第百四十三話「視線と言葉」
言葉が、音となって降り注いだ。
「……皆様の前に姿を現すのは、初めてのことになります。私は玄鹿族首長、ウルズ・ヒューグルリュン・リリーヒスと申します。此度の会合では、総議長を務めさせていただいております」
それはまさしく「声」ではあったのだけれど、人間の喉から発せられる音とはまるで違っていた。響き渡るというより、耳元にそっと囁くようにして届いてくる。その声に、場内はしんと静まりかえる。
「美しい……」
思わず、声が漏れた。
それほどまでに、彼女の言葉は『旋律』だった。
『主、あの人、風の魔法……じゃない。波の魔法を使ってるみたいですわ』
その旋律に酔いしれていると、アイレの念話が頭に響いた。
『……波の魔法? そんなのがあるのか?』
『ええ……。風の魔法でも同じようなものはありますが、これはきっと、波の魔法と呼ばれるものだと思いますわ』
風のように揺れ、響く声。でも、それは風ではない。目に見えない何かが波紋のように広がり、俺たちの鼓膜にだけ届いている……そんな不思議な感覚。
これが波の魔法だというのなら、空気を振動させて、俺達それぞれに、直接この『旋律』を届けているのだろうか?
ウルズ様の『旋律』は続く。
「此度私がこのような会場に足を運んだのは、ひとえにある土地を取り戻したい。その心のみです。皆さんも覚えているでしょう。『ビサワの大氾濫』という災厄を。失った命を。失った故郷を」
その言葉に、観客たちが息をのんだ。
ビサワの大氾濫――ビサワの地に刻まれた災厄。まだほんの数年前の出来事だというその災厄は、今までに類を見ないものだったという。
大地を埋め尽くすほどの魔獣と魔物。そして、その後に発生した、全てを飲み込むような瘴気。
「この闘技大会は、近年、故郷を取り戻すための戦士を募る場でありました。闘技大会で上位三位までの方々には伝えてあります。いずれはビサワの為にその力を捧げて欲しい、と。そう、今までは皆さまに伝えてはいませんでしたが、状況が変わりました」
場内に、一瞬のざわめきが走る。だが、すぐにまた静寂が戻る。
それだけ、彼女の言葉には力があった。
ウルズ様は、ふと目を伏せた。そして、その目線がゆっくりと下へと向かう。
なぜだろう――その目が、俺を捉えている気がした。
いや、気のせいじゃない。あのときと同じだ。馬車の窓から、視線が交差したあの感覚。
「……」
ぞくり、と背筋を走る感覚。
けれど、その感覚に不快はなかった。むしろ、不思議と穏やかで、心が震えるような、そんな感覚。
「……ねぇ、ケイスケ。なんか、今、見られてなかった?」
隣でクェルがこっそりと囁いてくる。やっぱり、気のせいじゃなかった。
「……たぶん、な」
「……なんで、あんなお偉いさんに目ぇつけられてるの? また何かやったんでしょ!?」
「……またってなんだよ。なんにもやってないって」
「……ほんとー?」
なんなんだ、一体?
