第百五十九話「瘴気に満ちたダンジョン」
暗闇の中で、ポッコの低い声が響いた。
『ここ、足元は石の床。今いる場所は広い円形の広場。通路っぽいところが主の左後ろあたりにあるよ』
その一言に、俺は思わず目を見張った。
普段は必要最低限しか喋らないポッコが、こんなにまとまった情報を口にしたのは珍しい。声は淡々としているのに、確かな実感を伴っている。地の精霊らしい、落ち着いた報告だった。
「……なるほど。ここが広場で、左後ろに通路……か。となると……」
胸の奥に浮かんだ予感を、俺は口にした。
「もしかして、ここが例の、この瘴気の中心のダンジョンってやつなのか?」
『ん。可能性は高い』
ポッコは短く肯定した。無駄のない返答。だが、それだけで十分だった。
思わず周囲に意識を集中させる。
闇に包まれた広場。足元は確かに石造りにも思える。俺の靴裏に伝わる硬さは、自然の岩肌というより、そう作られたものの感触。ここがただの地下洞窟でないことを、無言で告げていた。
一体地上からどれくらいの深さまで降りたのだろう。見当もつかない。
ただ、常にまとわりつこうとしているような瘴気の濃さと、鼓動を押し潰すような圧力だけで、地上から遠く隔たれた場所にいることは理解できる。
深呼吸をひとつ。冷たい空気が喉を焼くように流れ込む。浄化の魔法で瘴気は吸い込んでいないはずなのに、違和感を感じる気がする。息を整えながら、自分に言い聞かせる。
「……まあ、ここが最深部ってことはないだろうけどな」
そうだ。ダンジョンというものがどんな構造をしているかは知らない。だが、冒険者たちが幾度も挑んできたという話を聞けば、簡単に核心にたどり着けるはずがないことくらい、想像できる。
だからこそ、今いる場所はまだ入り口のようなものだろう。それでも、この暗闇と静寂が胸に重くのしかかってくる。
「ひとまず、その通路に向かうか。……こっちの方向でいいんだよな?」
『ん。大丈夫』
ポッコの声に導かれるように、俺は足を進める。
石の床を踏みしめるたびに、かすかな反響が耳に返る。広場全体が息を潜めてこちらを見つめているような錯覚に、背筋がぞわりとした。
ほぼ手探りの状態で、二十メートルほど進んだところで壁に触れた。
ひんやりとした石肌。そこに確かに開けられた通路が口を開いている。
「……あったな」
幅は五メートル、高さは三メートルほど。人間が通るための通路にしては大きすぎる。巨人でも出入りしていたのかと思わせるほどのサイズ感だ。
壁や天井に触れて確かめると、自然にできたものではないとすぐにわかった。表面が不自然に滑らかで、一定の角度が保たれている。これは明らかに人工の造形だ。
「……これがダンジョン、ってやつなのか?」
俺は独り言のように呟いた。
ダンジョンの存在は聞いていたが、実際に足を踏み入れるのは初めてだ。これまで魔獣や盗賊と戦ったことはあっても、未知の人工構造物の中に入るのは、まるで別世界に迷い込んだような感覚だった。
もちろん、通路の奥にも瘴気は濃く漂っている。
俺は短く息を吐き、通路を照らす。浄化の魔法の光が差し込むと、瘴気が音もなく霧散していった。通路の中は広場に比べて空間が限られている分、前後に向かって光が伸び、視界がすっきりと広がる。
目に見える範囲で空気が澄むだけで、心臓の鼓動が少しだけ軽くなるのを感じた。
「……まさか、ソロでダンジョン探索する羽目になるとはな」
苦笑交じりに呟いた俺に、すぐさま声が返る。
『主、私たちもおりますわ』
『がんばりますー!』
『ん』
口元が自然と緩んだ。
「……そうだな。一人じゃなかった。頼りにしてるよ」
『当然ですわ。私たちは主の剣でもあり、盾でもありますから』
『僕らがついてるのに寂しいとか言ったら怒りますよー?』
「お、おう……悪かった」
『ん、許す』
真っ暗な通路の奥を見据えながら、心の中で言葉を繰り返す。
一人じゃない。俺には精霊たちがいる。たとえ人間の仲間は今ここにいなくても、彼らと共に歩んでいけるのだと。
それでも、胸の奥に広がる不安は消えない。
暗闇の中に、何が潜んでいるのか。
冒険者の噂で聞いたように、魔物が群れをなして襲ってくるのか。
それとも、もっと異質で、理解できない存在が待ち構えているのか。
『主、顔が曇っていますわ』
「……そう見えるか?」
『ええ。でも、それでいいのです。油断しないのは強さですから』
『わたしはー、主がこわくてもいいと思いますー。そのほうが、ぜったい逃げ遅れませんー』
『ん、怖いから強くなる』
「……お前ら、本当に頼もしいな」
ふと、ヴァイファブールで受けた予言の言葉が脳裏をよぎる。
――あなたの“道しるべ”について、もうひとつ見えたものがあるの。
――深い穴よ。暗くて深い、底の見えない穴。その中に、きっとあるわ。あなたが進むために必要なもの。
預言めいたあの占い。まるで今の状況を予見していたかのようだ。
「……本当に、何かを見つけられるのか……?」
呟きは空気に溶け、すぐに消えていく。
答えはどこにもない。だが、足を止めることだけはできなかった。
「行くか」
『はい、主』
『がんばりましょうー!』
『ん』
こうして俺は、精霊たちと共に通路へと足を踏み入れた。
深い地の底で、薄暗いダンジョンを進む。どこまで続くかもわからぬ、仄暗いこの道を――。
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