第百七十六話「突破口」
ダンジョンの基本設定である出入口の数の設定項目を探し出し、その変更を行った。
俺は額の汗を拭いながら、目の前に伸びる細い穴を見つめていた。
ひとまずは成功だ。
幅十センチほどの通路。そこを二十キロ先まで伸ばし、瘴気のない外に抜ける新たな出口を作り出したのだ。
もちろん俺が直接歩けるサイズではない。だが鼠程度なら難なく通れる。試しに生成した小さな鼠を送り込み、様子を確認させたところ、普通に地上に出ることができた。その場所なら瘴気の影響もない。胸を撫で下ろしたのも束の間だった。
「……やっぱり駄目か」
穴を通じても、カエリとの念話は繋がらなかった。まるで電波が遮断されるかのように。これでは、いくら出口を作っても俺の声は外へ届かない。
アイレが肩をすくめる。
『結界のようなものですわね。念話が通らないのなら、いっそ手紙でも持たせるしかありませんわ』
「手紙を……鼠に持たせて、か」
頭に浮かんだ光景は、あまりに滑稽だった。だが他に手はない。ヴァイファブールまで自力で辿り着くとなると、鼠の足でどれほどの月日がかかるのか……それでも、やらないよりはいい。
以前作った、二股の尻尾を持つ、特別に頭のいい鼠を呼び出した。俺が差し出した紙切れを、鼠は胸を張るように抱え、ポンと胸を叩いた。任せろ、とでも言いたげな仕草に笑みが漏れる。
対照的に、仲の悪かった二股猫の魔物は寂しげに見送っていた。だがプイッと顔をそらし、「気にしてない」と言わんばかりに強がっている。その姿はどこか人間臭くて、胸の奥がじんわりと温かくなった。
「……頼んだぞ」
俺は鼠の背を軽く叩き、通路の暗がりに送り出した。小さな足音が遠ざかり、やがて聞こえなくなる。
俺は再び考えを切り替えた。脱出の方法は、まだ他にも探れるはずだ。
エージェが以前、俺に語っていた言葉が脳裏によみがえる。
――ダンジョンの規模を大きくすれば、瘴気の範囲を超えて外と接続できる可能性もある。
確かに、ダンジョン自体を横に広げれば出口も作れるかもしれない。だがそれには莫大な魔力が必要だ。
魔力自体はいくらでも補充できるが、色んな意味でエージェがどうなってしまうのか……俺はそれが不安でその方法はとりたくはなかった。
三日ほど思考を巡らせた末、俺が導き出した答えは……まったく別の方法だった。
「手掘り、ですか」
「ああ、なかなかいい案だろ?」
ダンジョンの端、外界へ最も近い突端から、十センチの通路を延ばす。そしてそこに鼠たちを放つ。あとはひたすら穴を拡張して土を掻き出させ、外へ向かって掘り進ませる。いわば人海戦術ならぬ鼠海戦術だ。
本来、ダンジョンの通路は一時的に破壊できても、すぐに自己修復してしまうらしい。通常なら冒険者にとっても、ダンジョンにとってもメリットしかない機能だ。だが今の俺には障害でしかない。
「ならば、その機能を止めればいい」
俺には、この迷宮の全設定にアクセスできる権限がある。一部区画だけ修復を止められないか、設定を探し、検証し、実行に移すまで二週間。長い時間を費やしたが、その成果は目に見えていた。
目の前で、鼠たちがせっせと土を掻き出していく。あっという間に通路が広がっていく光景に、胸の奥が熱くなる。これは……本当にいけるかもしれない。
ちなみに通路拡張作業員として採用したのは鼠だけだった。魔物生成のコストが安価で済むからだ。虫の方がさらに安上がりではあったが、群れる虫の見た目がどうしても受け付けなかった。生活を共にする以上、視覚的ストレスは軽視できない。
鼠たちの形状も様々に設計した。大きな個体は頑丈な爪を備え、掘削に特化させる。掘り出した土や石を運ぶのは、背中の広い短足型。仕上げの細かい部分は、小型の俊敏な個体に任せた。
「ポッコ、壁の補強を頼む」
『ん』
無口な土の精霊は、黙って頷き、力を注ぎ込んでいく。実は最初、ポッコならば簡単に通路の拡張ができると思ってやってみてもらったのだが、できなかった。いくら自己修復機能を切ってあってもダンジョンの魔力に阻まれて、壁や床そのものに力を通すのは難しかったのだ。だからこそ、彼の役目は崩落防止の補強や現場監督に回している。
『順調、ですわね』
アイレが横で腕を組み、満足げに頷く。
『はやく、外に、出たいですー』と、シュネもぼやいた。少し間延びした声だが、意外とせっかちなのは知っている。
進捗は一日で数メートル。幅一メートル、高さ一・五メートルほどの通路に広げていくには時間がかかる。だが作業員――鼠は逐次増員している。これからはもっと速度が上がるはずだ。
俺はその様子を見届けて、深く息を吐いた。任せられることは任せて、俺は俺にしかできないことを探しに戻らねばならない。
コアルームにて、ふと思い出してスマホを取り出し、自身のステータスを確認してみた。画面に浮かぶ数値を見て、思わず息を呑む。
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魔素との同期:39.9%
風素との同期:39.9%
火素との同期:25.5%
水素との同期:39.9%
土素との同期:39.9%
光素との同期:30.9%
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「……おい、全部39.9%で止まってるじゃないか」
ぴたりと揃った数値は、美しくも不気味だ。同期マークが横に表示されているのに、それ以上は上がらないらしい。
魔素はこのダンジョンに入ってからいつの間にか上がっていた。
火素、光素についてはカエリもリラも離れた場所にいるから仕方ない。
「アイレ、これ……」
『……妙ですわね。主の力なら、自然に四十を超えてもおかしくはないはずですのに』
「うん、俺もそう思う。なんか理由があるんだろうか」
『同期の上限が……いえ、まだ段階があるのかもしれませんわ』
「段階……」
シュネがふわりと姿を現し、俺の肩に乗りながら水のような声で言った。
『……うーん、なんでしょうねー……? 一定まで満ちると、次の層がひらく、とかー?』
「なるほど……ロックがかかってるってことか」
真偽はわからないが、確かにそう考えるとしっくりくる。おそらく何かの条件を満たさないと、この壁を突破できないのだろう。
「ポッコはどう思う?」
呼びかけると、影の中からぼそりと声が返る。
『……わからない』
「……だよな」
答えはシンプルだ。俺だって、わからないものはわからない。ただ、この停滞には確実に意味がある。そう直感する。
魔素も、火も、水も、風も、土も、光も――全部が揃って同じ値で止まるなんて偶然ではないはずだ。これは何かを示している。だが、それがなんなのかはまだ掴めない。
「残念だけど、今の俺には理由を突き止められそうにないな……。ひとまずスワップ機能で全部の値をこの上限にするようにしとくか」
自動スワップ設定を火素と光素に設定し、上がるようにしておく。
スマホを閉じ、深く息を吐いた。謎は残ったままだが、エージェとのやりとりで少なくともダンジョン拡張の一歩は踏み出せた。それは間違いない。
「……次に進むために、今はできることを積み重ねるしかないか」
呟いた俺に、アイレが小さく頷いた気配を寄せる。
『そうですわ、主。急がずとも、答えは必ず見つかりますわ』
「ああ。そう信じておこう」
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