第百四十二話「熱狂と静観」
スポーツってやつに、俺は昔からそこまで興味がなかった。
ニュースで結果を見たり、誰かが話題にしているのを聞いて、「へえ、そうなんだ」って思う程度。
日本代表がどうとか、金メダルがどうとか――そういうのはもちろんすごいと思うし、誇らしいとも思う。だけど、当事者感っていうのがどうにも湧かなかった。
だけど今、俺はその「熱狂」の中にいる。
少し前、クェルとマーカーの死合を間近で見た。あのとき、俺の中に何かが灯ったのをはっきりと覚えている。
ただの火花じゃない。目標だ。
彼らのように、強くなりたい。命を懸けた戦いの中で、誰かを守れるほどに。
だからこそ、今目の前で開かれようとしている闘技大会にも、自然と気持ちが昂ってくる。
参加者じゃないにもかかわらず、俺の胸は高鳴っていた。
ビサワの闘技大会――それはまさに、古代ローマのコロッセオを思わせるような大規模なものだった。
高く積み上げられた石造りの壁は、遠目にはまるで山の斜面のようにそびえ立ち、円形に並んだ階段状の観客席は、無数の視線が戦場を見下ろすためだけに築かれている。
中央に広がる闘技場は、ただの土の広場ではない。粗削りな岩場、陽光を反射する小さな池、根を張る大木、そして石柱や瓦礫を模した障害物が点在し、実戦を想定した立体的な舞台となっていた。
ただの見世物ではなく、戦術や機転が試される「戦場」――その匂いが確かに漂っていた。
天井はなく、青空がそのまま広がっている。けれど、直射日光を避けるように色鮮やかな布が放射状に張り巡らされ、まるで万国旗のように風にたなびいていた。
布が揺れるたびに、影が波のように観客席を流れ、その下では串焼きや果実酒を売る売り子が威勢よく声を張り上げている。焼けた肉の匂い、甘い蜜の香り、香辛料の刺激――さまざまな匂いが入り混じり、空気そのものが祭りの匂いをまとっていた。
「すげぇ……」
思わず漏れた言葉に、クェルがニヤリと笑う。
「なーんかテンション上がってきたねぇ、ケイスケ。参加者じゃないのに」
「うるさい」
「ふふーん」
俺たちは、リームさんの伝手でいい席に案内されていた。
観客席の中央に近い場所、舞台全体を見渡せる絶好の位置。
一般席とは少し距離があるため、わずかに余裕のある空間が広がっており、座席の背後には風よけの布まで掛けられている。
さらにその上段には、賓客用の桟敷席が設けられていた。
「あれが偉い人たちの席か?」
俺がちらりと視線を向けると、リームさんが頷いた。
「そうだな。あのあたりには領主の代理とか、上層部の方々が来るはずだ」
厚く彫り込まれた石の手すり、煌びやかな布で飾られた椅子列。奥に設けられた個室は、まだ人影はないが、すでに空気が違う。そこに流れるのは「権威」という名の目に見えない圧力だった。
高位の人間――俺がそんな立場と接点を持つことなんて、今まで一度もなかった。
どんな人が座るのだろう? リームさんと一緒に町を歩いていたときに遭遇した、玄鹿族の一団。あの人たちみたいなのが、あの上の席に座るのだろうか?
