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第百七十五話「脱出方法」

 でもなあ……脱出をどうすればいいのか。そろそろ本気で考えないとまずい。

 ダンジョンの調査は無駄じゃなかった。瘴気の正体も、ダンジョンそのものの役割も、だいぶ掴めた。だが――肝心の脱出方法に結びつかない。


 カエリやクェルの顔が脳裏をよぎる。あの二人からすれば、俺は「なに悠長に遊んでるんだ!」と怒鳴られるに違いない。必死で待っているだろうに、こっちは遊んでたように見えたら……そりゃ怒られても仕方ない。まあ実際楽しいのは確かだから、そういわれても何も言い返せないが……。


「かといって、なあ……」


 ため息混じりに声を漏らす。

 浄化魔法を使えば瘴気の中を進めなくはないが、その分魔物が気配を察して集まってくる。瘴気の魔物はエージェの支配下じゃない。つまり正面からぶつかれば、確実に袋叩きに遭う。真正面突破は愚策だ。


 腕を組み、唸る。頭の中で何度もシミュレーションを繰り返す。

 やがて、ぽつりとひとつの考えが口から零れた。


「……別の場所に入口をもうひとつ作れたら、いけるか?」


 その場に控えていたエージェが、首をわずかに傾げる。光を帯びた瞳が、一瞬だけ淡く瞬いた。

 そして無機質な声で答える。


「原則できません。当ダンジョンの入口は基本的に一つ。それがこのダンジョンの基本設定です」

「基本設定……なるほどな」


 顎に手を当て、考え込む。確かに入口が二つも三つもあったら、冒険者だって混乱するだろうし、管理する側だってややこしい。筋は通っている。

 だがふと、別の疑問が浮かんだ。


「ん? でもこのダンジョンのって言ったな。他のダンジョンには入口が二つ以上あるやつも存在するってことか?」

「はい。あくまでも、このダンジョン固有の設定が“ひとつ”というだけです」

「ふむ……。ってことは、やっぱり今のままじゃ無理か」


 しょんぼりしかけたその時、エージェが小さく瞬き――ためらうように、だがはっきりと続けた。


「……ですが、マスターならば可能です」

「俺なら?」

「はい。マスターはダンジョンの設定値そのものを変更できます。入口の数は通常、生成時に固定され、変更は不可能ですが……このダンジョンのあらゆる情報にアクセスできるマスターであれば、根幹の設定も操作できるはずです」

「……なるほど」


 胸の奥に、じわりと熱が広がった。確かにそれなら可能性がある。基礎データの深層に潜り込めば、通路を瘴気の薄い場所まで伸ばし、そこに新しい入口を作れる――理屈の上では、脱出が可能になる。


「通路を掘って、瘴気の少ない領域まで繋げて、そこに入口を追加……それで外に出られるわけか」

「はい。その認識で間違いありません」

「よし……!」


 拳を握り、胸が高鳴る。ようやく光明が見えた。すぐにでも基礎設定を探りにいこうと身を乗り出した、その時だった。


「マスター。その前に、魔力の補充をお願いします」

「ええぇ……今か?」


 思わず情けない声が出る。

 しかしエージェは表情を変えないまま、ぴたりと近寄ってくる。瞳の奥だけが、わずかに強い光を宿していた。


「はい。マスターが一度集中に入ってしまいますと、補充作業は困難になります。ですから、今のうちに」


 確かに、と俺は頷いた。自分の悪癖は自覚している。集中し始めれば、空腹も眠気も忘れるほど没頭してしまうのだ。しかも今は肉体の制限も薄れているから、余計に歯止めがきかない。


「ちなみに、今の魔力量はどれくらい残ってる?」

「3801DCです」

「……あー、確かにちょっと心もとないな」


 エージェは、瘴気爆発で損壊した通路や広場を修復し続けている。そのための燃料はすべて魔力。これが尽きれば修復も不可能だ。

 肩を落として小さく息を吐く。


「仕方ない、やるか」

「お願いします」


 その瞬間、エージェが一歩、ズイッと踏み出した。

 無表情のままなのに、妙に前のめりな雰囲気が伝わってくる。無機質な仮面の奥から、「待ってました」と言わんばかりの熱意が透けて見えるようで、俺は思わず苦笑した。


「……お前、そういうときだけやたら積極的だよな」


 小さく呟くと、エージェはわずかに首を傾げ――その仕草すら、俺には「図星です」と返されたように感じられたのだった。


「……じゃあ、やるか」

「お願いします」


 俺は息を吸い、彼女に近づく。無機質に見える彼女の表情は微動だにしないが、どこか待っているようにも感じられた。

 掌をエージェの胸のコアに重ね、意識を集中させる。次の瞬間、魔力の流れが俺から彼女へと走り込む。抵抗感はなく、むしろ吸い上げられるようだ。エージェの唇がわずかに震え、吐息が漏れた。


「……っ、は……ぁ……」


 相変わらず、目に毒だ。褐色の肌がほんのり赤みを帯び、身体が震えているのが伝わってくる。


 おいおい、これは完全に誤解されるやつだろ……。


 俺がマスターであり、エージェは俺に従う存在だ。彼女の扱いを決めるのは俺であるはずだが――どうしても踏み込んではいけない線を意識してしまう。これは違う。絶対に違うんだ。俺はぐっと目を閉じて心を無にし、ひたすら魔力を流し続けた。

