口ずさんでいた。
「……いいメロディーだな」
独特の旋律で、異国情緒がありつつも耳に心地よい。もちろん、歌詞の意味はさっぱりわからないが。
馬車に揺られながら、また色々と考える。
転移前の記憶はまだまだ戻っていない。
ハタノの顔もそうだが、自分のパーソナルデータすら曖昧なのだ。
家族はいたのか?
どんな幼少期を過ごしたのか?
どんな学校へ行き、誰と出会って、誰と過ごしたのか?
仕事帰りには何をしていた?
……思い出せない。
まるで、靄がかかったように、全てが朧気だ。
考えれば考えるほど、不安になる。
「俺は、どんな人間だったんだ……?」
翌朝。
馬車の揺れに身を任せながら、俺は半ばまどろんでいた。
そんなとき、肩を叩かれる。
「……ん?」
眠気をこすりながら顔を上げると、旦那さん──たぶん名前はリームさんだったか──が笑顔で前方を指さしていた。
「ヴィリピ、ミネラ」
俺もそちらに視線を向ける。
遠くに、いくつもの煙が上がっているのが見えた。
村がある……!
周囲は、見渡す限りの広い麦畑。その中央に、柵で囲まれた村があった。
これが、「ミネラ」という村なのだろうか。
──ついに、人間の社会に足を踏み入れるときが来たのか。
俺は、期待と不安が入り混じった気持ちで、村を見つめるのだった。
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