第百四十七話「前回二位の実力」
「おっ!」
バンゴの声が響いた瞬間、俺たちの視線が一斉に闘技場へと向けられた。どうやら状況が大きく動いたようだ。闘技場の中央、狼の獣人バルバが、設置されている石の柱を拳で粉砕し、その破片を撒き散らすように飛ばした。
「うお、やったな……!」
それはただの牽制じゃなかった。石礫が舞う中、その隙を縫うようにバルバは一気に懐へと飛び込んでいた。
そこから先は、まさに圧倒的だった。
相手は鹿の獣人ローイ。長柄の槍を得意とする闘士だ。だが、間合いを取る暇もなく、バルバは猛然と打ちかかった。拳、肘、膝、脚。連撃。連撃。連撃。ドーピーで肉体を強化されたその動きには無駄がなく、まるで鍛え抜かれた武道家のような手数と鋭さを持っていた。
ローイは防戦一方だった。槍は間合いを活かしてこそ武器になるが、ここまで密着されたらむしろ足枷だ。何度か距離を取ろうと後退を試みるも、バルバはまるで張り付いたように食らいついて離れない。まじで噛みついている場面もあった。回避の隙を与えず、連打を浴びせ続ける。
そして──。
「おおぅ、入った!」
バンゴが呻くような声を漏らした。俺も見ていた。
バルバの拳が、鹿の腹部に深く沈み込んだ。重心が浮いたローイは、そのまま後ろへ吹き飛ばされ、地面を転がって動かなくなった。審判が飛び出して、手を挙げる。
「勝負ありっ!」
「うしっ! 勝った!」
ダッジが両手を突き上げた。声には喜色が滲んでいる。思わず俺も小さく頷いてしまう。狼の獣人、あのバルバは実力者だ。
会場中が沸き返る中、楽団が派手な演奏を始めている。試合の整地が始まり、次の対戦者が呼ばれる。その合間──。
「ねえ、ケイスケ」
クェルが唐突に声をかけてきた。
「どした?」
「今日さ、夜にちょっと、手合わせしない?」
思わず横目で彼女の顔をうかがった。クェルが俺に手合わせを求めてくるなんて、ちょっと珍しい。いや、だいぶ珍しい。
彼女は俺の視線に気づいた様子もなく、いつもの軽い調子で微笑んでいる。
「いいけど……どうしたんだ、急に」
「ううん、ちょっと思うところあってね。じゃあ決まりね! 夕食とったら、外行こっか」
「了解」
そこまで話したところで、次の試合の闘技者が入場してきた。
会場が、まるで地鳴りのような歓声に包まれる。
「おおっ、来たな……!」
闘技者の一人は、長い尾を持った猿系の獣人。棍を持ち、足取りは軽快。まるで風のように舞うような身のこなしだ。その姿は、どこか西遊記の孫悟空を思わせるような佇まいだった。もちろん頭に輪などはつけていないが、その自信に満ちた目といい、跳ねるような動作といい──間違いなく観客を沸かせるタイプだ。
そしてもう一人。
「うわぁ……でっけえ」
もう一人の闘技者が姿を現した瞬間、周囲がどよめきに包まれた。
「……あれは、見るからに強いな」
俺は呟いていた。
その男は虎の獣人だった。前回大会で準優勝した猛者。体格は並じゃない。目測でも三メートル近くある。鋼のような筋肉を纏い、全身に黄色と黒の縞模様を纏っていた。
その手に持つ巨大な大槌。
「……あれ、俺の剣を変化させたのと同じくらいあるぞ……」
『確かに、ポッコの力で大きくした主の剣と同じくらいですわね。でも、主のはもっと大きくなりますわよ』
アイレが俺の呟きに反応し、何故かあれに張り合うような念話を返してきた。
あの槌。俺がポッコの魔法で変質させた黒魔鉄の大剣、大槌モードに近い。つまり、普通の人間には持つことすら困難な重さだ。それを軽々とライザンは担いでいる。
「……勝ちはあの虎の一択だろう」
ズートが、珍しく口を開いた。
「うむ、異論はねえな」
バンゴも頷く。
観客席もざわつきながらも、期待の声が高まっていく。
「猿のほう、クウダって名前らしいよ」
クェルが情報を教えてくれた。
「そっちは?」
「虎のほうはライザン。あたしらと同じ、東の地方出身らしいよ。前回二位。決勝で僅差で負けちゃったんだってさ」
ライザンという虎の獣人は、まさしく“王者”だった。
闘技場に立ったその姿には、ただならぬ威圧感がある。筋肉の鎧を纏った三メートル近い巨体。黄色と黒の縞模様が鋭く目を引き、毛並みは艶やかで威厳に満ちている。その重厚な存在感に、俺は思わず息を呑んだ。
向かい合うのは猿の獣人――クウダ。風のように軽やかに跳ねる、しなやかな体躯。薄い布をまとった衣装は軽装そのもので、戦いの舞台というよりは踊り子のような身のこなし。だが、その身から迸る気迫は、ただの軽業師のものではない。
試合開始の合図も、もはや意味をなさなかった。
ライザンは静かにそこに“在る”だけ。だが、その一歩一歩がまるで大地を揺るがすような存在感だった。
一方のクウダは、猿特有の落ち着きのない動きで周囲を飛び回りながら機をうかがっている。細身の棍を両手で握り、華麗に跳ね、舞う。翻弄するように距離を取りながらも、じりじりと間合いを詰めていく。
