第百七十八話「手紙の返事」
『そういえば、私も外に出られるはずですわ』
アイレの言葉に、一瞬俺は呆ける。通路が開いたのは、たった十センチの幅しかない、鼠が這い出られるような細さの穴だった。
「確かに、アイレなら出られるのか……」
すっかり忘れていた。アイレ達ならば体は自在に変化させることができる。というより、魔素で構成されている体だから、なんでもありなのだ。
『ええ。そうすれば私がカエリとも直接話すことができますわ』
「……そうだった」
それならば二股鼠に手紙を持たせたが、ぶっちゃけ必要なかったのでは……?
通路が完成した時点でカエリとも連絡もとれたはず。
色々と考えていたはずなのに、すっかりその頭から抜け落ちていたことに落ち込む。
『申し訳ありません。主は気づいているのだとばかり』
『仕方ないですー』
『ん。気づけただけでもえらい』
俺はすぐにアイレに外に出てもらってみた。
『少々窮屈でしたけれど、問題なく抜け出せましたわ』
ものの十分ほどで戻ってきたアイレは、どこか誇らしげに言った。外に出てカエリと問題なく連絡はとれたようだ。精霊同士であれば距離があってもやり取りできる。アイレが外の空気に触れるだけで、こちらの世界と向こうを繋ぐ糸が張られるのだ。
その結果、わかったことは大きい。まず――カエリも無事。クェルも無事。リームさんはダッジたちと一緒にヴァイファブールに帰還済み。俺の失踪で大騒ぎになっているかと思いきや、ビサワでの会議が少し予定より長引いただけで、事態は収束していたらしい。
そして、クェルは俺の捜索にあたっていたとのことだった。俺が行方不明になったと知り、じっとしていられなかったのだろう。彼女らしいといえば、らしい。
「俺の無事を、ちゃんと伝えてほしい」
俺はそう頼んだ。待たせていることへの申し訳なさと、安心させたい気持ちが入り混じっていた。
以前送り出した二股の鼠も、ようやく役目を果たしたらしい。アイレとカエリが連絡を取り合ってから一週間ほどして、ようやくクェルのもとにたどり着き、手紙を渡したのだとか。
その返事には、こう書かれていた。
『このままビサワにいるから、ダンジョンから出てこれるようになったら教えてよね。迎えに行くから』
……笑ってしまった。いかにもクェルらしい短い言葉。でも、笑ったあと、少し泣けてしまった。俺を待ってくれている人がいる――その事実が胸に突き刺さったから。
それから、アイレとカエリの間で情報交換を続けてもらった。おかげで、こちらと向こうの状況をある程度把握することができた。どうやら俺が消えたからといって、大きな混乱は起きていないらしい。
ただ一つ気になる話があった。クェルのもとに、ウルズ様の使いのヘクトルが現れたらしい。俺と一緒にいないかと探していたのだという。その場で俺が行方不明になっていることをクェルも聞かされた。もちろんヘクトルはそれ以上何も教えてくれなかったらしい。そりゃそうだ。ウルズ様だって、俺が突然消えた理由を知らないのだから。
その後、クェルは独自に冒険者として依頼をこなしながら、俺の行方を追っていた。カエリもずっと一緒に行動してくれているらしく、二人は「仲良くなった」らしい。――抽象的すぎて逆に不安になる表現だが。何をどう仲良くなったのか、細かいところまでは教えてもらえなかった。
それから、俺はハルガイトの動向についても尋ねた。どうやら、ヴァイファブールで目撃されたのは確かだそうだ。さらに、クェルはヘクトルとの会話の中で、ハルガイトが例の首長会議に出席していたことを知ったらしい。
……なぜ、あの男が会議に?
