第百七十三話「無機質な輝きと職人の温もり」
ダンジョンの魔物以外の物体は、実際の鉱物や元素を周囲から集めて構成して生成している。
だから、周囲にそれらが無い場合は、生成はできない。
「炭素なんかは比較的土の中にもたくさんあるし、今までダンジョンが吸収したストックがあるから、ダイヤモンドなんかは作り放題だな」
軽く呟いてみると、エージェがすぐさま視線をこちらに向けた。
「マスター。実際に試してみますか?」
俺は思わず笑って肩をすくめる。
ダイヤモンドを「試す」なんて響き、地球では考えられなかった。
生成を指示すると、机の上に、ころんと透明な石が転がり落ちた。
光を受けて七色に反射し、きらめきを放つ。
「……うわ、マジで出てきた」
指先で摘み上げて、角度を変えて眺める。
その澄んだ輝きは、確かにダイヤモンドそのものだった。
「これ、価値どれくらいあるんだろ……」
地球でも人工ダイヤの技術は進んでいて、天然ものの価値は下がっていた。
この世界ではどうだ? もし珍重されるなら、俺は一夜にして大金持ちだ。
調子に乗って次は液体に挑戦した。炭化水素の構造を頭の中で繋ぎ合わせ、試験管をイメージしてそこに満たしていく。
とろり、とろり。透明な液体が小瓶に注がれていく様子に、俺は息を呑んだ。
「……おお、できた。これ、石油だよな」
鼻先に近づけてみると、かすかに鼻を突くような匂い。どこか懐かしい理科室の空気を思い出す。
さらに分子構造を組み合わせていき、今度は白く半透明な塊を生成。指でつつけば、固く弾力のある手触りが返ってきた。
「プラスチック、だな……」
呟きながら、ふっと苦笑いがこぼれた。
「プラスチックは作れたけど……。んー……どんな用途があるだろう?」
地球では生活の隅々にまで浸透していた素材だ。だが、この世界ではどうか?
便利さと同時に環境破壊を招いたあの問題が、胸をよぎる。
「それにプラスチックは、環境も破壊するからな……」
俺が呟くと、アイレがひらひらと舞い降りてきて肩に止まり、小さく首を傾げた。
『環境を壊す……?』
「うん。地球ではね、便利さの代償として海や土が汚れたんだ。だから……俺は、この世界に持ち込む気はない」
そう言い切ると、エージェがわずかに目を細める。
「ダンジョンで生み出されたものでしたら、ダンジョンで吸収もできますが」
「そうだな。でも、誰もがわざわざダンジョンに捨てに来てくれるとは限らない。絶対に回収できる保証なんて、作りようがないからな」
断言すると、エージェは静かに頷いた。
「そうですか。それならば、私からは特にありません」
俺は息を吐き、次の試みに移った。
剣や鎧といった装備品を再現できるか――結果は無惨だった。
「資材不足……?」
「はい。それらのリソースも、瘴気爆発の影響で失われております」
黒魔鉄の短剣、なんてデータを見つけたときには胸が躍ったのに。結果は「生成不可」。期待していただけに落胆が大きい。
「黒魔鉄って、鉄と何かの合金だと思ったんだが……違うのか」
額に手を当ててデータを追うが、理解が追いつかない。今は諦めるしかない。
気分を切り替え、普通の鋼の短剣を生成する。
空気が揺らぎ、光の粒が集まったかと思うと――あっという間に刃渡り二十センチほどの短剣が机の上に現れた。
柄は木製で、淡い光沢を帯びている。
「おおー、すごいな」
思わず声を上げ、短剣を手に取る。重さ、形、刃の輝き。どこを見ても完璧だった。
だが、その瞬間ふと違和感が胸を掠めた。
俺は腰に差していた、もともとの短剣を机に並べて置き、じっと見比べる。
「……なんというか、冷たいな」
性能は申し分ない。だがそこには、工場のラインを流れてきたような無機質さしかなかった。
手に吸い付くような感触、細部の丸み、握ったときの安心感。そうした「人の温もり」が、ここには存在しない。
「職人の技って、やっぱすごいんだな……」
思わず漏れた独り言に、空気がゆるりと揺らいだ。次の瞬間、ひやりとした冷気とともにシュネがすうっと姿を現す。
『ものを作るのって、ただ形にすればいいわけじゃないんですねー……』
彼女は頬に手をあて、とろんとした目で短剣を見つめた。けれど、その声色には珍しく少しばかり芯がある。
『だれかが心をこめて作ったぶん、そのものに思いが宿るのかもですー……』
淡い吐息のような言葉に、俺は思わずうなずいていた。
生成機能は万能に見えて、決して万能ではない。
データを指定すれば物は形になる。けれど――そこに込められる「心」までは、数字で置き換えられない。いや、もしかすると理論上は可能なのかもしれない。だが、それは気の遠くなるほど精緻なデータを積み重ねる作業になるだろう。
たとえば――刀鍛冶が何百回も鉄を打ち、火花を浴び、汗に濡れながら一振りを仕上げる時間。
その経験の積み重ねこそが、刃に宿る「何か」を生むのだ。
俺は短剣を持ち直し、光に透かす。
機能は十分だ。戦うには困らない。だが、胸の奥に拭えない冷えが残る。
「……ま、これはこれでいいか」
自分に言い聞かせるように呟き、机に短剣を置いた。
そこからは、ひたすら画面のデータと向き合う作業が続いた。
無機質な数値やグラフが次々と現れ、隣には迷宮で観測した実物の記録。両者を交互に見ていると、どちらが現実でどちらが仮想なのか、境界が曖昧になっていく。奇妙な浮遊感が背筋を撫でた。
三人の精霊たちは、それぞれの持ち場に散っていた。
遊んでいるのではない。彼女たちの役割は「監視」と「観測」だ。
ポッコは地表に近い浅層を巡回していた。
瘴気を遮断している場所がどう変化しているのか。彼は黙々と、まるで根を張る木のように気配を広げ、報告を寄越してくる。
シュネは魔物の挙動を観察中だった。普段はのんびりした口調の彼女だが、観察となれば驚くほどせっかちだ。
『今、右に三歩動きましたー』とか、『予定のルートから外れたですー!』などと、細かな変化を逐一報告してきて、俺を少し困らせる。だが、その正確さはありがたかった。
アイレはダンジョン全体を担当している。
風を操り、隅々まで探りながら、データとの差異を淡々と確認していた。肩に舞い降りては、耳元で冷静に囁く。
『西側の通路に微細なずれを感知しましたわ。おそらくは……』
彼女の真剣な声音に、俺は何度もうなずく。
俺にできるのは、それらの報告をまとめ、『ダンジョン』アプリのデータと突き合わせること。
変更を加えたときの挙動、実際に反映されるまでのラグ、魔物の行動がデータとどれだけ食い違うのか。見るべき点は山のようにあった。
エージェも傍らに立ち、機械仕掛けのように正確な返答を繰り返してくれる。
彼女はダンジョンコアに直結している存在だ。だからこそ、その観測は信頼できた。
俺はダンジョンの底で、今日もひたすらに――データを積み上げていくのだった。
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