表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悠久の放浪者  作者: 神田哲也(鉄骨)
第四章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

162/234

第百六十二話「最深部の巨影」

 ダンジョンに落とされて、今日で二か月が経った。

 数え間違いはしていないはずだ。少なくとも、俺の意識はまだ曖昧さに呑まれていない。だが、時間感覚は日を追うごとに歪み、日にちを数えるという行為そのものが苦行のように思えていた。


 飢餓耐性のレベルはついに三まで上がった。空腹はもう感じない。けれどそれが救いかといえば、決してそうではない。むしろ、「腹が減った」と思えることすら、今では羨ましく思う。あの感覚が恋しい。

 さらに、俺には『睡眠耐性』という新しいスキルまで芽生えた。眠らずとも動ける身体。けれど、これは身体にとっては恩恵かもしれないが、精神にとっては毒だった。


 俺はわかっている。

 摩耗している。心が、削られている。


 太陽の光を浴びたい。

 自然の風を感じたい。

 草花の匂いを嗅ぎたい。


 欲求は際限なく湧き出し、けれど叶わぬ願いであるがゆえに、鋭い棘となって俺を苛み続けた。


 ――周囲の景色は、もはや「ダンジョン」という単語すら生ぬるく思えるほど異形に満ちていた。


 床や壁は、内臓を敷き詰めたような不気味な模様。そこにびっしりと入り込むように、小さな魔物が蠢いている。俺が全身に浄化の光を纏っているから近寄れば即座に蒸発する。それでも……見ているだけで吐き気を催す。


 中には擬態した魔物もいた。

 あの日、足元の床が突然盛り上がり、無数の目玉がぱっくりと開いた瞬間――思わず情けない声をあげてしまったことを覚えている。自分がこれほどまでに心臓を跳ねさせ、背筋を凍りつかせる存在に直面するとは。


 それ以来、天井は見ないようにしていた。

 あそこからは、常に無数の腕がぶら下がっているのだ。

 オブジェクトで、害はないと頭では理解している。だが、時折そこから魔物が滑り落ちて襲ってくることもある。俺の浄化の光は影にまでは届かない。天井の闇は、常に不安を孕んでいた。


 そんな旅路を――二か月。

 俺はついに、その場所に辿り着いた。


 開けた広間。

 目に飛び込んできたのは、蠢く肉の塊。


 それは「怪物」と呼ぶにはあまりにも形容が足りなかった。

 巨大な顔、顔、顔。無数の顔が肉の表面に浮かんでは消え、裂けた口が不揃いに笑い、牙をむき出しにしていた。歯列の間から滴る液体は、床に落ちるたび煙をあげて石を溶かしていく。脳のように脈打つ表面からは、無数の触手がうねりを上げて伸びていた。


 ――これが、ボスか。

 言葉にならない呻きが喉に溜まった。


「……みんな、頼むぞ!」


 俺は声を振り絞った。


『お任せください、ですわ!』


 アイレの声とともに、風が俺の全身を包み込む。脚が軽い。動きが鋭くなる。移動補助――彼女の風は、俺の命を繋ぐ翼だ。


『頑張りますー!』


 シュネが緩んだ声をあげる。だが次の瞬間、俺の周囲には無数の水球が浮かび上がっていた。透明な球体は、まるでレンズのように光を反射し、俺の浄化の魔法を収束させ、増幅させる。これなら威力も射程も自在に操れる。


『……剣は、大きくしたよ』


 ポッコが言葉を口にする。俺の手にある黒魔鉄の剣が脈動するように肥大化し、鋭さを増していく。浄化の光を纏わせれば、その一撃は刃から光そのものを流し込み、魔物の内側から焼き払うことができるだろう。