クェルは、「ダンジョン研究家として有名だから、スタンピードや瘴気の問題について助言を求められたのでは」と考えているらしい。普通なら、確かにそうだ。理屈は通っている。だが、俺にはわかっている。あの男こそが原因だ。スタンピードを引き起こしたのも、瘴気をばら撒いたのも、全部あの男が元凶だということを。
もちろん、クェルには伝えていない。伝えること自体は簡単だ。だが、彼女の性格からすれば、聞いた瞬間に行動を起こしてしまうだろう。場合によっては告発しようとするかもしれないし、それどころか倒そうとするかもしれない。
俺はそれだけは避けたかった。相手はハルガイトだ。伊達に金級冒険者の称号を得ているわけじゃない。魔道具やアーティファクトを駆使する戦い方の厄介さは、俺自身が嫌というほど味わった。あれ以外にも、きっとまだ奥の手はいくつも隠し持っているはずだ。信頼していないわけではないが、そんなものにクェルが初見で対応しきれるとは限らない。
危険を冒させたくなかった。だから俺は、沈黙を選んだ。
……ただ、クェルは薄々気づいているのかもしれない。俺があえて言葉を濁すときの顔を、あいつは見逃さない女だ。けれども、何も問わず、ただ「待つ」とだけ言ってくれるのも、またクェルらしいのだ。
だからこそ、俺は必ず帰らなければならない。
ハルガイトにこのダンジョンに落とされてから、もう三か月が経過していた。
最初はただ生き延びるだけで必死だったが、いまは違う。俺はエージェと、そして精霊たちと共に動いている。ここから脱出するために。通路の拡張は順調に進み、すでに全長は十二キロを超えた。鼠たちを労働力にした結果、俺が最初に予想していたよりもはるかに速いペースで進んでいる。さらに出口側からも同時に掘り進める形をとっているので、折り返してからは一気にスピードが増した。このままいけば、あと一か月もかからずに出口と繋がるだろう。
外に出るための偽装工作も同時に進めている。出口は池の中に沈める形で造られた。ポッコとシュネが力を合わせ、地形を変形させて水を引き込み、池の底に広がる小空間へ通じるようにしてくれたのだ。出口を潜れば水中に出るが、空気の層を残してあるため窒息の心配はない。そして池の水を抜ければ、そのまま外界へ――。
俺自身はまだその現場を見ていない。すべては精霊たちからの報告と指示で進めてきたことだ。だが信頼はしている。あいつらが「できる」と言ったなら、必ず形にしてくれるからだ。
俺が担っているのは、地表部の瘴気の浄化。それに併せて魔物の駆除だ。
これは検証も兼ねている。
これは俺にしかできない仕事だった。精霊たちは瘴気に弱い。生み出した魔物も瘴気に侵されて制御を外れてしまう。エージェは言うまでもなく戦闘向きではない。だからこそ、俺が前に立つしかなかった。
浄化魔法を扱えれば、この環境は大きく改善できると思った。だからエージェに光魔法の詠唱を教えてみたのだが――結果は駄目だった。彼女には適性がなかったのだ。代わりに彼女が持っていたのは土の適性で、それがダンジョンとの相性の良さにも繋がっているようだ。光の力が扱えないのは惜しいが、これは仕方がないことだろう。
もともとのダンジョン入口を少し改装して少し広めの広間にした。瘴気の満ちる外と中を遮る扉をあえて少し開けてそこから入り込んでくる瘴気を浄化するのと同時に、入り込んできた魔物を駆除する。
広間は二重構造で、広間にはもうひとつダンジョンに続く扉を設置してある。その入り口の扉は小さく、その先の通路も俺一人が通れるだけの細さにしてある。何かあればダンジョンに逃げ込めるように。
というのも、魔物はかなり大型のものもいることが判明している。
今まで遭遇した魔物で最大の大きさのものは推定10メートル。蛇のような体に、そこから伸びる複数の頭。しかしその複数の頭はどこか人間の手のような造形の先から伸びていた。両手の掌を広げた花のような構造。相も変わらず生理的嫌悪感を催す造形だった。
もしかしたら……ではなく確実にいるだろう。もっと大型の魔物が。
「……やっぱりダメか」
『また壊されておりますわね』
魔素を蓄積できる魔鉱に浄化の魔法を籠めることができるとわかって、エージェの協力を得て魔道具を作ってみたのだが見事に壊されていた。
起動させると淡い光が放たれ、ゆるやかに瘴気が晴れていく効果の魔道具。理想的に見えた。……はじめは。
だが、その魔道具を地表に置いてみると──一瞬で壊された。魔物に。
どうやら奴らは、浄化の光に異常なほど敏感らしい。瘴気を消すものを敵とみなし、即座に襲いかかってきたのだ。しかも、その魔道具は弱い浄化しか持たない。強い個体ならば、耐えながらあっさり破壊してしまう。
広間に設置してみても結果は同じだった。浄化の光に怯むのは確かだ。だが、それを恐れるがゆえに岩を投げつけて壊してきたり、土をかけて埋めたりする。
「あいつら、知恵まで回るのかよ……」
魔物だからといって侮れない。状況を観察し、最も効率的に対処してくるあたり、厄介極まりない。
頑丈にした魔道具ももちろん試した。結果は、土砂で覆われ、光を遮断される。俺は歯噛みした。自動で瘴気を浄化させるのは無理だと判断せざるを得ない。
もっと大量に魔道具を投入し、魔物を近づけさせないようにできれば別かもしれない。だが、現状の戦力や資源では到底不可能だった。
「……やっぱり、時間が必要だな」
俺はため息をつき、魔道具の残骸を拾い上げるのだった。
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