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第百六十五話「夢」

 夢を見た。


 場所は日本――俺が生まれ育ち、働いていたあの国だ。

 いつもの朝。混み合う通勤電車に押し込まれ、吊革を握りしめながら、窓の外の流れる景色をぼんやり眺める。眠気と諦めの入り交じった感情が胸を占める中で、「今日もまた一日が始まるのか」とため息をついた。


 俺が勤めていた会社は、とにかくセキュリティが異様に厳しかった。

 駅前にそびえる高層ビルの正面には屈強な警備員が立ち、通勤する俺たちを軍人のような目で睨んでいる。自動ドアを抜けると、まずはIDカードをかざすゲート。その奥には無機質な白い壁と監視カメラがいくつも並び、どこかで必ず誰かに見られているという圧迫感があった。


 さらに続くのはPINコード入力、静脈認証、顔認証。ひとつでもエラーを出せば、その日は出勤できない。社員なのに「拒絶」される光景は、日常茶飯事だった。


「……いや、そんな厳重にして誰得なんだよ」


 毎朝のように心の中で愚痴をこぼす。

 しかも、その煩わしさで困る人間は少なくなかった。


「あの顔認証、もうちょっと認識あまくしてくれりゃいいのになぁ。髪切っただけでアウトって、ほんと勘弁してほしいわ」


 横でぼやく声。振り向けば、そこにいるのは同僚のハタノだった。

 同い年で、趣味が妙に合うせいかよくつるんでいた。愚痴を言うときも、飲みに行くときも、大体一緒だった気がする。


「確かに……。俺も昨日、眼鏡を変えただけで一回エラー出されたよ」

「だろ? システムに使われてる側の気持ち、誰か上に訴えてくんねえかな」


 俺は苦笑して「そうだな」と答えるしかなかった。

 どうせ俺たちの声なんて、上層部に届きはしないのだ。


 セキュリティゲートを抜けて、ようやくオフィスフロアへ。

 無機質な白とグレーのデスクが並び、仕切りの向こうではカタカタとキーボードの音が響いている。空調は強すぎるほど冷たく、夏でもカーディガンが手放せなかった。蛍光灯の光はいつも均一に降り注ぎ、時計が動いているのに時間が止まったように感じられた。


 パソコンを立ち上げると、黒い画面に次々とログが流れていく。

 俺たちの仕事は「アペイロス」のアカウント管理――まだ開発途中の次世代通信システムに接続するための鍵を握っている。アカウントを登録・削除し、権限を付与し、アクセス状況を監視する。それだけ聞くと事務的だが、実際にはかなり重要で神経を使う業務だった。


「おい、昨日の夜間ログ見たか? また海外拠点の誰かが変な操作してやがったぞ」

「えー、また? どんだけ監査で吊し上げ食らえば気が済むんだよな……」


 近くの席からそんな会話が聞こえてくる。

 俺とハタノは顔を見合わせ、肩をすくめた。


 この業務に関わっていたのは全部で十人。

 俺やハタノは、下っ端をようやく卒業できるかどうか、といった立ち位置だった。だが、扱うものは危険極まりない。


 発行したアカウントはすべて、個人のSBTソウルバンドトークンに紐づけられている。つまり、俺たちが一つ操作を誤れば、相手の「存在証明」そのものが揺らぐのだ。会社の中では末端でも、システムの中では神にも等しい。最初に権限を渡されたときは、正直怖気づいた。


 もっとも、システムは常に監視されている。操作ログは分散保存され、責任者に即座に通知されるため、悪用すれば一発でバレる。クビどころか、人生が終わる。だから俺は「悪いこと」などする気はさらさらなかった。