一度なら偶然かと思えたが、二度となれば話は別だ。
ウルズ様の目と言葉に、俺はただ困惑するしかなかった。
「状況が変わった」という、その一言の意味――あの人が何を見て、何を知って、何を決意したのか――俺にはわからない。
ただ、あのときと同じだった。
目が、俺を――いや、俺の方角を――まっすぐに見据えていた。俺の何かを見透かすように。確信を持って。
「……今はまだ申し上げられません。しかし、数年のうちに我々は故郷を取り戻すための闘いを起こします。必ず」
その声は静かで、けれども確信に満ちていた。
何秒間だったのかはわからない。数秒、あるいは数十秒だったかもしれない。彼女は俺のいる方向をじっと見つめ、やがてゆっくりと会場全体に視線を戻した。
「闘いには、多くの皆様の助力が必要となります。戦士だけではなく、ありとあらゆるそれを支える皆様の力が……。困難が待っているかもしれません。苦難が降り注ぐのかもしれません。……ですが、光が差します。……必ず。……皆様の助力を期待します。最後になりますが、闘技大会の開催を、ここに宣言いたします」
締めくくりの言葉と共に、ざわついていた会場は再び熱気を帯びはじめた。最初は囁き程度だった声が次第に大きくなり、やがてそれぞれの思惑を孕んだ会話へと変わっていく。
ウルズ様はゆっくりと踵を返し、姿を隠していった。
「……ケイスケ!」
大きな声とともに肩をバン、と叩かれた。振り返ると、クェルが目を輝かせて立っていた。
彼女の表情を見て、すぐに合点がいった。ウルズ様の言葉は、つまりビサワが本気で“故郷の奪還”に動くということ。それは、かつてクェルが話してくれた、彼女自身の目標に直結している話だ。
「私も闘技大会に出ればよかった!」
「闘技大会にそんな裏事情があったんだな」
まさか、戦士のスカウトの場となっているとは。
「ビサワはもう、諦めたと思ってたんだよ。でも違った! 違ったんだよ!」
彼女の目にはっきりと涙が浮かんでいた。それは嬉し涙。それも、希望に満ちたものだった。
「良かったな、クェル」
「……うん!」
小さく、しかし確かな頷きとともに、彼女はもう一度ウルズ様のいる壇上を見やった。
そこに、リームさんが口を挟む。
「次回は、クェル殿も出てみればいい。銀級の貴方なら、いいところまで行くだろう」
「そうですね、是非そうしてみます!」
さっきまで、興味なさげだったのが嘘のような返事だ。だが、無理もない。クェルにとっては、それほど意味のある出来事だったのだろう。
後ろの方では、ダッジたちが早速算段を立てていた。
「大きな作戦があるってか」
「きっとギルドにも要請はあるだろうな」
「……稼ぎ時、か?」
バンゴがニヤリと笑い、ズートは何も言わずに小さく頷く。言葉こそ軽いが、根っこの部分では皆、真剣なのだと思う。
「問題は、時期だな。この依頼が終わったら、いっそのこと拠点をこっちに移すか?」
「それもいいな。飯も旨いし、何よりこっちはいい女が多いぜ」
「……異論はない」
いつもながら、あまりに現金な会話に苦笑が漏れる。けれど、こんな風にいつも通りでいられる彼らの姿を見てなんだか心が落ち着いていく。
「ケイスケも、もちろん来年は参加するよね? っていうか、師匠命令! 参加しなさい!」
「えぇ……。マジかよ」
「マジ! 来年ね! 絶対だよ!」
こういうときのクェルは、本当に容赦がない。
「俺にだって予定はあるんだから、出られるかどうかはわからないぞ」
「っていうか、ケイスケがこの作戦に参加しなくてどうするの? 瘴気をどうにかできるなんて、私、他で聞いたことないんだけど?」
「……ああー」
図星すぎて、何も言えない。
でも、絶対にないとはいえないんじゃないか? それこそ、王都の魔法研究者とか、教会の人たちとか。瘴気をなんとかする魔法を知っていても不思議じゃない。
この世界の歴史。俺はロビンの口からしか聞き及んではいないが、少なくとも数千年前から、魔法は人々と共にあった。
悠久の歴史とともに、紡がれて、伝えられてきたのだ。その中で浄化の魔法がなかったとは思えない。
でも、ウルズ様の言っていた「状況が変わった」というのは、何かしらの進展――瘴気への対策なり、突破口なり――があったということかもしれない。
……それが、俺? 俺が、浄化の魔法を開発したことが、ウルズ様にはわかっている?
考えたって答えなんか出ない。
しかし強ち、その考えが間違っているとも思えなかった。
その理由は、あのウルズ様の視線に他ならない。
クェルの言う通り、俺が“あの場所”に関わることになるのは、もはや避けられないのかもしれない。
「とにかく、ケイスケも出るの! わかった!?」
「……わかったよ。出れれば出るよ」
「……ヨシ!」
日本では、よくある断り文句だったのだが、クェルには通じなかったらしい。
来年の今頃。俺はどこで何をしているのだろう?
俺はそんな遠いようで近い未来に、思いを馳せた。
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