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悠久の放浪者  作者: 神田哲也(鉄骨)
第三章「ビサワ:荒野に揺らぐ光と影」

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第百五十五話「瘴気の前で」

 どれだけの時間が経ったのか。馬車の揺れがふっと止まった瞬間、俺の体は小さく前に傾いた。

 結局、やはり馬車自体が魔道具なのか、脱出することは敵わなかった。

 硬い座面に押しつけられていた腰を上げると、すぐに外から短い声が響く。


「出ろ」


 ごつごつとした低音。扉の鍵が外され、きい、と鈍い音を立てて開く。

 昼の光が、狭い車内に容赦なく差し込んできた。


 思わず目を細めながら馬車を降りる。地面は乾いた土で、草はまばら。鼻の奥をつく、鉄と腐臭が混じったような嫌な匂いが漂っていた。

 そして、顔を上げた俺の視界に――。


「……」


 言葉が出なかった。

 そこには、ぐるぐると渦を巻く黒い靄が、地平線の先まで覆い尽くしていた。

 靄の中には、時折どす黒い稲光のようなものが走る。それが空間を焼き焦がしているように見えるのは、俺の目の錯覚ではない。

 ――瘴気の渦だ。


 つい先日、レガスの背に乗って上空から見た、ビサワの大氾濫の中心地。あの瘴気の塊と、同じ景色。

 いや、間違いなく、同じ場所だ。


 ……なんで、俺はこんな所に?


 疑問が胸を満たした瞬間、背後から声が落ちてきた。


「君は、あの瘴気をどうにかできるのだろう? やってみせろ」


 やはり――俺の能力について知っている。

 それを知っているということは、昨日の首長会議の内容を耳にしているはずだ。

 だが、目の前の男は供も連れず、一人きり。馬車も御者なしで、まるで幽霊のように現れた存在感の薄さだ。


「……あなたは、何者ですか?」


 俺の問いに、男は一拍置いてから鼻で笑った。


「君が知る必要はない……と言いたいところだが、いいだろう」


 ゆっくりと頭にかぶっていた布を外す。

 現れたのは、茶色い長髪。目元が陰になってよく見えないが、年齢は中年に差し掛かったあたりか。頬は少しこけ、神経質そうな表情をしている。モノクルを左目につけ、その様相は冒険者というよりも、学者のような印象だ。


「私の名はハルガイト。金級冒険者の『千里』といえば伝わるか?」

「千里……って、あの、ダンジョン研究者の?」

「なるほど、知っているか」


 ――知っている。

 ダンジョン学の権威で、その研究の功績によって金級の称号を得たとされる冒険者。

 もともと冒険者になった理由すら「ダンジョンを研究するため」だと噂される、変わり者の学者肌だ。


「……なんで、そんなダンジョン研究者が俺を? しかもこんな、拉致まがいのことをしてまで?」


 当然の疑問をぶつけると、ハルガイトは肩をすくめ、モノクルを光に反射させて薄く笑った。


「理由は単純だよ。あの『不破の深淵』の瘴気を祓う鍵だと聞いたのでな。急遽、私の研究のために来てもらったのだ」

「研究のため……? 人を拐ってくるのが?」

「学問に犠牲はつきものだ。君が特別だからこそ、こうして呼んだのだよ。誇るといい」


 口調は穏やかなのに、内容は一切人の心を慮っていない。

 俺は無意識に眉をひそめた。


「……どこでその話を?」


 俺が調律者で、瘴気に対して浄化の手段を持つ――そんなことを知っているのは、クェル以外だと昨日の会議の出席者だけだ。

 俺の実験を直接見た人間もいない。

 つまり、こいつは――。


 考えを読み取ったように、ハルガイトは鼻を鳴らす。


「詮索は無意味だ。情報は流れる。人の口に戸は立てられん」

「つまり、会議の中に、あんたと繋がってる奴がいる……」

「ふむ? そう断定するのは早計だが……否定はせんよ」


 あっさりとかわされた。


「そんなことはどこでもいい。それよりも、目の前に瘴気が満ちている土地があるぞ? これをお前はどうする?」


 俺の問いには答えようとしない。

 ……やはり会議を盗み聞きでもしていたか。あるいは、もっと内側にいる協力者から情報を得たか。

 金級冒険者といえど、目の前の男が善人だという保証はない。


 いずれにしろ金級冒険者ということは、見た目とは違ってそれ相応の実力があるはずだ。

 こんな場所で、逆らうことは得策じゃない。


「……浄化の魔法を使う」

「浄化? 聞いたことがないな? 王都の魔法研究者どもでも研究しているとも聞いたことがない。君はどうしてそんな魔法を知っている? 君は何者だ?」


 やはり、クェルが言っていた通り、この世界には瘴気を浄化する魔法は存在しないらしい。

 魔法研究者も知らない技術を、俺が「開発した」と言ったところで、信じるはずもない。

 だから――。


「……どこで覚えたのかは知らない。俺は記憶喪失だからな」

「記憶喪失、か。都合のいい言葉だな」

「信じなくてもいい。だが、魔法は本物だ」


 数秒の沈黙。やがてハルガイトは「ふん」と笑った。


「まあいい、君の過去などどうでもいい。私は結果さえ見られれば満足だ。さあ、早速その魔法を使ってみろ」


 促されるまま、瘴気の渦へと向き直る。


「ひとついいか?」

「なんだ?」

「瘴気を浄化すると、恐らく魔物が向かってくる可能性がある。その対策は大丈夫か?」

「魔物……? そうか、瘴気に異常があれば察知されるのか。ふむ、面白い。記録しておこう。魔物相手なら、そうだな、誤魔化しようはある。気にせず使うがいい。さあ、早く」

「……わかった」


 俺は深く息を吸い、右手を瘴気へとかざした。

 視界の端で、風の精霊アイレが顕現しそうになっては引っ込み、水の精霊シュネがそわそわと周囲を見回している。土の精霊ポッコは相変わらず姿を見せない。


『カエリ、聞こえるか?』


 クェルのもとにいるであろうカエリに念話を送る。

 しかし、いつもならすぐに返ってくるはずの返答はなかった。


『カエリ? 念話が聞こえないのか?』


 何度か送ってみるが、やはり返答はない。


「なんだ? さっさとその魔法を見せるんだ」


 なかなか魔法を使わない俺にヒルガイトの催促が飛ぶ。

 俺は仕方なく魔法を使う準備をする。

 胸の奥で魔力の流れを整える。

 俺の声が、空気を震わせる。


『命の精霊よ。この地に充満する悪しき瘴気を清め、浄化せよ。プリフィケーション』


 魔法は発動し、手のひらが淡く光り出した。

 光は水面に広がる波紋のように前方へと流れ、瘴気を少しずつ薄くしていった。


最後までお読みいただきありがとうございます!

あなたの貴重なお時間を物語に使っていただけたこと、とても嬉しく思っています。

ちょっとでも楽しんでいただけたなら、何よりです!


もし「いいな」と思っていただけたら、

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これからも【悠久の放浪者】をどうぞよろしくお願いします!

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面白くてここまで一気に読みました……が,毎話後書きが気になってちょっと残念です。 「拝読」とは「目上の人が書いた物をありがたく読ませていただく」という謙譲語で,作者が読者に使う言葉ではないので,毎話…
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