第百三十八話「光明」
詠唱を省略してクェルに『浄化』の魔法を覚えてもらい、実際に唱えてもらったのだが……結果は、魔法が発動することはなかった。
俺がやって見せた通りに、イメージを固めて、意識を集中し、魔力の流れを整えてもらった。スマホの詠唱省略機能に設定しているから魔法は一言で発動するはず。だが、空気に変化はなかったし、魔力のうねりも感じなかった。
魔法が出ない。つまり、失敗だ。
「うーん、やっぱり私じゃ無理かぁ……」
クェルは肩をすくめ、苦笑しながら顔をしかめた。
これは――俺だけに詠唱省略が許されているのか。それとも、クェルには魔法適性がないのか。はたまた、その両方か……。
正直、判断はつかない。
それでもクェルは、なぜか明るさを取り戻していた。
「でもね、なんか、すっごくスッキリした。ケイスケのおかげで、光明が見えてきた気がするよ!」
眩しい笑顔だった。
「これからも頼むわよ、ケイスケ!」
「ああ。俺にできることならな」
「できることなら? あるに決まってるでしょ、いっぱい!」
満面の笑みで言い切られ、俺は苦笑いで肩をすくめる。
……ともあれ、忙しくなりそうだ。
これから俺がやるべきことは――「浄化」の魔法の強化、効率化、そして範囲の拡張だ。そもそも論として、「瘴気とは何か?」という根本に立ち返る必要もある。
それを解明するための伝手は、今の俺にはない。専門家の伝手があるわけでもないし、文献があるわけでもない。ただ、やみくもに試すしかないだろう。
もちろん、レガスに乗って領都まで行けば、それなりの資料や専門家にアクセスできるかもしれないが……クェルはそこまでは望んでいないらしい。
「とにかく、きっかけができた。それだけで、今は満足なんだよね、私は」
そう言った彼女の顔は、すがすがしく晴れやかだった。
「だから、私は明日からは本来の護衛の仕事に集中しようかなって思ってるよ」
彼女は背筋を伸ばして、軽く拳を握った。
「で、ケイスケはさ――大会にでも出てみたら?」
「大会……?」
聞き返しながら、ああ、と気づく。例の、領都で開催される闘技大会のことだろう。
「正直、興味ないなあ」
「そうなの? 入賞すれば賞金とかももらえるみたいだけど?」
「うーん、賞金か……」
確かに金は必要だ。装備や旅費、生活費。何をするにしても、それなりの資金は要る。
けれど、この世界に来てからというもの、金に困ったことは意外と少なかった。
装備は、クェルが譲ってくれた黒魔鉄の剣があれば今のところ不自由はない。衣類や防具も最低限は揃っているし、宿や食事は冒険者ギルド経由の仕事で確保できている。
……もちろん、防具はもっと良いものが欲しい。道行く冒険者の鎧を見ては羨望の眼差しを向けていた時間は、自覚するくらい多かった。だが、それでも大会に出てまで稼ぐ気にはなれなかった。
「それに、あんまり目立ちたくないんだよな」
「ふーん……」
「ならさ、クェルこそ出たら? いい線行くと思うけど?」
俺じゃなくて、彼女が出た方がよっぽど優勝を狙える気がした。そう思って提案してみたが――。
「私は興味ないよ。人と競うのって、あんまり得意じゃないし。それよりも、私は……浄化の魔法を使えるようになりたいかな」
静かに、でも力強く言った。
……やっぱり、彼女も俺と同じだ。人の評価や金銭的な報酬より、自分がやるべきことを大事にしている。
この答えにも、俺は納得しかなかった。
「とりあえず、見学はしたいけど、出場は興味ないよ」
「あはは、了解。師匠命令で出場しろって言おうかとも考えてたけど、ケイスケにはやってもらいたいこともいっぱい出てきたからね。今回は勘弁してあげるよ」
「助かった……。師匠命令って、それは断れないからな」
正直、冷や汗がにじんだ。
クェルが本気で出ろと言っていたら、俺は断れなかっただろう。
「じゃあ、明日からは俺、もうちょっと『浄化』の魔法を研究してみる」
「了解。リームさんの護衛は任せといて」
「うん。夜には帰るようにするから」
「私がこう言うのも変だけど、そんなに焦らなくていいからね? 希望が見えただけでも、私は嬉しいんだから」
「ああ。無理するつもりもないし、無理してもどうしようもないだろうから、ほどほどにやってみるよ」
そして、微笑んで彼女の目を見た。
「期待は……しててもいいと思うぞ?」
「ほんと? じゃあ、期待するわよ!」
「おう」
短いやり取りだったが、不思議と心が軽くなっていた。目指すべき道が見えたからか。それとも、誰かの役に立てるという実感か。
いずれにしても、やるべきことは決まった。
夜が更けて、静寂が広がる中。俺はベッドの上で目を閉じ、もう一度だけ心の中で呟いた。
期待に応えてみせる――そのために、できることを全部やってみよう。
翌朝、俺は早々に宿を出た。
目指すは、昨日見つけた灰色の魔物――グレイアームズが出現した瘴気の池。人の気配がないことをしっかりと確認してから、風の精霊――アイレの力を借りて移動する。
「アイレ、頼んだ」
俺の言葉に応じ、身体を包み込むように風が吹き上がった。重力の束縛を緩め、風が俺を前へ、前へと押し出す。まるで空を滑るような軽さと速さ。地面を蹴るごとに、俺の身体は跳ねるように疾走した。空を飛んでいるわけじゃない、でも感覚としては限りなく近い。
アイレの補助があると、まるで空を舞う鳥になったかのようだ。昨日の倍以上の距離を、半分ほどの時間で走破する。改めて、精霊の力は凄まじい。
……というか、めっちゃ楽しい!
