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悠久の放浪者  作者: 神田哲也(鉄骨)
第三章「ビサワ:荒野に揺らぐ光と影」
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第百五十三話「首長会議」

20万PV達成しました!

ありがとうございます!

 何枚もの敷布団が重ねられた寝具が、目の前にどんと鎮座していた。

 まるで日本の伝統的お笑い番組の、座布団をたくさん重ねた状態とでもいうような。登るのに軽く覚悟が要る高さだ。横から見ると、布団の層が地層みたいにくっきり見えて、それぞれがふかふかそうに膨らんでいる。柔らかさが視覚からでも伝わってくるが、下手に足を滑らせたらそのまま転げ落ちそうだ。そんな奇妙な緊張感を抱えつつ、俺は慎重に登っていく。

 登るときにちょっと足を滑らせそうになる。布団のふちをつかみ、バランスを取りながらよじ登っていくと、足元で布団がわずかに沈み、ふわりとした感触が体を包み込む。

 上にたどり着くと、そこは小さな高台のようで、視線が普段より高くなるのが妙におもしろい。


「なんだこれ……日本の城の天守閣にでも上った気分だな」


 思わず口の端が上がる。けれど、落ちたらちょっと危なそうな高さだ。油断はできない。

 いざ腰を下ろすと、ふわっと全身を包み込む柔らかさに思わず息が漏れた。上質な綿や羽毛を惜しみなく詰め込んでいるのだろう。重ねられた厚みが、沈み込みすぎず、それでいて包まれるような感触を生み出していた。

 潜り込むと、鼻先にほのかな草花の香りが漂う。洗い立ての布の匂いに、どこか森の清浄な空気が混ざったような香りだった。


 ――あっという間に眠りに落ちた。


 朝、目を覚ました瞬間、脳裏にぽつんと浮かんだのは「そういえば、体を洗ってなかったな」という思いだった。昨日のクェルとの手合わせからウルズ様との会談、精神的な疲労もあって、すっかり失念していた。俺は軽く腕を曲げ、鼻先に近づけてみる。自分の匂いを嗅ぐなんてあまり行儀のいいことじゃないが、寝起きのぼんやりした頭では、それしか確認方法が思いつかなかった。


 うん……正直、あまり爽やかとは言い難い。


 そのとき、脳内にやわらかい声が響いた。


『あるじー、私が綺麗にしてさしあげますよー』


 間延びした、でもどこか楽しげな声。水の精霊のシュネだ。

 彼女の「綺麗にする」という言葉が、具体的にどういう方法を指しているのかまでは、寝ぼけた頭では深く考えるのが面倒だった。


『じゃあ、頼む』


 短くそう答えると、すぐに弾むような声が返ってくる。


『はーい!』


 次の瞬間、全身がふわりと白い蒸気に包まれた。

 ミスト? 蒸気? 霧? どれが正しいかは分からない。ただ、白くやわらかなそれが、呼吸のたびにひんやりと喉を通り、肌の表面を滑っていく。ほんのり冷たい……いや、心地よい温度だ。

 全身が撫でられるような感触に、思わず目を閉じる。外界の音が遠のき、感覚だけが鮮明になる。肌の隅々から何かが剥がれ落ち、消えていくような、そんな爽快感。


 数秒後、『終わりましたー』と、再びのんびりとした声が響いた。


 目を開けると、さっきまでの白い蒸気は跡形もなく消えていた。腕や手の甲に視線を落とす。……見た目では大きな変化はないが、肌がすべすべしている気がする。それ以上に、体全体が軽く、空気の通りが良くなったような感覚があった。

 鼻先に手を近づけてみると、昨日までの汗や土埃の匂いは感じられない。森の清浄な香りに似た、すっきりとした匂いがする気がした。


「シュネ、すごいな……」


 思わず呟くと、『えへへへー』と、くすぐったそうな声が返ってきた。


 間もなく、マヌスさんが部屋にやってきた。

 彼は俺に用意された服と、体を拭くための布を差し出してくれたが、正直、もう十分にさっぱりしている。とはいえせっかくの好意を無下にするのも気が引けるので、軽く体を拭き、用意された服に袖を通した。落ち着いた色合いの、柔らかな布地の服。動きやすく、それでいて品のある仕立てだった。


