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第百六十七話「大掃除」

「エージェ、色々と聞きたい」

「はい、マスター。なんなりと」


 了承を得られたので、質問を開始する。


「まずは、そうだな。このダンジョンについて教えてくれ」

「はい、本ダンジョンは全158層。構成は石と砂。出現する魔物は獣系と虫系が半々です。鉱物系の宝の産出を多く設定しておりました」


 エージェの声は落ち着いている。だが、その一語一語を噛みしめるように聞くと、この場所の輪郭がじわじわと現れてくる。『灰色の岩迷宮』──全一五八層。石と砂の層構成。獣系と虫系の混在。鉱物資源に富む。理屈だけ聞けば、まともに稼働していれば冒険者には嬉しいダンジョンだろう。


 しかし現状は違った。俺たちが踏破した階層数と照合すると、ずれていた理由がわかる。


「で、でも今はどうなってる? 俺たちが壊したのって何層目から?」と俺が尋ねると、エージェは淡々と答えた。


「現在は、地上から七十八階層まで大穴が開いており、実質八〇階層の構造になっております。大穴のため、本来の下位層が失われ、構造が乱れています」


 その言葉に、俺は額に手を当てる。要するに、俺が落ちてきたのはちょうどその大穴の位置。


「その大穴って、なんでできたんだ?」

「瘴気爆発の影響です」

「……瘴気爆発」


 広場や崩壊した通路の理由が見えた気がした。なんで爆発が起きたのかとか、その辺はまた後にしよう。現状の把握がまずは優先だ。


「俺が落ちてきた場所が、丁度その大穴だったってことか」

「その通りです、マスター」


 ダンジョンを構成しているのは、確かに石と砂だった。

 後半の不気味なオブジェクトも、見た目はあれだが、確かに石と砂でできていた。

 魔物は、獣と虫……ではないだろう、あれは。

 君の悪い灰色の獣っぽくもあり、虫っぽくもあり、軟体動物のようであり、そして人間のようなものでもあった。

 宝なんかは一度も見ていない。

 これを正常な状態に戻すのは骨が折れそうだ。

 

 だが今、俺の頭にあるのは運営よりもまず「帰還」だ。地上に戻りたい。その一心でエージェに尋ねた。


「地上に戻ることはできるか?」

「できますが、地上での活動は不可能です。地上は未だ瘴気に覆われています」


 瘴気……そうか。あの黒い紫の霧のようなものがまだ地表を覆っているのだ。しかもそこから生まれた魔物が、地上を我が物顔で闊歩している。そんな場所へ出れば、俺は無防備のまま餌食になるだけだ。


「瘴気はコントロールできないのか?」

「出来ません。あれらは本ダンジョンの管理下より外れております」

「ということは、瘴気の中の魔物も?」

「その通りです。マスター」

「また、ダンジョンの外には干渉できません。ここから脱出するには、まず瘴気を除去しなければなりません」


 ここでエージェは少しだけ目を伏せた。内側の制御は可能でも、外部へ及んだ瘴気――それはコアの影響を越えた瘴気であり、別の発生源があるか、あるいはダンジョンの異常が原因であるらしい。どちらにせよ、地上復帰の前提としてやはり瘴気をなんとかしなければならないという現実が確定した。


「ダンジョンって、世界にいくつくらい存在するんだ?」と軽く尋ねたつもりが、出てきた数字は思いのほか多かった。

「はい。現在確認されているダンジョンの総数は五百五十七。小規模なものから大規模なものまで含んでおります」


 五百五十七──その数に、俺は声を出して息をついた。これほど多くのダンジョンが世界に散らばっているのか。


「で、そのダンジョンそれぞれにちゃんとマスターがいるのか?」と聞くと、エージェは少し複雑な顔をした。

「半々です。知性ある存在がマスターとなる場合もありますが、基本的にはそうでない場合がほとんどです。そのため、多くのダンジョンは人間に害を為すものとなります」

「安全なダンジョンはないってことか」

「はい。魔物がいないダンジョンなど、存在しません」


 言われてみれば当然だ。ダンジョンとは魔物の棲み処であり、災厄の源だ。俺が今こうして立っている『灰色の岩迷宮』もまたそうだった。だが、俺がマスターとなった今、その在り方は俺次第で変わるのだろうか。

 俺は息を吐き、固く決意した。


「ともあれ、やることはやらないとな。まずは何をすべきだ?」と問うと、エージェは即座に項目を列挙し始めた。


「優先順位は三つ。第一に、迷宮内の安定化──まだダンジョン内には高濃度の瘴気が存在しています。まずはそれらの除去と安全地帯の確保。第二に、ダンジョンと地上の遮断です。現在はダンジョン内に地上部の瘴気が常に入り込んできています。大きな扉や通路を遮断するなどして、それらを一旦遮断することが推奨されます。これらを行った後に瘴気の除去に向けた長期計画が立てられます。そして第三に、ダンジョンを安定稼働するための、魔素の収集が必要です」

