第百五十話「闖入者」
「うおおおおおおおっ!!」
轟く咆哮が闘技場に響き渡った瞬間、観客席にどよめきが広がった。土煙の中から飛び出したのは、漆黒の毛並みをもつ狼の獣人、バルバ。その眼光は鋭く、牙をむき出しにして、今まさに相手へと飛びかかろうとしていた。
対するは、筋骨隆々とした体を包む分厚い毛皮の熊の獣人、キルク。彼女はその巨躯を低く構え、身の丈ほどもある大剣を両手に握りしめていた。
「始まったね」
クェルが隣で声を漏らす。
「……ああ」
俺たちは準決勝の第一試合を観戦していた。試合は三日目、残すところあと三試合。
昨日まではお互いの力量差が明白な試合が多かった。けれど、今目の前で繰り広げられているのは――まさに拮抗。甲乙つけがたい戦いだ。
「キルクは、前回大会で上位だったんだよね?」
「そう。キルクは三位」
「なるほど。でもバルバもすごいな」
言いながら、俺は息を呑んだ。
バルバの連撃がキルクの大剣に阻まれ、火花が散った。そのままバックステップで距離を取ると、今度はキルクが前進――いや、突進した。
大剣を振り下ろす、というより叩きつける。圧倒的な質量と速度の合成攻撃。だが、バルバは咄嗟に飛び退いて躱した。その脚力と反射速度は、獣人のそれを越えているように思える。
「お互いに楽しんでるな」
「うん、分かる。全力を出し合える相手って、そういないから」
試合中、ふたりは時折言葉を交わしていた。
「やるじゃねえか、キルク!」
「お前こそ、速すぎるんだよ! 牙、抜いてないだろ!」
笑いながら拳と剣がぶつかり合う。その姿は、単なる戦いではなく――どこか、仲間同士の模擬戦のようだった。
それでも、一歩間違えば命に関わる攻撃ばかりだ。遠慮はない。けれど、どこかで信頼しているようにも見える。不思議な空気がそこにあった。
やがて、一時間が経過した頃。
バルバの回し蹴りがキルクの腹をとらえた。鈍い音とともに彼女の体が宙を舞い、地に伏す。
一瞬の静寂。そして――。
「よく戦ったな、キルク」
バルバは静かに彼女へと手を差し伸べた。キルクは苦笑いしながら、その手を掴む。観客席からは惜しみない拍手と歓声が沸き起こった。
「……いい試合だったな」
「うん。……ああいう戦い、ちょっと憧れるかも」
クェルの言葉に、俺は頷いた。バルバの勝利に異論はない。けれど、キルクもまた全力を尽くしていた。まさに、勝敗を超えた何かを感じさせる試合だった。
「にしても、強かったな」
「そうだね。あのペースでやられたら、私も危ないかも」
「ノッてる感じしたもんな」
バルバは昨日の試合ではそこまで印象に残らなかった。だが、今日の彼は違った。全身を使い、知略も交えて戦い、そして相手を讃える。
俺じゃたぶん、勝ち目はない。魔法が使えればまた別かもしれないが、今の実力では到底敵わない。
そして迎えた、準決勝第二試合。
登場したのは、前回準優勝の虎の獣人ライザン。全身に黄色と黒の縞模様を持つ、三メートル近い巨体の闘士。武器は巨大な鉄槌。まさに猛獣そのもの。
対するは、今回初出場の豚の獣人、グド。体格はさらに一回り大きく、もしかしたら四メートルあるかもしれない。見た目通りのその筋力と耐久力は規格外。
「……この試合は分かりやすいかもな」
「うん、私もそう思う。あのグドって獣人、すごく頑丈そうだけど……」
クェルの目が鋭くなる。
「動きが、重いよね」
「そうそう。ドシン、ドシンって感じでさ。力押しでなんとかしてるけど、ライザンに通じるかは……」
実際、試合が始まると、それはすぐに明らかになった。
グドの重たい突進は、ライザンに軽々と捌かれる。鉄槌の一撃すら躱され、カウンターで脇腹に直撃を受けるたびに、大きな体が揺れた。
そして、十五分後には勝負が決していた。ライザンの渾身の一撃――鉄槌がグドの膝を粉砕し、その巨体を地に沈めた。
「……すげぇな、あれ」
「うん、あの筋肉だけであそこまで機動力あるの、本当に反則だと思う」
冗談めかして笑うクェルだけど、目は真剣そのものだった。
ライザンには、勝てるビジョンが湧かない。力でも、速度でも、経験でも――完全に上だ。
「……クェルなら、どう戦う?」
「んー、まず全力で逃げて、毒を塗った針でも投げるかな?」
「毒って……」
「それくらいやらないと、勝てそうにないってこと」
「ああ、なるほど」
笑って言うその横顔が、ほんの少しだけ、怖かった。
その後試合は続き、順位は以下の通り。
なんというか、そのあとの試合は予想通りの結果となった。
優勝者は虎の獣人、ライザン。
準優勝が狼の獣人、バルバ。
三位は熊の獣人、キルク。
そして四位が豚の獣人、グド。
こうして今大会の順位は決定した。
――そして。
「ちっくしょう!」
賑わいの残る闘技場跡地に、ダッジの叫びが響いた。まるで自分が負けたかのように悔しそうな顔をして、彼は拳を地面に叩きつけていた。
