第百七十話「生成機能」
できるだけ早くダンジョンの外に出たい――そう思えば思うほど、胸の奥がざわついていた。俺がハルガイトに連れ去られ、そのまま姿を消したことになっているのだろう。
外の世界では、もうとっくに俺は行方不明扱いにされているに違いない。
ウルズ様やマヌス様は、俺がどうなったと思っているのだろうか。
何よりも、俺はリームさんの護衛依頼の途中だった。クェルだって、きっと心配しているだろう。……いや、あいつのことだから表にはあまり出さず、内心では相当気にしているに違いない。
ダッジたちは……どうだろう。わからないが、少なくとも護衛依頼は失敗扱いになっているはずだ。ウルズ様たちも、もう自分たちの里に帰ってしまっただろうか。
「そういえば、カエリは大丈夫かな?」
ふと呟く。クェルについていてほしいと頼んだ火の精霊のカエリ。念話が瘴気のせいで繋がらない今、あちらの状況はまったくわからない。伝えることもできない。
考えれば考えるほど、不安が胸に積もっていく。
だが、同時に俺には新しい切り札が与えられていた。ダンジョンマスターになったから……というのは正直気持ちの整理がつかないのだが、スマホがアップデートされ、新しいアプリが追加されていたのだ。その名も『ダンジョン』。……いや、まんますぎるだろ、と突っ込みたくなった。アプリの名前が適当すぎる。だが、わかりやすいのも事実なので、このままにしておくことにした。
このアプリで何ができるのかというと、どうやら何でもできるらしい。中でも一番ありがたかったのは「コンソール拡張機能」だ。空中に大型モニターを投影し、さらにマウスとキーボードまで出すことができる。いきなりやけにSFじみた光景になったが、久しぶりに触るキーボードとマウスに俺のテンションは爆上がりだった。
「これであと、食い物があれば何も要らないかもなあ……」
あるのはパンだけ。
思わず口からこぼれた本音に、横で控えていたエージェが反応した。
「食物でしたら、生成情報を編集すればお望みのものが手に入るかと。マスター」
「……なんて?」
「生成情報を編集することで、自在に生み出すことが可能です。マスター」
淡々とした口調で同じ言葉を繰り返すエージェに、俺は思わず目を瞬かせた。食い物が自由自在に生成できるだと? 夢みたいな話じゃないか。
半信半疑でアプリのメニューを開き、項目を探ってみる。ファイル管理のような形式になっていて、拡張子もどこかで見たような文字列だ。思わず口元が緩む。
「これ、エクスプローラー形式ならもっと探しやすいんだけどな……って、表示方法の変更で……できた!? やばい、便利だぞ、コイツ」
モニター上に展開された無数のフォルダやファイルを前に、俺はすっかり夢中になった。開かれたデータは数字や英字、日本語で構成されている。だが、そのまま読むと「Oku19Htりゅ場Am2356buuuuXぎをア牟jaj\@aaa……」というように、ほとんど文字化けした文章にしか見えない。
ただ、形式的には俺のスマホアプリだから当然と言えば当然なのかもしれない。読み込めないだけで、これが正しいのだろう。ASCII、JIS、Unicode、Shift_JIS、EUC-JPなどに文字コードを変えてみようかと一瞬考えたが、選択肢は存在しなかった。ならば、そういう仕様なのだろう。
エージェの説明によれば、この詳細なデータを直接理解する必要はないらしい。アプリのテンプレートメニューから簡易的に編集できるとのことだった。試してみると、確かに項目をいじるだけで生成物を変更できた。
ただ、最初に用意されている食物のメニューは少なかった。パンや野菜、塩や砂糖といった基本的なものだけで、米や醤油、味噌、ラーメンなんかは存在しない。だが、可能性は無限大だ。素材も形状も成分も自在に生成できるのだから、データをコピーして編集すれば、きっと俺の求める味を再現できるだろう。
ひとまず俺は生成できるものを確認しがてら、どんどん生成していった。
野菜はこの世界の基本的な野菜。でもどこか地球にあるものと似通ったものが並んでいる。
人参にキャベツ、ナス、ピーマン、玉ねぎなど。生で食べるのは憚られたので、焼いて塩をかけて食べてみると、意外といける。
俺はそんな焼き野菜を食べながら、エージェに話しかけた。
「そういえば、エージェのその服は、やっぱりダンジョンの生成機能から出したのか?」
「その通りです。マスター」
エージェの姿は、簡素な黒いワンピースのような服だった。
シンプルで飾り気もない。ただエージェの素材がいいからそれでも何も変なところはないが、服単体で見たら質素なものだ。
「俺の服とかも、生成できるのか?」
「はい、可能です」
「そか、そのテンプレートもあるのかな?」
「はい。いくつかデータがありますのでご覧ください」
そうしてモニターに現れるいくつかの衣服のデータ。
