第百七十一話「データと実験」
目を見開き、意識を深く沈めていく。まるで水面を割って潜水するように、俺は再びデータの海に没入した。
幾度目かの探索。けれど今回は――ふと、胸の奥を震わせる異変に気づく。
「……あれ?」
目の前に広がるのは、果てしない文字列の奔流。これまでならただの記号の羅列でしかなく、意味など読み取れるはずもなかった。
だが、今は違う。
「……わかるぞ……?」
頭の中に浮かぶのは、ただの文字ではない。意味を持った言葉として、数式として、理論として俺の意識へと流れ込んでくる。
「これは……組成式……? いや、素材の一覧か……?」
次々と脳裏に展開されていく情報。理解できる。その瞬間、胸の奥が熱を帯びた。
「……わかる……! わかるぞ……っ!」
声が震える。思わず拳を握りしめる。
俺の中の『言語習得スキル』が、ついにデータ言語の体系を読み解き始めたのだ。もちろん全てではない。まだ氷山の一角にすぎない。
だが、それでも十分すぎる進歩だった。
素材の生成式。配置の手順。魔力の流れ。
それらが、まるで料理のレシピのように並んで俺の意識に映し出される。
「すげぇ……」
熱中してデータの海を彷徨う。時間の感覚など、もうとうに霧散していた。
そして――。
「……こ、これは……」
目の前に現れたのは、メニュー表のように整然と並んだデータ群だった。
『ダンジョン』アプリに備わるテンプレート。あらかじめ組まれた“パッケージ”を呼び出すことで、簡易的にダンジョンを構築できる仕組み。
俺の眼前に広がっているのは、そのテンプレートの“中身”そのものだった。
「つまり……ダンジョンの設計図か」
思わず呟き、息をのむ。
俺のダンジョンは石と砂を基盤にしている。そのため使えるテンプレートは偏っているが、それでも膨大な種類と組み合わせがあった。
そして、今俺が触れているのはさらにその奥。石ひとつの構成要素。
「ケイ素、アルミニウム、鉄、カルシウム……割合までいじれるのか」
感嘆と共に口元が緩む。
データを読み解けば、ゼロからダンジョンを作ることすら可能。そんな設計情報が、ここには眠っている。
「ゼロから……ダンジョンを作る、だと……?」
背筋が粟立つ。情報量は膨大だ。人ひとりの一生で読み解けるものではない。
だが俺は、恐怖よりも興奮に呑まれていた。
「よし……試してみるか」
まずは、色。
俺は迷宮の壁を選択し、試しに灰色から茶色へと変更する。データを操作し、実行。
次の瞬間、目の前の岩壁がふっと色を変えた。
「……おおっ!」
思わず声を漏らし、手で壁を叩いてみる。感触は確かに岩。だが色は確かに土のような茶色。
「ここまではテンプレートでもできる。でも……これからだ」
俺は唇を吊り上げ、遊び半分で色を変え続けた。
赤。青。緑。パステルカラーまで――。
結果、視界に広がったのは、まるで遊園地のアトラクションのような色とりどりの岩壁だった。
「ははっ……悪趣味すぎるな」
笑いながらも、その変化が実際に可能だという事実に鳥肌が立つ。
ただし、透明化は無理だった。色を消去すると、濁った白の半透明風になってしまう。
それはそれで神秘的だったが、本物の透明感はなかった。
「……透明にするなら、水晶を生成すればいいか」
テンプレートにも存在する水晶。組成は二酸化ケイ素が主。そこに魔素を組み込むことも可能だという。
魔素を組み込んだ鉱石は『魔鉱』。用途は魔石に似ているが、消費しても鉱石自体は残り、再び魔素を充填すれば使える――いわば充電式の電池。
「なるほどな……普通の電池が魔石で、充電池が魔鉱ってわけか」
つぶやきながら、俺は腕を組んで頷く。
魔力の消費量も確認する。色を変える程度なら微々たるものだ。
「遊び感覚でいけるな。……これなら」