 朝食の席では、ウルズ様が穏やかな笑みで俺に話しかけてくる。


「よく眠れましたか?」

「快適でしたか?」

「服の着心地はどうです?」


 その一つひとつに、俺は丁寧に返事をする。美しい金髪の隙間から覗く鹿のような枝角が、朝の光を受けてほのかに輝いていた。その神々しさに、正直少し緊張してしまう。


 会話の中で、俺がマヌスさんを「マヌスさん」と呼んでいることにウルズ様が気づいた。結果、当然のように「では私のこともウルズさんと呼んでください」と指摘される。立場的にかなり恐れ多いので固辞しようとしたが、ウルズ様はそれを認めてはくれなかった。


 そして食後、「そろそろお暇を……」と言い出す隙を探していたのだが、流れるように話が進み、気づけば俺はウルズ様とマヌスさんに連れられ、ビサワの重鎮たちが集まる会議の場へと向かっていた。


 ビサワの会議場は、思っていた以上に圧迫感があった。

 巨大な天幕の中心部にある、さらに大きな天幕。その中に議場はあった。

 中央には磨き上げられた木製の円卓が据えられ、その周りを各種族の首長たちが囲んでいる。円卓の光沢には年月と手入れの跡が感じられ、場の重みを象徴しているようだった。

 高い天井には古木の梁が渡され、壁際には色とりどりの紋章旗が並ぶ。それぞれがこの場に集まった首長たちの部族を示しているのだろう。けれど、視線は旗ではなく、ただ一点――この円卓に座る俺に集まっていた。


 峻厳山羊族、紫猿族、晶豹族、遥草馬族、黒蜥族、實鬼族――それぞれの首長や副首長が、威厳ある衣装や装飾品を身につけている。宝石や金属、動物の牙や羽など、どれも一点物だろう。年齢は見当もつかないが、表情や姿勢からは長年の経験と権威が滲み出ている。

 その中に玄鹿族のウルズ様とマヌスさん、そして――なぜか俺。どう考えても場違いだ。


 俺は椅子に腰を下ろしながら、背筋が自然と伸びるのを感じた。視線が、空気が、重い。まるで全員が、俺の存在意義を無言で問うているようだった。


 興味、警戒、嘲笑、そして無関心。視線の種類はさまざまだが、どれも「同等の仲間」としてのものではない。値踏みする目、観察する目、突き放す目。まるで珍しい獣でも見ているような感覚が、肌に突き刺さる。

 俺は彼らの中で完全な異物だった。


 議題は、議長であるウルズ様が言っていた「不破の元・深淵と都市クミルヒースの奪還作戦」について。

 ウルズ様は会議に先立って、予言の内容を皆に伝えた。そして、俺こそが要となるのだと。


 峻厳山羊族、遥草馬族、實鬼族はウルズさんに同調し、賛成の立場を取ったが、紫猿族、晶豹族、黒蜥族は露骨に反対。むしろその中の紫猿族の首長は、冗談のように俺を深淵に放り込めばいいとまで言い放った。


「――調律者なのだか知らないが、ならばそれであの瘴気が消えるのだろう?」


 ……まじか。あの瘴気の渦に、俺を突っ込ませるだって?

 流石に本気でやるつもりはないだろうが、そんな提案が冗談でも出るということは、この場にいる俺をそれだけ軽んじているという証だ。背筋を冷たいものが這い、指先がわずかにこわばった。


「……いくら調律者でも、そのような役目を負う方ではありません。予言では、我らの地に調停をもたらすとありました。丁重に扱うべきかと思いますが?」

「……チッ。予言か」


 会議は紛糾していたが、俺はほとんど置物のような存在だ。

 それは当然といえば当然だ。ビサワの情勢や部族間の関係、過去の経緯など、何も知らない。口を出すにも出しようがない。それに、俺は突然ここへ連れてこられた身。発言権があると誰も思っていない。