「キエエエエエエ!」
突然、クウダの咆哮が響き渡った。野太く、腹の底から絞り出された声だった。まるで、自分を奮い立たせるための号令のように。
普通なら笑いそうになるような行為。だって、そんな声を上げれば攻撃のタイミングなんて丸わかりだ。でも笑えなかった。それでも攻めるしかなかったのだろう。ライザンには、隙というものがなかったのだから。
棍が振るわれる。空気が裂けた。だが――。
バシィッ――。
「……マジか」
呆然と声が漏れたのは、俺か、あるいは観客の誰かだったか。
ライザンはその一撃を、なんと片手で、真っ向から受け止めていた。
しかも、微動だにせず。膝も、腰も、肩も――まるで山のようにどっしりと構えたままだった。
クウダの攻撃が軽いはずがない。予選で彼が岩を粉砕し、複数の獣人を一撃で吹き飛ばす姿を、俺は目の当たりにしている。それを、まるで小枝を受け止めるかのような、そんな感覚で片手に収めてしまった。
「くそっ!」
クウダが距離を取り、再び気合を込めて棍を振るった。
「キエエエエエ!」
二撃、三撃、四撃――次々と繰り出される連撃。跳ねるような足取りから生まれる変則的な軌道。それでも、ライザンは全てを受け止めた。棍の攻撃を手で受け流し、時に足で払い、時に肩で受けてそのまま流す。
まるで、鍛え抜かれた守りの達人だ。
ライザンは、一歩も動かない。攻撃も返さない。ただ、そこに“在り”、受け流すだけ。普通なら、反撃できない理由があるのだと見るだろう。だが、この状況では違う。――あえて、攻撃しないのだ。
試合を支配しているのは、明らかにライザンだった。
数分後、明らかに息が上がっているのはクウダのほうだった。肩で息をして、汗が滲み、動きに切れがなくなってきている。それでも攻め続けるしかない。なぜなら、そうしなければ何も起こらないからだ。
そして――。
「もう終わりでいいか?」
低く、落ち着いた声が場に響いた。
「……何だと?」
「もう、気はすんだのかと聞いている」
静かだが、確かな自信が滲み出ていた。
ライザンが、初めて動いた。
たった一歩。その一歩に、俺は背筋が凍るような感覚を覚えた。重いものが、確かに動いた。気のせいではない。クウダも同じように感じていたのだろう。
「ッ……!」
クウダが一歩後ずさる。ライザンがさらに一歩踏み出す。そのたびに、クウダは後退する。獣人らしい敏捷さが、今は完全に逃げの動きになっていた。
そうして、背後にある巨大な岩に突き当たったクウダは、慌ててそれに飛び乗った。
だが、それが終わりの合図だった。
ライザンが槌を持ち上げた。
俺の目にはそれが巨大な肉叩きに見えた。打面には無数の突起があり、重さも凶悪さも、ただの武器の範疇を超えている。あれを喰らえば、まともな身体ではいられない。
その凶器が――振り下ろされた。
ドォンッ!!
地鳴りが走る。
岩が粉砕された。文字通り、粉々に。破片が爆風のように飛び散り、観客席がどよめきに包まれる。
地響き、振動、轟音。観客席の子どもが思わず泣き出すほどの衝撃。
それでも、クウダはかろうじて逃げていた。間一髪で岩の上から飛び退いていたのだ。
だが――その顔には、もう戦意がなかった。
降参の意思表示。クウダが棍を投げ捨て、両手を掲げた。
ライザンはそれを見て、ゆっくりと槌を肩に担いだ。そして、初めて小さく笑った。
試合終了の合図と同時に、会場全体が歓声に包まれる。まるで、嵐の後に晴れ渡った空のような、そんな清涼感があった。
「……化けもんだ」
俺は思わず呟いた。クェルが隣で「うへー……」と声を漏らす。
ライザン。前回大会では敗れ、二位だったという。――この強さで、それでも一位じゃない?
「……あれは、私じゃ勝てないかも」
隣でそうつぶやいたクェルの声には、滅多に聞かない重みがあった。
それにしても、前回二位だということは、あのライザンを下して優勝した者がいる。俺はその事実にただただ驚いた。
「前回の優勝者は、竜人の戦士だったらしいわよ」
「……なんで?」
なんでわかったんだ?
クェルの言葉に、思わず聞き返していた。なぜ俺が考えていることが分かったのか。そんな驚きとともに、じっとクェルの横顔を見る。
「んー? なーんか、そんなこと考えてるなーって、思っただけよ」
つまり、勘ってことらしい。それとも俺がわかりやすい顔でもしてたのか……?
それにしても竜人か。聞いたことはあるが、実際に会ったことはない。噂では、肉体も魔力も高水準で、長命で、そして――とにかくプライドが高い。
「色々と、強烈そうだな?」
「そうかもね」
クェルは冗談めかして言うが、その目には微かな緊張の色が混じっていた。
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