「なるほど。じゃあ早速取り掛かろう」


 俺の声には迷いがなかった──いや、迷いを振り切るだけの決意はあった。エージェに通じるように命じると、彼女は無駄のない動作で頷いた。コアとしての動きは、言葉以上に確かだ。


「まず入口を塞ぐ。瘴気や魔物が侵入してきたら、元も子もない」


 エージェが集中すると、空気の中に微かな振動が走った。床がかすかに唸り、迷宮の奥から石の匂いが立ち昇る。やがて、七十八階層に開いた大穴の通路の入り口に、黒曜のような輝きを持つ巨大な石扉が現れた。厚く、鉄の塊にも似たその扉は、音もなく地面から立ち上がる。


「生成完了。外部との接続は遮断されました」エージェの報告は淡々としていたが、その声に安堵の色が混ざるのを俺は感じ取った。

「これで一先ずは安心、か」


 だが気を緩めるわけにはいかない。扉の向こう側では瘴気がうねり、地上の荒野を覆う黒紫の海は相変わらずだ。中に残るものを片付けなければ、ここを拠点にする意味はない。

 エージェに全階層の残存魔物をスキャンしてもらい、位置を割り出す。彼女の視線は広域に広がり、俺はその解析結果を受け取りながら、精霊たちと作戦を組む。


「アイレ、風で視界と移動補助。シュネ、レンズを生成。ポッコは鏡の生成と、剣の補強を頼む」

『承知ですわ!』

『やるですー!』

『……ん』


 精霊たちの声に力が漲る。風が廊下を払い、いたるところに水球が浮かび、土の脈が刀の重量を支える。俺は剣を握りしめ、浄化の光を放つ。光の奔流が通路を走り、瘴気と混じった魔物どもが泡のように弾ける。

 この「掃討」は想像よりも短くは終わらなかった。魔物の群れは狭い通路の奥に巣食い、粘着するように姿を変え、石と瘴気の複合体として抵抗する。浄化の光が当たれば灰のように崩れるが、新たな発生点がぽつりぽつりと現れる。まるで瘴気そのものが創り出す“反応”が続いているかのようだ。

 一日、二日。三日と日数は過ぎる。俺たちは最低限の睡眠と動力補充を行いながら、徹底的に層ごとを潰していった。

 七日目の朝、最後の一群を浄化の光で包み込んだ。白濁した魔石が床に転がる。静寂が長く、深く落ちた。


 ダンジョン内に響く声。


「……完了しました。ダンジョン内に敵性存在は、残っていません」エージェの声はいつになく柔らかかった。

「……大掃除、完了か」


 壁面の瘴気紋が徐々に薄れ、空間のにおいが変わった気がした。粘るような重みが消え、呼吸が少しだけ楽になるのがわかった。通路に残っていた不気味なオブジェクトも、元の石と砂に還された。いつの間にか迷宮内部は、余計な装飾を削ぎ落したように「何もない」空間だけが並ぶ、無機的で静かな世界になっていた。


 俺は深く息を吐く。七日。長かった。気付けば精霊たちの頬にも疲労がにじんでいる。アイレは風を整え、シュネは小さな水滴で俺の額を拭い、ポッコは土を練って小さな石椅子を作ってくれた。彼らの気遣いに、言葉は出なかった。こみ上げるものを飲み込む。


「これで内部は一旦、安全圏か」俺は呟いた。声が広間に反響する。

「はい、マスター。浄化が行き届きました。しばらくの間、新規魔物の発生は観測されないでしょう」エージェの返答には確信が混じっていた。


 安全なダンジョン──そんなものが存在していいのかと、ふと自分でも思う。しかし今まさにこの空間は、俺たちの拠点であり、避難所であり、生活の場になっている。ここをどう運営するかは俺の手に委ねられた。


 俺は地面に手をつき、息を深く吸い込んだ。指先が微かに震えるのを感じたが、それでも満たされるような安堵が胸に広がる。


 こうして――俺のダンジョン運営が始まったのだ。


最後までお読みいただきありがとうございます!

あなたの貴重なお時間を物語に使っていただけたこと、とても嬉しく思っています。

ちょっとでも楽しんでいただけたなら、何よりです!


もし「いいな」と思っていただけたら、

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コメントも大歓迎です。今後の執筆の原動力になりますので、

どんな一言でも気軽に残していただけたら嬉しいです。


これからも【悠久の放浪者】をどうぞよろしくお願いします!

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