 それぞれの思惑や現実的な問題点などが議論されて、決定され、また次の議論へ。

 何度か休憩を挟んだりして、気が付けばとうに日は傾きかけている。


「……それで、実際その調律者とやらの君にも伺いたい。可能なのかね?」


 声をかけてきたのは、峻厳山羊族の首長――スイバーダと名乗った人物だ。

 山羊らしい豊かな顎鬚をゆっくり撫でながら、まるでこちらの内心まで見透かすような老獪な視線を送ってくる。

 何が可能なのか――明言はされていない。だが、何を問われているのかは察しがついた。あの瘴気の除去についてだ。


「……小規模のものなら、既に除去できます。しかし、あの規模と濃さとなると、現状ではできるかどうかわかりません」


 答える声は、思った以上に落ち着いていた。内心はもっとざわついていたが、感情を表に出せば、それこそ「頼りにならない人間」と笑われるだけだ。


「……ふむ。なるほどのお」


 スイバーダは深く頷き、また顎鬚を撫でた。それ以上の追及はなかったが、他の首長たちがどう受け止めたのかは分からない。紫猿族の首長は鼻を鳴らし、晶豹族の首長は小さく肩をすくめ、黒蜥族の首長は面白くなさそうに尾を打ちつけた。


 最終的に、多数決で三年後を目途に奪還作戦を敢行することが決まった。

 ビサワの代表者と呼ばれるエルフたちは森の奥に引きこもっていて、こうした対外的な交渉や方針決定はすべてこの首長会議で行われるらしい。つまり、今決まったことがビサワ全体の方針になるわけだ。

 この会議の首長は毎回二~三人入れ替わる持ち回り制だそうで、ウルズ様とマヌスさんは今回が初参加だという。ウルズ様が自ら予言の件もあって参加を願い出たらしい。

 ビサワの中でも重要な決定事項にかかわる予言を行う巫女でもあるウルズ様は特別な権力を持っているようで、特に反対はなかったとのこと。

 会議の中での発言も、かなり重要視されていた印象だった。


 長い長い会議が終わった時、俺は正直、ほっとしていた。

 やっとこの場の重苦しい空気から解放される――そう思って、帰ることを申し出たのだが、ウルズ様に「申し訳ありません」と柔らかく、しかし有無を言わせぬ口調で引き留められた。どうやら会議は明日が最終日、会議が終わるまで俺にはいてほしいらしい。


 仕方ない。完全に部外者の俺ができることは限られているが、ここで無理に帰れば余計に角が立つ。そう考えて、もう一日だけ付き合うことにした。


 夜は、豪華な天幕と共に豪華な食事が用意されていた。

 皿に盛られた肉は香草と共に焼き上げられ、芳ばしい香りが鼻をくすぐる。スープは透明感のある黄金色で、口に含むと深い旨味が広がった。だが、その美味しさよりも困惑のほうが勝った。


 なぜなら、その食事を「あーん」と口元まで運んでくるのが、他ならぬウルズ様だったからだ。

 鹿のような枝角を持ち、金髪を月光に照らしたように輝かせる彼女は、神話の登場人物のような存在だ。そんな人が俺の食事を介助しようとしてくるなど、心臓に悪い。


「……あー、えっと、自分で食べられますけど……」

「お気になさらず。これは私の役目ですから」


 笑顔で返されると、強く断るのもはばかられる。結局、数口は観念して食べさせられた。


 風呂も用意されていたが、さすがにそれはマヌスさんに変わってもらった。

 着替えについては、全力で拒否した。「自分でできますから!」と、思わず声を強めてしまったくらいだ。ウルズ様は少し寂しそうに笑ったが、無理強いはしてこなかった。


 ……明日の会議はどうなるのか。

 その予想もつかないまま、夜は更けていった。


最後までお読みいただきありがとうございます!

あなたの貴重なお時間を物語に使っていただけたこと、とても嬉しく思っています。

ちょっとでも楽しんでいただけたなら、何よりです!


もし「いいな」と思っていただけたら、

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コメントも大歓迎です。今後の執筆の原動力になりますので、

どんな一言でも気軽に残していただけたら嬉しいです。


これからも【悠久の放浪者】をどうぞよろしくお願いします!

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― 新着の感想 ―
こういう時は他の首長達にしっかり根回ししておくべきだと思います。「深淵に放り込めばいい」なんて声でケイスケがへそを曲げたら計画がパーなのに何を考えているのか。結局ウルズもケイスケを下に見ているからこん…
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