胸の奥がふつふつと沸き立つ。
消費するのはダンジョンに蓄積された魔力――つまり、先日エージェに与えた俺自身の魔力だ。
コンソールを開いて残量を確認する。
「……9800DC」
数値を見て口笛を鳴らす。単位は『DC』。正確な意味は不明だが、ダンジョンコスト、とでも解釈しておこう。
石をひとつ生成するのに1DC。大きさや組成次第でコストは変動し、操作ごとにもわずかなコストがかかる。
「0.0001DC……ほとんど誤差みたいなもんか」
意識を引き上げ、俺は深く息を吐いた。
「……よし、やってみるか」
実験の場に選んだのは、コアルームに隣接する広いボス部屋だった。
今は魔物もいない空間。高い天井と、だだっ広い石の床があるだけの、がらんとした部屋だ。
「ちょうどいい……ここなら少々やらかしても問題ないな」
スマホを手に、データを実行する。選択したのは床の一点。そこに指示を送り込んだ。
「まずは……小さな凹凸だ」
ぐらり、と足元の石床がわずかに盛り上がった。拳ひとつ分ほどの出っ張り。
「おおっ……!」
思わず身をかがめ、指先で触れる。ざらついた感触は確かに石。だが、つい先ほどまで平らだったはずの床が、今は小さな丘のように突き出している。
俺の興奮を見ていたエージェが、静かに首を傾げた。
「地形の改変、ですか?」
「そうだ。色々と試してみたいからな」
俺は笑みを浮かべ、さらにデータを操作する。今度は逆に床を沈める。
――ぱきり、と乾いた音を立てて、床に小さな窪みができた。
「いいね!」
思わず子供のように声を上げる。
調子に乗って窪みを連続で作ってみると、床はあっという間にぼこぼことした不格好な地形へと変わっていった。
「これ……応用次第でいくらでも使えそうだな。罠にも、隠し通路にも……」
「危険性も伴います。構造強度を損なえば、部屋自体が崩落する恐れもあります」
「おっと……そうか」
エージェの冷静な指摘に、俺は鼻をかいて苦笑する。
興奮に任せて暴走しかけた自分を、彼女の一言が現実に引き戻してくれる。
「じゃあ……今度は地形を変えるんじゃなく、形を作ってみるか」
データを呼び出し、床を塔のように押し上げる。
ずずず、と低い音が響き、石柱がせり上がっていく。
楊枝のような細くて小さいものから、抱えられないほど大きなものまで。
「おおっ……これは立派な柱だな」
高さは人の背丈ほど。俺はぐるりと回り込み、手のひらで撫でる。滑らかな石肌は、さっき作った凹凸よりもはるかに自然な仕上がりだ。
さらに思いつくまま、今度は壁から突き出すように石の棚を生み出してみる。
がしゃん、と音を立てて現れた突起は、ちょっとした台のように使えそうだった。
「おお……これなら机も椅子も、石で造ろうと思えば造れるな」
「テンプレートでも生成データはありますが?」
「……確かにそのほうが楽か」
エージェが淡々と分析する。だがその瞳の奥に、ほんのかすかな光が宿ったように見えた。
それから小さな石段を作ってみたり、床を波打たせてみたり。
やがて広いボス部屋は、実験の産物で妙ちくりんな地形の遊園地へと変わっていった。
「カオスだ……!」
思わず笑い声が漏れる。石の波を飛び越え、せり出した台に腰を下ろす。
ちょっとした迷路のような凹凸を生み出し、柱を縦横に並べれば、ボス部屋は即席のトレーニングフィールドにもなるだろう。
俺はコンソールを呼び出し、数値を確認した。
「……9700DC」
実験を始める前は9800DCあったはずだ。つまり――。
「これだけ試して、だいたい100DCの消費か」
試してみたいことはまだまだある。
俺は次の実験に取り掛かるのだった。
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