 不思議なことに、魔力の制御は思った以上に繊細さを求められる。量を急激に増やせば彼女の反応は乱れ、逆に少なすぎると吸収が途切れる。その均衡を保つことに神経を尖らせるうちに、これはこれで鍛錬の一種ではないかと思えてきた。


「……ふぅ」


 やがて、俺は手を離す。エージェはわずかに肩を上下させた後、また感情を閉ざしたような顔に戻っていた。


「魔力、確認しました。現在の魔力量は10560DCです」

「……そうか」


 どっと疲労感が押し寄せてくる。精神を研ぎ澄ませて流したせいか、体力的な疲れ以上に頭がぼんやりする。それでも、やるべきことはやったという実感があった。


 魔力の補充を済ませ、エージェの艶めかしい吐息と甘い声に散々悩まされて、ようやく一息ついた。頬に残る熱がなかなか引かない。そんな中でふと、別の疑問が頭をよぎる。


「なあ、ちなみにさ。その通路って、どれくらいの長さまで可能なんだ? 範囲の制限とかあるのか?」


 問いかけると、エージェはすっと瞳を閉じ、内側に意識を沈めるような間を置いてから答えた。


「当ダンジョンの現在の規模ですと、高さ・幅ともに二メートルの通路で……凡そ一キロメートルが限度です」

「……一キロか」


 数字を聞いた瞬間、思わず顔をしかめる。長いように思える距離だが、瘴気の広がりを思い浮かべれば、あまりに心許ない。


「ちなみに、瘴気を避けるのにどれくらい距離が必要なんだ?」

「現在も膨張を続けておりますので正確な計測は困難ですが……。当ダンジョンの中心部より、おおよそ半径二十キロメートルの範囲となります」

「……全然足りないな」


 息が詰まる。数字に直すと、その規模がどれほど絶望的かがよくわかる。直径四十キロ。まるで街を丸ごと呑み込む黒い海だ。俺たちはその中心にいる。

 頭をかきむしりたくなるが、そこで諦めるわけにはいかない。


「なあ、通路をもっと伸ばす方法ってないのか?」


 するとエージェは、迷いのない声音で答えを返す。


「はい。方法は二つございます。ひとつは当ダンジョンの規模そのものを拡大すること。もう一つは、通路の太さを細くする方法です」

「……なるほどな。ダンジョンを育てるか、通路を細くするか、か」


 理屈はわかる。ダンジョンの器が大きくなれば、その内部に確保できる通路の長さも比例して伸びる。だが、それには膨大な魔力と時間が必要だろう。現実的ではない。


「じゃあ例えば……高さ一・五メートル、幅一メートルくらいに細くしたら、どれくらい伸ばせる?」

「その場合、凡そ二・五キロメートルです、マスター」

「……二倍以上か。けど、まだ全然足りないな」


 腕を組み、低く唸る。二十キロに比べれば焼け石に水。高さを一メートルにまで削れば三キロほどにはなるが、それでも瘴気の海を突破するには到底届かない。

 しかも、通路が細すぎれば人が通れなくなる。実用性を考えると、限界があるのは明らかだった。


「現状で二十キロ以上の通路を伸ばすなら……どれくらいの細さが必要だ?」


 わずかな期待を込めて尋ねると、エージェはいつもの抑揚のない声で告げた。


「0.1メートル幅の通路であれば、二十キロメートル以上の伸張が可能です」

「……0.1メートル? 十センチってことか?」


 思わず聞き返す。エージェは静かに頷いた。


「十センチ幅では、人間が通行することは不可能です」

「そりゃそうだよな……鼠くらいしか通れない」


 俺は苦笑しながらも、妙な光景を想像してしまう。瘴気を貫く極細の通路を、鼠たちがちょろちょろと行き来している姿。そこに小さな荷物を背負わせて、伝令のように走らせる――。


「いや、何考えてんだ俺は」


 思わず自嘲気味に頭を振った。鼠のための通路では意味がない。俺が外に出るための道を作らねばならないのだ。


 けれど――。


「……別の使い道なら、あるのかもしれないな」


 十センチの通路は、確かに脱出には不向きだ。だが、物資や情報の運搬路としてなら……? 俺の脳裏に、可能性の芽が小さく灯った。

 とはいえ、いま優先すべきは脱出だ。現状では圧倒的に距離が足りない。どうにか打開策を見つけ出さなければ。


 俺は深く腕を組み、目を閉じ、唸るように吐息を漏らした。


「……さて、どうするか」


最後までお読みいただきありがとうございます!

あなたの貴重なお時間を物語に使っていただけたこと、とても嬉しく思っています。

ちょっとでも楽しんでいただけたなら、何よりです!


もし「いいな」と思っていただけたら、

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コメントも大歓迎です。今後の執筆の原動力になりますので、

どんな一言でも気軽に残していただけたら嬉しいです。


これからも【悠久の放浪者】をどうぞよろしくお願いします!

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