原始的な貫頭衣みたいなものから、豪華な刺繍やボタンを使われた衣服まで、さまざまだ。
「なんかすごいバリエーションがあるのな」
「本ダンジョンに吸収された衣服のデータです」
「吸収?」
聞けば、ダンジョンは自分の領域の中にあるものは基本的になんでも吸収することができるらしい。剣でも鎧でも、衣類でも、死体でも。
吸収できないものは、生物。詳しく言えば魔力を内包している生物といったところか。この世界の生き物は基本的に魔力があるから、生物全てといってもいいのかもしれない。
また、瘴気は吸収できない。瘴気から生まれた魔物も同じだ。どうも瘴気や魔物は生き物として認識されてしまうのだそう。瘴気については動くことがなければゆっくりと吸収できるらしいが、瘴気も同じ場所に留まっていることはないから、やはりできないのだそうだ。
俺は自分の姿に目を落とす。
ハンシュークで一旦手入れしたり、新調した衣服は大分くたびれている。革の鎧はまだいけるかもしれないが、本格的に手入れをしたいところ。
なんにせよ、なんだかアパートの一室にこんな格好でいるのが、すごく違和感を感じるのだ。
「ひとまず、衣類を生成してみるか……」
俺は衣類のテンプレートを一通り確認し、編集機能で素材や色、形などをいじり始めた。
そして小一時間データ編集して生成した衣類を俺たちそれぞれに着せたとき、ちょっとした感慨を覚えた。いや、正直に言えば、妙な笑いがこみ上げてきて仕方がなかった。
エージェに用意したのは、いわゆる女性用のスーツだ。紺色のジャケットに白いブラウス、胸元には白いリボン。スカートは膝下丈で、地味めの落ち着いたデザインを選んだつもりだった。だが、彼女の素材が良すぎた。銀色の波打つ長い髪と褐色の肌、引き締まった肢体と豊かな胸元。どこからどう見ても、秘書というよりも色気を隠しきれない美少女にしかならなかった。
「こういう形式が、マスターの好みですか」
エージェはしげしげと自分の服装を眺め、首を傾げる。その仕草すら妙に艶めいて見えてしまうのは、俺の心が穢れているせいなのか、それとも彼女がそういう存在だからなのか。
「ち、違う……まあ、似合ってるけど」
俺は慌てて目を逸らした。視線の逃げ場を探すように、自分が着ている衣服を見下ろす。
俺自身は、紺のスラックスに白いシャツ。かつて日本で着ていた仕事着そのままだ。日本にいた頃は、スーツに袖を通すたびに気が滅入り、満員電車や会議室の記憶が頭をよぎっていた。しかし、こうして離れてみると、あの感覚すら懐かしく思える。何より、いまの状況においては「気合を入れるためのユニフォーム」としてしっくりきた。
『主、すごく整って見えますわ。落ち着いた雰囲気で、なかなかに素敵ですわよ』
アイレが感心したように言う。
『へえー……けっこう似合ってますねー。水辺に立ってたら、それだけで絵になりそうですー』
シュネがのんびりとした声で褒めてくれる。
『ん……悪くない。主の服も、エージェの服も。素材がいいから』
ポッコまで珍しく言葉を口にした。
俺は思わず頬をかいた。精霊たちの好評は素直に嬉しかった。素材については確かに工夫した。化学繊維をそのまま再現するのは無理だったから、シルクや羊毛、あるいはクモの糸を代用して織り込み、手触りや伸縮性を工夫したのだ。結果として、着心地は予想以上に良く、見た目も本物以上に高級感がある。
……まあ、エージェに関しては「素材」が別の意味で良すぎるのだが。
「さて、気合も入ったし、やるか!」
衣装合わせがひと段落つくと、俺は本題に取りかかった。
机の上にはキーボードとマウス。目の先には巨大なモニター。椅子は木の椅子で少し簡素だから、そのうちデスクチェアを生成してみよう。多分できるはずだ。
それからテンプレートでできることを調べ、それから開ける限りのデータ直接開いて見比べて規則性を探った。
モニターに表示される文字列を追い続け、時間の感覚を失う。
だが、不思議と苦痛はなかった。飢餓耐性と睡眠耐性のチートがあるため、空腹も眠気も感じない。加えて肉体再生の能力まであるから、肩が凝ったり腰が痛くなったり、目が霞んだりといったこともない。だからこそ、どれだけでも没頭できてしまうのだ。
もともとエンジニアだった俺にとって、こうした作業はむしろ得意分野だった。デスマーチを経験したこともある。久しぶりにキーボードを叩く音を響かせながら、俺は完全にゾーンに入っていた。
指先は自然と動き、目は画面のわずかな変化を逃さない。意味不明な羅列の中に規則性を見いだそうとする。何度もトライ&エラーを繰り返し、少しずつ手応えを感じる。その感覚は、日本にいた頃の感覚を呼び覚ました。
俺は、データの海に完全に没頭していった。
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