三位決定戦に賭けた金は、見事に溶けて消えたらしい。豚の獣人に賭けたときは、目が本気だった。あのときのダッジの熱弁は、まるで名演説家のようで、「豚の筋肉は誇り高い」だの、「回転しながら槌を振り下ろす力は計算外」だの、まるで未来が見えているかのようだったのに。
「クェルの予想に乗っておけばよかったのに」
俺がそう言うと、クェルは隣でフンと鼻を鳴らす。彼女は三位決定戦でキルクを推していた。結果はその通り。
「ぐ……。し、仕方ねえだろ! あの倍率見たら、賭けたくなるじゃねえか」
ダッジは耳まで真っ赤にして唇を噛んでいる。らしいといえば、らしい。
「かといって、金額を考えろよ」
バンゴが言葉少なに呆れたように言い、ズートは無言で肩をすくめる。三人組の表情には、それぞれのキャラクターがにじみ出ていて、こういうやりとりを見ているだけでも退屈しない。
表彰式が始まり、観客席から視線を送ると、優勝したライザンが、壇上に上がっていた。堂々たる立ち姿。3メートル近い巨躯に、金と黒の縞模様が光に照らされている。
ウルズ様が歩み寄り、彼の頭に冠を被せる。鹿のような枝角を持つ神々しい姿と、荒々しい猛獣が並ぶ様子は、どこか幻想的ですらあった。拍手と歓声が鳴り止まない。
ライザンも、ビサワの大氾濫の災厄の地に挑むのか……。
「……ケイスケ、今夜も手合わせする?」
クェルが横から声をかけてきた。真剣な目でライザンやバルバ、キルクを見ている彼女。
「ああ、頼む」
その横顔を見て俺も自然と心が引き締まる思いがした。
その夜。
空には薄雲がかかり、月はぼんやりと光を漏らしている。昼間の喧騒が嘘のように静まり返った広場で、俺たちは剣を交えていた。
昨日と同じように、クェルは肉体強化魔法を駆使して俺に迫ってくる。蹴り、踏み込み、跳躍――一瞬のうちに数メートル移動するあの爆足は伊達じゃない。まさに“爆足のクェル”の名の通り。
「はいっ、そっち甘い!」
「くっ……!」
俺はギリギリで剣を交差させて受け止める。火花が散る。だが、クェルの突進の威力に、俺は大きく後退させられた。
「今の……二段階で加速しなかったか?」
「ふふーん。気づいた? 加速してる途中でもう一回地面を蹴ってみたんだ」
戦いながら、そんな会話を交わす。気がつけば、俺も全力で魔法を試していた。火、水、風、土、光――様々な系統を織り交ぜ、剣技と組み合わせて応戦する。
試し、話し合い、調整し、そしてまたぶつかる。それを何度も繰り返した。
「しかしケイスケ、魔法のバリエーションほんっと多いねぇ。攻略しがいがあるよ」
「おかげで、どこまで通用するか、実戦の中で試せる」
クェルとの手合わせは、いつも実りがある。ただの模擬戦とは思えないほど、技術も知識も向上する。こんなに真剣に戦いながら、笑い合える相手はそういない。
――そんな時だった。
『主、何やら囲まれてますわ』
アイレの声が頭に響いた。
「……クェル」
「どしたの? ……って、そういうこと?」
一瞬で俺の気配の変化を察し、彼女は表情を引き締めた。剣を構え、背中合わせになるように位置取りを変える。
暗がりの中、物音ひとつ立てずに近づいてきた影たちが、ゆっくりと姿を現した。数は10人。やや離れた位置にも2人の気配。いずれも顔をフードで隠し、動きには無駄がない。
「……訓練された兵士だな」
「だよね。しかも、こっちの手合わせを黙って見てたんでしょ? 結構失礼じゃない?」
クェルが笑いながらも剣を下げないまま、声をかける。
「あんたら、何者?」
沈黙を破るように、前列の男がフードを外した。犬の獣人だ。年のころは四十代半ば。整った体躯に、油断のない眼光。幾度も修羅場をくぐってきたとわかる風格があった。
「夜分に恐れ入る。宿に向かったら、いなかったものでな」
低い声。落ち着いた口調。感情を抑えたような声音には、警戒を解く意図もあるのだろう。
「用があるのは私? それとも――」
「そちらの、少年のほうだ」
クェルの言葉に被せるように、男が言葉を継いだ。
「私は水森の里の衛兵隊長、ヘクトルという。君の名を聞きたい」
その視線は、まっすぐに俺に向けられていた。真意を量るように、真っ直ぐに――まるで、試されているかのようだった。
……俺に何の用だ?
俺は、そっと剣を下げながらも、気を緩めることはなかった。
そして、この出会いが、次なる波乱の序章であることを、俺はまだ知らなかった――。
最後までお読みいただきありがとうございます!
あなたの貴重なお時間を物語に使っていただけたこと、とても嬉しく思っています。
ちょっとでも楽しんでいただけたなら、何よりです!
もし「いいな」と思っていただけたら、
お気に入り登録や評価をポチッといただけると、とても励みになります!
コメントも大歓迎です。今後の執筆の原動力になりますので、
どんな一言でも気軽に残していただけたら嬉しいです。
これからも【悠久の放浪者】をどうぞよろしくお願いします!