第百四十一話「闘技大会、開幕」
正直なところ、順調すぎて怖い――クェルはそう言っていた。
そんなこと言われても、俺としてはこの勢いのまま、やれるとこまでやってみたいという気持ちが強かった。調子に乗ってるわけじゃないけど、多少の手応えも感じていたし、今ならもっと高みに行ける気がする。
クェルなら「もっとやれやれ!」って背中を蹴っ飛ばしてくるかと思っていたが、意外にも慎重だった。
けれど、彼女がそう言うなら……と、少し気持ちが揺らいでいたところに、彼女は言葉を重ねた。
「あと、例の闘技大会が明日から始まるから。見に行かない?」
思い出した。そういえば色々とイベントがあることに。
「そっか、明日からなのか。三日間だっけ?」
「そう。きっと、いい経験にはなると思うんだけど」
クェルは少し声のトーンを落として、まるで何かを試すように俺の顔を見てきた。
「リームさんはなんて?」
「リームさんも見に行くみたいだよ? 商人同士の付き合いもあるからってさ」
なるほど。闘技大会にはそういう社交の意味もあるのか。もともと、どんな戦いが見られるのか興味はあったし、それが楽しみだったというのもある。
「わかった。明日は闘技大会を見に行くよ」
そう言うと、クェルは心なしか安心したような表情になった。珍しく、彼女の中に何か思慮深いものを見た気がする。
「了解。じゃああとでリームさんにも言っておきなさいよ?」
「わかったよ」
すると、アイレから念話が飛んできた。
『主、明日はあの場所に行かないので?』
「ああ、そうだな。ちょっとその闘技大会を見てからにするよ」
考えてみたら、ヴァイファブールに来てから、初日に少し散策しただけで、ほとんど街を堪能していなかった。こうして一旦休んで、闘技大会を見たり、イベントを楽しむのも悪くない。
「うん。というわけで、明日は休もう。アイレ、レガスにもそう伝えておいてくれないか?」
『わかりましたわ』
翌朝。外に出て空を見上げると、夜明けの群青の空に、静かに光の帯が走っていた。
幾筋もの輝きが流星のように交差し、やがて渦を巻いて大きな紋章を描き出す。それはまるで、空そのものをキャンバスにした巨大な絵画だった。音は一切なく、ただ眩い光だけが空を染める。
「あれ……魔法、か?」
色とりどりの光はゆっくりと形を変え、剣や盾、獣の姿へと移ろっていく。まるで観客の胸を昂ぶらせるための壮大な演出のようだった。
こんな派手で精密な空中演出、普通の魔法とは思えない。別世界の技術に触れたような、不思議な感覚が胸を打った。
誰か詳しい人がいれば、聞いてみたいところだ。
宿の食堂に降りると、珍しく全員がそろっていた。
リームさん、クェル、そしてダッジ、バンゴ、ズートの三人組。窓から射し込む柔らかな朝日が、食卓を賑やかに照らしている。
「おお、揃ってるな。みんな、闘技大会を見に行くのか?」
「もちろんだとも!」とダッジが両手を広げて笑う。「こういうのは現地で感じるのが一番だ」
「バンゴやズートは出ないのか?」
そう尋ねると、バンゴが鼻を鳴らした。
「俺たちは身の程を知ってるからな」
「……獣人の達人には、敵うまい」
ズートがぼそりと呟いた。
なるほど、二人とも出場はしないらしい。まあ、この三人にそこまでの野心があるとは思っていなかったし、俺自身も出るつもりはなかった。だから他人のことは言えない。
「では、皆揃って行くか」
入場券については、すでにリームさんが用意してくれていた。さすが商人、手回しがいい。
「このチケット、少しばかりいい席だから、周りもそれなりの人がいると思う。気を引き締めていこう」
リームさんの言葉に、俺たちは小さく頷いた。
大会会場へ向かう道中、街はすでに大混雑していた。
石畳の大通りは人の海で埋め尽くされ、旗や布で飾られた店先からは香ばしい肉の匂いや、甘い果実酒の香りが漂ってくる。屋台の呼び声が重なり合い、まるで祭囃子のように賑やかだった。
子供たちが木の剣を振り回して遊び、商人は威勢よく商品を売り込み、兵士たちは人の流れを整えるのに必死だ。
「すごい人だな……」
俺が思わず呟くと、リームさんが隣で頷いた。
「ビサワでの一年に一度の闘技大会だからな。その優勝者は栄誉を手にして、周辺各国に名が売れる。英雄のような存在になるのさ」
闘技大会の優勝者ともなると、いわばスター選手のようなものなのだろう。
「また聞きと、実際に目で見るのは違うからな」
リームさんの言葉通り、現地の熱気というのは本当に凄まじい。群衆のざわめきは地鳴りのように響き、鼓膜を震わせるほどだった。誰もが胸を高鳴らせ、今年の優勝者に期待を寄せているのがひしひしと伝わってくる。
それだけ、この地における「闘技大会」というイベントの重みがあるのだろう。
やがて、俺たちは会場の外縁にたどり着いた。
巨大な円形闘技場。外壁は灰色の石で組まれ、魔法による補強が施されているのか、近づくだけで圧倒されるほどの存在感を放っていた。
入場ゲートの上には巨大な旗が風を孕み、鮮やかな色彩でビサワの紋章を描き出している。その下に掲げられた今年のスローガンが、陽光を浴びて眩しく輝いていた。
「『英雄はここに誕生する』、か……」
クェルが、ニヤリと笑った。
「……出ちゃえば?」
「いや、いいよ。今日は観客で充分だ」
「ふふーん、ならしっかり見て勉強しなさいな。実戦から得られるものは多いんだから」
観客席に案内されて腰を下ろすと、視界も良好で、観戦には申し分ない。石造りの階段席はびっしりと観客で埋まり、ざわめきと熱気で胸が押し潰されそうになる。
魔法による音響と映像の拡張も施され、遠くの動きも手に取るように見える。まるで現代の大規模スタジアムのような光景に、思わず感嘆の息を漏らした。
今日から三日間、この地で血と汗と誇りがぶつかり合う。
俺たちは、騒がしくも熱い時間の始まりを前にして、それぞれの期待を胸に席に身を沈めた。
――さあ、英雄たちの饗宴を見届けよう。
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