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悠久の放浪者  作者: 神田哲也(鉄骨)
第四章

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第百六十四話「眠る少女」

「……寝てた、か?」


 ぼんやりとした視界は灰色一色で、意識は覚醒した。


 息を吐いた瞬間、ようやく肺の奥まで空気が行き渡るのを感じた。広間に漂っていた瘴気は、浄化の魔法によってほとんど払拭されている。だが、それでも喉の奥に苦みのような違和感が残っているのは、さっきまで命を懸けた戦いをしていたせいだろう。


 俺は壁際に腰を下ろし、ゆっくりと腹に手を当てた。肉体再生によって肉は繋がっていた。治癒魔法でさらに補助して塞いだ。けれど――腹を貫かれた衝撃は、まだ鮮明に残っている。あの灼けるような痛み。皮膚を裂かれ、肉が押しのけられて臓腑に刃が届いた感覚。思い出すだけで胃の奥が冷たくなる。


「……二度と、ごめんだ」


 呻くように言葉を零し、俺は立ち上がった。静寂が支配するこの広間は、やけに広く感じる。魔物の咆哮や爪が石を削る音が消えたせいで、余計に耳に自分の心臓の鼓動が響いていた。

 浄化の光を散らしながら、広間を一歩ずつ踏みしめる。床に残る黒い残骸は次第に霧散し、ただ冷たい石だけが残る。俺が入ってきた通路の正反対、その先に、重々しい鉄の扉が待ち構えていた。

 高さは三メートル、幅も同じくらい。人間が通るために作られたというより、もっと別の……何か大きな存在のために作られたような印象を与える。


「……行くか」


 俺は呟き、ドーピーを発動した。体の奥から微かな熱が立ち上り、筋肉に力が宿る。重そうな扉に手をかけると、軋むような金属音を響かせながら、思ったよりも抵抗なく開いていった。

 その先にあったのは、意外なほど狭い空間だった。広間のような威圧感はなく、ひっそりとした石の部屋。その中央に、一脚の椅子が据え付けられていた。まるで地面から生えてきたかのような、石の椅子。


 そして、その椅子には、一人の少女が座っていた。


「……女の子?」


 思わず声が漏れる。年の頃は十五歳前後だろうか。目を閉じたまま眠っているようで、肩がわずかに上下している。生きている。


 灰色の長い髪は波打つように広がり、腰どころか床一面を覆うほど。褐色の肌は健康的というより、どこか異質な印象を与えた。衣服はまとっていないが、肝心な部分は髪が覆い隠している。……いや、そんなことはどうでもいい。

 俺の目は自然と、少女の胸元に吸い寄せられた。


 そこには直径三センチほどの灰色の魔石が、肉に埋め込まれていた。


 ただ埋め込まれているだけではない。少女の鼓動と同調するかのように、かすかに脈動しているように見えた。


「……なんだ、これ」


 吐き出す声は震えていた。見間違いではない。少女の体から、ほんのわずかに瘴気が漏れ出している。


 この子は誰だ? なぜこんな場所に? なぜ胸に魔石が埋め込まれている? ……疑問が止まらない。


 部屋の中はしんと静まり返っていた。これまでの戦闘で荒れた場所とは違い、ここだけはどこか神殿めいた荘厳さを漂わせている。壁も床も滑らかで、余計な装飾はない。それが逆に、この場所が特別であることを示していた。


『主、この部屋には他には何もありませんわ』


 アイレの声が響く。冷静な口調に、俺も思わず周囲を見渡す。


『ですねー。この女の子だけですー』


 シュネも加わる。少し間延びした声音だが、言葉は確かだ。


『ん。壁もただの壁』


 珍しくポッコも口を開いた。彼がそう断言するのだから間違いないだろう。

 精霊たちもこの部屋を調べてくれたが、何も見つからなかった。つまり目の前の少女が、この最深部の答えということだ。


 椅子に座る少女は眠り続けていた。俺は息遣いがわかるくらいの距離にまで近づいてみたが、反応はない。

 近づく際、彼女の髪を踏んでしまう。だが、仕方のないことだった。床に広がったその黒髪は、やけに長く、そして、まるで床に溶け込むように広がっていたのだから。


「……まるで配線みたいだな」


 思わずつぶやく。絡まりながらも流れる髪は、ダンジョンそのものへと繋がっているように見える。いや、印象ではなく事実なのかもしれない。そう思わせるだけの不気味さがあった。

 俺は少女の手に触れてみる。冷たい。だが氷のように凍りついているわけではない。ただ体温が低いだけだ。脈もある。生きてはいる。だが、目を覚まさない。

 手のひらを握ってみても、手首を持ってみても反応はなかった。


「瘴気のせいか、なんかぴりぴりするような……」

『……あまり触れていない方が良さそうですわよ、主』


 確かにその通りだ。アイレに注意され、手を離す。


 繊細な部分はできるだけ見ないように努めながら、胸元へ目を向ける。そこには灰色の魔石が埋め込まれていた。じっと見れば見るほど、ただの魔石にしか見えない。だが、この存在感は異様だ。

 顔を見れば、整っていることがすぐにわかる。肌は褐色。最初は黒人のようにも見えた。だが近づいてようやく気づく。


「耳が長い……。もしかして、ダークエルフ?」


 耳が尖って長い。間違いない。彼女は人間ではなかった。

 ダークエルフ――いや、正式にはこの世界では黒霊人族と呼ばれる種族。山岳地帯に暮らすとされ、白霊人族、いわゆるエルフと対になる存在だ。もっとも、世間では誰もが「エルフ」「ダークエルフ」と呼んでいる。俺もつい口にしてしまった。