 俺たちが編み出した戦法。

 ただ光を浴びせるだけでは倒せない強敵に対する、切り札だ。


 ――相手は、固くて、でかい。


 だが、所詮は肉塊に過ぎない。


 俺は呼吸を整えた。

 全身を包む浄化の光が強まる。まるで俺自身が人間電球になったように、広間全体を照らし出す。


 蠢く巨影が、俺を見た。

 無数の顔が、俺を睨んだ。

 触手が、音もなく持ち上がる。


 恐怖はある。

 だが、それ以上に――ここまで辿り着いた実感が胸を熱くする。


「行くぞ!」


 叫びと同時に俺は駆け出した。

 光と風を纏い、水と土を背負い、精霊たちと共に。

 広間に響くのは、異形の咆哮と、俺の剣の唸りだった。


「来るぞ!」


 叫んだ瞬間、肉塊から無数の触手が生え、槍のようにしなりながらこちらへ襲いかかってきた。


「アイレ!」

『お任せ、ですわ!』


 風の流れが俺の体を強引に引き、触手の間を縫うように跳ねさせる。間一髪で突き刺さる触手をかわし、足元の床を踏みしめた。


「シュネ、増幅!」

『はい、いきますー!』


 水球が一斉に俺の剣へ光を集め、眩い閃光となる。剣が光の大河と化し、触手をまとめて焼き払った。肉の焦げる臭いが充満するが、次の瞬間にはすぐに再生し、また触手が伸びてくる。


「再生能力かよ……!」


 斬っても焼いても止まらない。だが止まらないなら、抉じ開けて中枢を潰すしかない。


「ポッコ、力を貸せ!」

『……ん』


 短い返事と共に、剣がさらに重く、強靭になった。

 両腕にかかる負荷に歯を食いしばり、俺は肉塊の正面へ走り込む。


「――はぁぁぁあッッ!」


 光を纏った大剣を振り下ろす。

 刃が肉を裂き、裂け目から放たれる浄化の光が内部へと流れ込んでいく。断末魔のような咆哮が広間を震わせ、壁や天井にまで肉が這い上がって波打った。


 触手が集中して俺を潰そうと押し寄せる。

 そのたびにアイレの風が俺を押し出し、シュネの水球が光の矢を放ち、ポッコが剣を補強する。三人の連携で辛うじて立ち回れている。


 だが、敵はあまりにも巨大だ。表層を削っただけでは終わらない。


「なら……中枢を、暴き出す!」


 俺は光を全身に集中させた。

 眩い光が体から放射され、半径数メートルの瘴気と魔物を蒸発させる。防御の膜を突き破り、再び肉塊へ踏み込む。


 肉壁を裂き、何度も剣を突き立てる。

 浄化の光が亀裂から流れ込み、内部を蝕んでいく。


「――沈めッ!!!」


 あらん限りの力で大剣を深く突き刺す。

 その瞬間、内部から爆発するように光が広がり、肉塊の巨体が崩壊を始めた。顔が次々と消滅し、触手は灰になって崩れ落ちる。


 瘴気すら焼き尽くす白光が広間を満たし、しばし静寂が訪れた。


 俺は肩で息をし、汗をぬぐった。


「……やった、か?」


 そう呟いた刹那。

 崩れ落ちた肉塊の中心から、光を弾き返すかのように影が立ち上がった。


 二メートルほどの、人型。

 黒い皮膚を持ち、しなやかで力強い四肢。瞳は真紅に輝き、牙を覗かせて笑った。


 ――第二形態。


 俺は剣を構え直す。

 戦いは、まだ終わっていなかった。


最後までお読みいただきありがとうございます!

あなたの貴重なお時間を物語に使っていただけたこと、とても嬉しく思っています。

ちょっとでも楽しんでいただけたなら、何よりです!


もし「いいな」と思っていただけたら、

お気に入り登録や評価をポチッといただけると、とても励みになります!

コメントも大歓迎です。今後の執筆の原動力になりますので、

どんな一言でも気軽に残していただけたら嬉しいです。


これからも【悠久の放浪者】をどうぞよろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