表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
160/181

第百六十話「瘴気の迷宮」

 それから、もう五日が過ぎていた。


 このダンジョンの中をさまよい続け、地上の空気を吸うことなく過ごして、ようやく五日。

 俺のスマホの表示で日付と時間を確認しているから間違いはない。文明の遺物ともいえるこの機械がなければ、きっと時間の感覚なんてとうに狂っていただろう。


 地上に残してきた仲間のことが、どうしても頭をよぎる。特にカエリだ。何度も念話を試みたが、一度も繋がらなかった。

 距離の問題か、それともハルガイトの馬車の魔法を封じる魔道具のように、瘴気が通信を妨げているのか。俺の推測では後者だ。あの重苦しい空気の中では、声どころか、光すらまともに届かないのだから。

 外の様子を確かめたくても、それは叶わない。だから、今はひたすらに地上へ戻るため、出口を求めて歩を進めるしかなかった。


 幸いなことに、通路には瘴気が満ちていない場所もある。それに浄化の魔法で一度空間を清めれば、しばらくは澱んだ気配が戻ってこない。休息が取れるのは大きな救いだった。精霊たちも、瘴気さえ払われればある程度の力を使える。小さな灯火や水を出す程度なら問題ない。暗闇と乾きの中で、その存在は心強かった。


 ――とはいえ、最大の問題は魔物だった。


 初めて遭遇したときのことを思い出すと、背筋がぞわりと粟立つ。

 暗闇の中から、ぐじゅり、と肉を擦り合わせるような音がしたかと思えば、灰色の小型の魔物が通路を這い出してきた。形容しがたい不気味さ。人型の影を無理やり肉塊に押し込めたような、悪夢じみた生き物だった。皮膚のようなものはなく、ぶよぶよとした肉の塊がそのまま歩いてくるような姿。長さは一メートル、せいぜい二メートルほど。だが数が多く、通路を埋め尽くすように現れた。


 とどめに、一度は天井を見上げた瞬間、そこにびっしりと魔物が貼りついていたのだ。大小様々な灰色の肉塊が、無数の目玉をぎょろりと動かし、同時にこちらを見下ろしていた。思わず心臓が止まるかと思った。あのときの衝撃は、軽くトラウマ級で、今でも瞼の裏に焼き付いている。


 あのとき俺は、反射的に浄化の魔法を放った。

 白光が爆ぜ、奔流となって通路を満たす。肉塊の群れは一斉に痙攣し、悲鳴とも風音ともつかぬノイズを立てながら、音もなく蒸発するように消えていった。残ったのは無数の白く濁った魔石だけ。床にぱらぱらと落ちる音がやけに耳に残った。


 そのとき、ようやく確信した。浄化は、ここでは最も有効な手段だと。


 ただし、浄化を使わず剣で斬り伏せた場合、魔石は灰色のままだった。灰色の魔石に浄化を施すと、やはり白濁へと変化する。つまり灰色の魔石には瘴気が含まれている。魔物もまた瘴気の産物であり、それごと浄化することで、ようやく安全な形になるのだろう。


 魔物の姿は本当に様々だった。

 丸い肉塊から手足や目、口が突き出したもの。虫のようで獣のようなもの。ふわふわと漂うクラゲのような存在。壁に張り付いて蠢く無数の眼球。どれもこれも、人間の嫌悪感を直撃する。見た瞬間に吐き気を催し、背筋が凍る。まるで「生きた異物」としか言えない存在。


 一度は、地上で遭遇したグレイアームズの亜種とも出くわした。あのときは通路を塞ぐように立ち塞がり、腕を振り下ろしてきた。だが浄化の光を浴びせた瞬間、ずるりと溶け崩れるようにして消滅した。以前の戦いを思えば、この魔法があればもっと楽に討伐できていたのだろう。少し複雑な気持ちになる。


『主、この先の曲がり角に、魔物が潜んでいますわ』


 アイレが風で周囲の索敵を担当してくれている。

 お陰で奇襲にあうことはない。


「了解、どんな魔物かわかるか?」

『体長一メートルほどの、六足歩行の、獣に似た姿の魔物ですわ』


 アイレの言葉にその姿を想像する。

 六足って聞くと虫みたいなのかと思ったが、でも獣に似ているという、よくわからない姿をしているらしい。


 通路の角では、あいにく浄化の光は届かない。

 そしてその魔物が姿を現した。


「……確かに、間違ってはいないけどさ」


 思わずそう零すには、理由がちゃんとある。


 六足歩行……。確かにそうだろう。その通り、足は六本ある。ただしその上には腰の部分があり、胴体があり、腕が二本生えている。

 首から上は犬のようだが、目は並んで四つ――。


「――シャァ!」


 俺の姿を見つけた魔物が口を大きく開けて威嚇してくる。


 ――訂正、目は全部で六つだった。開いた口の中に、子供のような顔が隠れていたのだ。


 大きな口の中の能面のような顔。でも口は避けていて、無数の牙がそこに生えている。

 ちなみに色は灰色だ。

 このダンジョンに出てくる魔物はみんな灰色だった。


「……キモ! 『浄化』」


 すぐに浄化の魔法を発動。

 俺の手からは太い浄化の光が発せられ、それを浴びせられた魔物は甲高い悲鳴をあげながら消えていった。

 残されたのは、白濁の魔石がひとつ。


 白濁の魔石は、まだ飲んでいない。

 生理的に受け付けない見た目の魔物から出てきた魔石だ。どうしてもそれが頭をよぎり、喉が拒否してしまう。


 水は何とかなる。俺自身の魔法でも作れるし、シュネが水を出してくれる。問題は食料だった。

 だが、不思議なことに腹は減らない。喉の渇きはあれど、胃袋は空腹を訴えてこなかった。


 ――これはどういうことなのか。


 極限状態の中で俺の体が変化しているのか。瘴気に侵されておかしくなっているのか。それとも、例の“チート”による影響なのか。疑念が頭をよぎり、試しにスマホの画面を開いた。

 するとステータス欄に、見慣れない文字があった。


『飢餓耐性(Lv1)』


 ……やっぱりか。


 苦笑が漏れた。こんな状況で笑っていられるのもおかしいが、どうしようもない。

 食わずとも動ける。飢えに屈することはない。それだけで、生き延びられる可能性は大きく上がる。

 チートとは、本当に便利なものだ。


 だが――。

 便利であればあるほど、俺はどこかで怖くもある。人間をやめていくような感覚。俺が俺でなくなっていくような感覚。それを、胸の奥底に抱えたまま、また歩き出すしかなかった。


最後までお読みいただきありがとうございます!

あなたの貴重なお時間を物語に使っていただけたこと、とても嬉しく思っています。

ちょっとでも楽しんでいただけたなら、何よりです!


もし「いいな」と思っていただけたら、

お気に入り登録や評価をポチッといただけると、とても励みになります!

コメントも大歓迎です。今後の執筆の原動力になりますので、

どんな一言でも気軽に残していただけたら嬉しいです。


これからも【悠久の放浪者】をどうぞよろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