 初めて見る種族だ。でもファンタジーものの定番中の定番の種族。俺にとって憧れの種族だ。

 でもこんな状況で感動もなにもない。あるのは困惑だけだ。


 少しためらったが、肩に手を置いて揺さぶってみる。だが少女は眠ったままだ。「えーと……。起きてくださーい」なんて、声をかけてみても反応は返ってこない。


『主、瘴気を放っているのであれば、いっそのこと浄化してみては?』


 アイレの提案に、俺は腕を組んで考え込む。


 確かに少女の体からは瘴気が漏れ出していた。体に悪いどころの話じゃない。まるで彼女自身が瘴気の発生源だとでも言うかのように。ダークエルフだから、なんて理由で片づけられる話じゃない。瘴気を常に放つ種族など、魔物か一部の魔獣くらいのものだ。


「やってみるか……」


 そう決めた。だが全力で浄化してしまえば、何が起こるかわからない。だから使うのは弱い浄化魔法だ。

 ハルガイトに見せた、あの初歩的な浄化の魔法。


 俺は少女の胸に埋め込まれている魔石に手を当て、静かに詠唱する。淡い光が指先から広がり、灰色の魔石を包み込んでいった。


 その瞬間、少女がぴくりと反応した。身じろぎをしたように肩が震える。だが、まだ目は開かない。表情も動かない。


 俺はそのまま浄化を続けた。光は少しずつ彼女を包み、瘴気を和らげていく。すると――。


『主、地震でしょうか……』


 アイレの声に顔を上げた。地面が揺れていた。ごごご……という鈍い音が、足元から響く。ダンジョン全体が軋むような震えだった。


「……一応、警戒してくれ。特にポッコ、何かあったら俺たちを守ってくれ」

『ん、了解』


 ポッコが短く応じる。


 地鳴りは大きくなり、まるでダンジョンそのものが苦しんでいるかのように感じられた。

 俺は少女の手に触れてみる。冷たいが、わずかに温度が戻ってきているような気がした。


 彼女はいったい何者なのか。なぜ魔石を埋め込まれ、このダンジョンと繋がっているのか。


 ――変化は、唐突にやってきた。


「…………くぅ……!?」


 耳に届いたのは、確かに少女の声だった。眠り続けていたはずの彼女の唇が微かに震え、空気を震わせる。

 俺は思わず息を呑んだ。だが次の瞬間、彼女の体はびくりと痙攣し、椅子ごと揺れ出す。まるで自分の内に巣食っていた何かと必死に抗っているように見えた。


 同時に、ダンジョン全体が軋みを上げる。石造りの床がぐらりと傾き、壁の隙間から砂や小石がぱらぱらと降り注いだ。天井からも小石がこぼれ落ち、頭上を守ってくれていたポッコが、土の傘を生成して厚くしてくれるのがわかる。直接的な被害はないが、心臓が締め付けられるような不安が胸を走った。


 少女は苦悶の声を上げ続け、細い体を震わせる。

 見ていられない苦しみのはずなのに、俺は浄化の魔法を切らす気にはなれなかった。いや、切らしてはいけないと直感していた。これは解毒や呪いを祓うときと同じ、回復のために必要な苦しみだ。そう何故か理解できたからだ。


 彼女の胸に埋め込まれていた灰色の魔石は、じわじわと色を変えていった。濁っていた灰色は今や淡く、透き通るような白に近づいている。きっともう少しだ。もう少しで、この少女も変化が――。


 しかしその間にも、揺れは増していく。体感で震度四ほど、時折、頭ほどの大きさの石塊が落ちてきては、ポッコの盾に弾かれて砕け散った。

 地鳴りのような音が足元から響き、まるでダンジョン全体が少女の変化に呼応しているかのようだ。


 やがて、少女の体が淡く光を帯び始めた。最初は腕や足の先から斑のように滲み出る光。それが次第に胸へ、腹へ、背へと広がり、最後には全身を覆う。俺は思わず目を細めた。けれど、それでも視線を逸らすことはできなかった。


「……もう少しだ、頑張れ」


 祈るような気持ちで、俺は魔法の出力を維持し続ける。


 ――そのときだった。


「あアアァあああ唖唖唖唖唖アアアアァァァアアアア……!?」


 耳を劈く絶叫。少女の体が弓なりに反り返り、全身が強張る。痙攣と呼ぶにはあまりにも激しい、暴風のような力のうねり。その中心から迸ったのは、目が焼けるほどの強烈な閃光だった。


 視界が白く塗り潰される。光と同時に、凄まじい衝撃波が全身を叩きつけた。防御も姿勢も追いつかない。肺の中の空気が一瞬で奪われ、骨ごと砕かれたかのような衝撃に、俺は声すらあげられなかった。


『主!?』


 精霊たちの声が耳に届いた気がする。だが次の瞬間には、感覚がすべて遠のいていった。


 身体を包む痛みと、胸を締めつける光の奔流。そのすべてが一瞬にして混ざり合い、やがて、意識は闇に呑まれて――俺は、ただ落ちていった。


最後までお読みいただきありがとうございます!

あなたの貴重なお時間を物語に使っていただけたこと、とても嬉しく思っています。

ちょっとでも楽しんでいただけたなら、何よりです!


もし「いいな」と思っていただけたら、

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コメントも大歓迎です。今後の執筆の原動力になりますので、

どんな一言でも気軽に残していただけたら嬉しいです。


これからも【悠久の放浪者】をどうぞよろしくお願いします!

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