 ……が、それでもやらかす奴は出る。

 そのたびに誰かが除名され、裁判になり、莫大な賠償を背負わされる――そんなニュースは珍しくなかった。ちなみに、不思議とそういう輩は大抵海外の人間だった。


「日本チームは真面目に働いてるんだけどな」

 ハタノがいつかそんなことを言った。

 俺も心の底から同意した。


 だからこそ、俺たちは逆に信頼を勝ち取っていった。

 気づけば重要なアカウント管理業務の多くが、日本チームに集中していた。


 もっとも、基本はさほど忙しくない。

 新規にプロジェクトへ参入する企業が増えたり、逆に撤退したりするときだけバタつく程度で、そうでなければ暇を持て余すことも多かった。


 たまに問い合わせに対応したり、クレームもあったりしたが、基本は同じような業務の繰り返し。

 モニタの前で数字やコードを睨みつけ、異常がないかをチェックするのが日課だった。


 だから俺とハタノは、しょっちゅうくだらない話をしていた。

 エアコンの効きすぎたオフィスで、コーヒーの香りとキーボードの打鍵音に囲まれながら、仕事をしているんだかサボっているんだかわからない会話が、日常の一部だった。


「なあケイスケ、異世界モノで定番って何だと思う?」


 斜め前の席から声が飛んできた。ハタノだ。腕を椅子の背もたれにひっかけ、だるそうに回転させながら、声を潜めるでもなく話しかけてくる。


「異世界モノで定番? 広すぎるな。話題を絞ってくれ」


 俺はディスプレイに向かったまま返す。背後ではレーザープリンタが「ガシャコン」と音を立て、別のチームが印刷物を取りに歩いていった。


「そうだな……人種とか?」

「人種ならエルフとかドワーフ、あとは獣人だろ」

「おお、やっぱそこだよな。じゃあ異形種は? ラミアとかアラクネとか、下半身が人間じゃないやつ」

「んー……漫画やゲームなら“あり”かな。でも現実にいたら、俺は“なし”だな」


 俺がぼそりと答えると、向かいの席の女子が「またオタ話してるよ」って顔で小さく笑った。


「お、同じだ。俺もああいうのは魔物って感じがするしな。……それに、実際いたらセックスとか大変そうじゃん?」

「そういう理由かよ」

「いや、ほかに理由ある?」

「……まあ、わかるけどな」

「はははは! だろ?」


 屈託なく笑うハタノにつられて、俺も笑った。

 向こうの島でエクセルを叩いていた先輩が「お前ら真面目にやれよー」とだけ言って、また自分の画面に戻っていく。そんなゆるいやり取りが、この職場では珍しくなかった。


 ふと、ハタノが目の前の端末をいじりながら言った。


「でもさ、俺たちが関わってる『アペイロス』って、やっぱ革新的だよな」

「急にどうした」

「いや、ブロックチェーンとAIを組み合わせる仕組みは前からあったけどさ。通信インフラ自体にそれを組み込んで自己管理できるようにするって、頭いい人は考えることが違うなって」

「確かに」


 俺は湯気の立つ紙コップを手に取り、一口啜った。苦味が舌に広がる。


「将来的にはナノマシンを散布して、どんな場所でも高速通信可能になるんだろ? ホワイトペーパーに書いてあったけど、そこまで行ったらもう魔法だよな」

「ああ……“十分に発達した科学技術は魔法と見分けがつかない”。イギリスのSF作家の言葉だったか」

「それそれ! ほんと未来はどうなるんだろうな」

「案外、ファンタジー世界みたいになってたりしてな」

「ははっ! そりゃ面白い。でもそんな時代が来るまで生きてはいられないか」

「それが残念だよな」


 俺たちは、ただ笑い合っていた。

 どこにでもあるような、ありふれた一コマ。

 モニタの冷たい光に照らされながら、何でもない会話が続くオフィスの昼下がり。


 けれど――。


 今となっては、もう二度と戻れない時間。

 その日常を取り戻したいと、何度夢の中で願ったことだろう。


 夢は、そこで途切れた。


最後までお読みいただきありがとうございます!

あなたの貴重なお時間を物語に使っていただけたこと、とても嬉しく思っています。

ちょっとでも楽しんでいただけたなら、何よりです!


もし「いいな」と思っていただけたら、

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コメントも大歓迎です。今後の執筆の原動力になりますので、

どんな一言でも気軽に残していただけたら嬉しいです。


これからも【悠久の放浪者】をどうぞよろしくお願いします!

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