「どっちにしろ、遠い世界だな……」
ぽつりとこぼした俺の言葉に、クェルが聞き耳を立てていたのか、面白そうに首を傾げてきた。
「ん? なにが?」
「いや、なんでもない」
「ふふーん。ケイスケのひとり言って、わりと面白いから好きだよ」
「やめてくれ」
そのときだった。会場に突如として響き渡ったラッパの音。
大きく、そして長い。腹の底を震わせるような重低音が、闘技場全体を包み込む。
「始まるな……」
俺が呟くと、周囲の観客たちも一斉に身を乗り出していた。
やがて、闘技場の中央に一人の男が現れる。
獣人族だろうか。太い角を誇らしげに掲げ、隆々とした筋肉が日差しを受けて輝いている。胸には紋章が刻まれ、その姿はまさに「闘技大会の顔」だった。
その男が掲げたのは、拡声器のような筒。
口元にあてがい、一拍置いてから、声を発した。
「ただいまより、第二百七十一回、闘技大会を開催する!」
場内に、割れんばかりの拍手と歓声がこだまする。
歓声は石壁に反響し、まるで嵐のように渦巻いた。
「今大会は、過去最多の参加人数! 三百余名の参加者数だ! まずは予選――この闘技場で、入り乱れての乱戦となる! 心して戦士たちの雄姿をその目に刻むがよい!」
その言葉を合図に姿を現したのは、数百の参加者たち。闘技場の各門から次々と現れるその光景に、観客席はさらに熱を帯びる。
叫ぶ者、笛を吹く者、立ち上がって拳を突き上げる者。熱気はもはや空気そのものを震わせているようだった。
高鳴る太鼓、鋭く鳴り響くラッパ、そこに重なる弦楽器の旋律。まるで戦いの幕が上がる劇場のように、闘技大会の会場全体が昂揚に包まれていく。
「なお! 闘技大会開催にあたって、開会の宣言を頂戴する! 皆のもの、俺の後ろの席に注目!!」
司会の声に従って、群衆が一斉に視線を向ける。俺もその一人だった。
演奏が変わる。荘厳でありながら繊細、耳に心地よく響く旋律。さきほどまでの歓声が嘘のように消え、自然と静寂が訪れる。
そして――姿を現したのは、あの日と同じ存在だった。
「……あれは」
「玄鹿族の方々、だな。先日見かけた方々だろう」
リームさんの言葉に頷く。街角で占いを受けた後に見かけた、あの一際目立つ馬車に乗っていたふたり。
それが、今この場に立っている。
長く伸びた枝角は金細工のように輝き、そこに吊るされた小さな水晶が、陽光を受けて七色の光を散らす。まるで聖獣が歩むたびに祝福の光が舞い散るかのようで、観客席からため息がもれる。深緑の衣を纏った彼らは、森そのものを背負ってきたかのように凛とし、その一歩ごとに大地が静かに共鳴しているように思えた。
その姿は、大自然の神意を代弁する祭司のようでもあった。観客は声をあげることを忘れ、ただその威容に見入っていた。場内を支配していたのは角笛と鼓動のような太鼓の音、そして玄鹿族の気配だけだった。
やがて彼らが歩み出ると、光の魔法が舞台の天井を彩り、まるで天空から祝福の雨が降り注ぐかのような演出が加わった。七色の光の帯が、彼らの背後に翼のように広がり、荘厳さは最高潮に達する。
「……すげぇ」
人間とは明らかに違う骨格とプロポーション。あれだけ長い手足を持ちながら、重たさを一切感じさせず、どこまでも優雅に、静かに歩む。
男は隣の女性の手をそっと取った。その仕草には丁寧な敬意が込められており、彼女の方がより高い地位にあることを自然に示していた。
「……やっぱり、すごい綺麗ですよね」
「……ああ、それに、立ち上がると背丈の高さがよくわかるな」
リームさんの肩越しに、俺はふたりを見つめる。ひとりの観客として、ただ息を飲んで。
やがて、ふたりは桟敷席の先端に立ち、闘技場全体を見渡した。
群衆の息遣いすら感じられるほどの静寂。
誰もが、彼らの言葉を待っていた。
最後までお読みいただきありがとうございます!
あなたの貴重なお時間を物語に使っていただけたこと、とても嬉しく思っています。
ちょっとでも楽しんでいただけたなら、何よりです!
もし「いいな」と思っていただけたら、
お気に入り登録や評価をポチッといただけると、とても励みになります!
コメントも大歓迎です。今後の執筆の原動力になりますので、
どんな一言でも気軽に残していただけたら嬉しいです。
これからも【悠久の放浪者】をどうぞよろしくお願いします!




