第百五十六話「千里のハルガイト」
淡い光が、掌からゆるりと広がった。
発動させたのは改良前、初期の弱々しい浄化魔法だ。光といっても、部屋の隅で灯す豆電球ほどの明るさで、効果も微々たるものだと自分でもわかっている。
だが――。
「素晴らしい!」
目の前の千里のハルガイトが、少年のような目で身を乗り出した。長い外套の裾が床を擦り、金属の留め具がカチリと鳴る。
「お前の魔法適性は『光』か?」
「……そうですが?」
「なるほどなるほど……! やはりか! 光の魔法か!」
まるで自分が発見した新鉱脈を前にした鉱山師のような興奮ぶりだ。俺はただ淡い光を見せただけだというのに。
それからというもの、俺は何度も何度も魔法を唱えさせられた。浄化の範囲を確認したいらしい。幸い、弱いバージョンなので周囲の瘴気を完全に払うほどではなく、魔物が寄ってくることもない。
それでも――。
「おい……そろそろいいだろ?」
声に出して制したくなるほど、ハルガイトの目は爛々と輝き、俺の詠唱を一語一句逃すまいと繰り返し口にしている。
『この男、主に対してなんと無礼な……!』
『これはー、あれですねー……。痛い思いをしたいみたいですねー……!』
『いつでもやるよ? 今やる?』
耳の奥で、精霊たちが順番に毒づく。
アイレは声を低くして怒り、シュネは間延びした声ながら殺意が滲み、カエリは今にも飛びかかりそうだ。ポッコは……まあ、何も言わないが、あれは黙って怒っている時だ。
「……ん、やはり私では発動しないか」
やがて、ハルガイトは自分でも詠唱を試してみた。しかし、光の魔法はまったく反応しない。詠唱自体は完璧だ。だが、適性がなければ、魔法はただの言葉遊びになる。クェルもそうだったが、やはり適性の有無は致命的に大きい。
「なるほど……適性者なら発動可能、か……」
ぶつぶつと何かを呟きながら、彼は完全に研究者の顔になっていた。
「……もういいか? そろそろ帰りたいんだが?」
「ん? そうだな。君の浄化魔法の詠唱は覚えた。もう用はない」
ほっと息を吐きかけた、その瞬間だった。
「なら――」と言いかけた俺の言葉を、ハルガイトが冷ややかな声でかき消す。
「君はもう用済みだ。ここまで攫ったことがばれるのもまずい。ここで魔物の餌にでもなるがいい」
「は?」
「君が生きていても困るのでね、ここでさよならしようか」
その声音には躊躇も迷いもない。ただ事実を告げるように、俺の命を切り捨てようとしている。
ゆったりとした動作で、彼は腰のポーチから三つの金属球を取り出した。掌に収まるほどの大きさで、磨き込まれた表面は昼光を反射してぎらついている。
「起動」
淡々とした一言。次の瞬間、金属球がふわりと宙に浮いた。
「……っ、魔道具か」
ぞわりと背筋を悪寒が走る。
球は三つとも浮遊し、ぶん、と空気を切る音を立てて高速で回転を始めた。その速度は目で追うのも難しい。まるで生きているかのようにハルガイトの周囲を飛び回る。
ただの研究者ではない――そう思い知らされた瞬間だった。
「穿て」
再び投げられた一言。その途端、三つの金属球が矢のような勢いで俺へ襲いかかる。
あらかじめ警戒していた俺は、反射的に肉体強化魔法――ドーピーを発動済みだった。
強化された身体が瞬時に反応し、俺は横へ飛ぶ。
「っと!」
直後、地面が炸裂した。球の一撃は岩をも砕く威力で、乾いた砂塵が一気に舞い上がる。
だが、終わりではない。
金属球は弾かれたかのように軌道を変え、再び俺へ迫ってきた。
「こいつ……追尾してくるのか!?」
舌打ちしながら身をひねり、辛うじてかわす。しかし二撃三撃と避け続けるうちに、徐々に体勢が崩れていく。
足場の悪さと、容赦のない追尾。反射神経だけでは限界があった。
『主!』
アイレの叫びと共に、突風が俺の身体を押し支えた。
ぐらついた足が再び地面をとらえ、辛うじて直撃を免れる。
「助かった!」
『当然ですわ! ですが……威力が強すぎますわよ!』
舞い上がった砂煙の中で金属球が唸りを上げる。もし直撃していたら、ただでは済まなかっただろう。
「岩を砕く一撃……しかも減速してもなお、あの威力か」
冷や汗をぬぐう俺に、アイレの声が届く。
『やばいですわ。あれ喰らったら主、ミンチですわよ!?』
「わかってる!」
思考を切り替える。
精霊たちと連携しなければ勝機はない。
『ポッコ! 剣を思いっきり固く鋭くしてくれ!』
『……ん!』
短い返事。しかしそれだけで十分だ。俺の手に握られた剣がじわりと重くなり、刃が淡く光を帯びる。金属質な手応えが強まり、頼もしさが増した。
『シュネ! あれを凍らせられるか!?』
『ふふん、任せてくださいですー! すぐに冷やしてあげますよー!』
間延びした声とは裏腹に、冷気が素早く球へと絡みつく。表面が白く染まり、薄氷が広がっていった。
あれが見た目通りの金属球なら、もしかしたら壊れやすくなるかもしれない。金属は種類によって冷却で低温になると急激に割れやすくなる性質があるはずだ。
『アイレ! 俺の動きのサポートと、あれの軌道を阻害できそうなら頼む!』
『どちらもお任せください! 風で鈍らせてみせますわ!』
風の流れが変わり、金属球の速度がわずかに落ちる。
好機だ。
「まずはひとつ!」
迫りくる球に狙いを澄ませ、全身の力を込めて剣を振り下ろす。
「っぐ……! やっぱり硬い!」
手に痺れるような衝撃が走る。握力が削がれ、思わず手を離しそうになったが、気合で堪える。
そして――氷の亀裂が走り、球は粉々に砕け散った。
『お見事ですわ!』
『ん。完璧』
精霊たちの声を背に、俺は息を荒げながら前を見据える。
「あと二つ!」
ハルガイトは依然として微動だにせず、冷静な眼差しでこちらを観察していた。
まるで学者が実験の経過を見守るように。
「……人の命を賭けた実験なんて、ふざけるな」
毒づきながら振り返った瞬間――。
『主、後ろですわ!』
「おう、二球!」
振り向きざまに剣を振る。
氷の膜をまとった球が真っ二つに割れ、破片が地面へ突き刺さった。
『今度は上ですわ!』
アイレの警告に顔を上げる。
最後の一球が真上から落ちてくる。
「三球!」
剣を構え、身体をずらしながら渾身の一撃を放った。
甲高い音が響き、球は砕け散る。
残骸が乾いた音を立てて地面へ散らばり、戦場に静寂が訪れた。
荒い息を吐きながら剣を下ろす。
ハルガイトは――そんな俺を見て、ゆるやかに拍手を始めた。
「素晴らしい。まさか打ち破るとは。……やはり君は、興味深い」
ぞっとするほど冷たい笑み。
俺はその瞳から目を逸らさず、汗を拭った。
まだ、終わってない……・
そう胸に言い聞かせながら。
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