そして渓谷へと辿り着いた瞬間、上空からレガスの翼が風を切る音が響いた。
『ケイスケ、キタ!』
「おう、レガス。今日も元気そうだな」
飛竜レガスは俺を見つけるや否や、岩場へと軽やかに舞い降りた。相変わらず目敏い奴だ。たぶん、飛竜同士で情報共有でもしてるのかもしれない。昨日の行動を覚えていたのか、俺の元へと迷いなくやって来た。
「頼む、レガス。あの池まで案内してくれ」
『ノル! ノル!』
言葉を待つ間もなく、レガスは前肢を差し出すようにしゃがみ、俺が背に乗るのを促してきた。ありがたくその背中に飛び乗る。強靭な筋肉と鱗の感触が、安心感を与えてくれる。
レガスの翼が大きくはためく。風を切って渓谷を越え、昨日見た瘴気の池まで、一瞬で辿り着いた。
……腐った血のような臭いが鼻を突いた。池の周囲に立ち込める瘴気は、昨日よりも濃くなっている気がする。
「……風で飛ばされると思ってたが、違うんだな」
『瘴気は重いものですわ。普通の風では散りませんのよ』
アイレがそう教えてくれた。なるほど、霧や煙と違って、瘴気はまるで鉛のように地面にへばりついているらしい。
「厄介なもんだな、瘴気ってのは」
俺はそう呟いて、静かに目を閉じる。魔力を精霊術へと転化し、周囲の気配を整える。
『命の精霊よ。この地に充満する悪しき瘴気を清め、浄化せよ。プリフィケーション』
詠唱と共に、淡い光が俺の手のひらから発せられた。浄化魔法だ。周囲の空気が少し軽くなったような気がした。だが、範囲も威力もまだまだ足りない。瘴気の濃い池の中心部には、届いていない。
「もっと、広く、強く……」
俺はその場に座り込み、詠唱の文言をいくつか試してみることにした。組み替え、強調し、魔力の流し方を調整する。スマホの辞書なんかも活用して、もっといい詠唱を構築できないか試していく。
どれくらいの時間が経ったのだろうか。空が赤く染まり始めた頃、レガスが俺の肩をつついてきた。
『ケイスケ、モウソラ、クラクナル』
「もうそんな時間か……」
改めて空を見上げれば、夕暮れの気配があたりに滲んでいる。集中しすぎていたせいか、腹がぐうと鳴った。
「なぁレガス、お前って飯どうしてるんだ?」
『オレ、トッテクル!』
そう言って飛び立とうとするレガスを、アイレが止めた。
『それには及びませんわ。周囲の獣ならば私が確保出来ますので、主は処理だけしてくださいまし』
次の瞬間、突風が巻き起こる。俺が目を瞬きした、その直後。
ズドン、と大きな音がして、目の前に巨大な鹿が転がっていた。まだ生きてはいたが、動けないようだ。
「……おいおい、アイレ?」
『さ、主。仕留めをお願いいたしますわ』
「……お、おう」
なんとも複雑な気分になりながら、俺は鹿をしめた。
『セイレイ、スゴイ……』
レガスが素直に感嘆の声を上げる。
「ほんと、助かるよ。ありがとう、アイレ」
『ふふ、当然ですわ』
『僕も、僕も役に立つぞ!』
張り切ったのはカエリだった。火の精霊らしく、鹿の肉を豪快に炙って焼いてくれた。塩だけを振っただけのシンプルな料理だったが、野趣溢れる味は妙に美味かった。空腹という最高の調味料もあったのだろう。
「ほら、レガス。お前の分も」
俺は内臓と生肉をレガスに差し出すと、彼は嬉しそうに尾を振って頬張った。
ふと空を見上げる。日は落ちかけている。
「夜には帰るって言ったしな、戻るか」
『オレケイスケ、ノセル!』
「レガスは夜の飛行はできないんじゃないのか?」
『ガンバル!』
「……がんばれば、大丈夫なのか?」
『タブン!』
そこまで言うのならとレガスの申し出を受けて、俺は再び彼の背に乗る。もう薄暗い空に飛び立つレガス。するとアイレが言った。
『私も手伝いますわね』
その言葉の直後、風の流れが変わった。まるで追い風の中を飛ぶ鳥のように、レガスの速度が一気に増す。気流を操り、翼の滑空を補助しているのだろう。
『ケイスケ、カゼノセイレイ、スゴイ!』
『うふふ、そうですよ、私はすごいのです』
レガスに褒められて、アイレが機嫌良く笑っている。
やがて、ヴァイファブールの外れの林に降り立った俺は、荷物を整えながらレガスに言った。
「帰れるか?」
『オレ、チカクデネル』
「そっか、気をつけてな」
大丈夫だろうかと心配するが、レガスを信用するほかないだろう。
しかし俺の心配を感じ取ったのか、アイレが言った。
『主、それならば私がこの獣の様子を見ておきますわ』
「それは助かるよ、アイレ。頼んだ」
こうして、俺の瘴気調査と浄化の挑戦は、もう少し続いていくことになる。明日もまた、あの場所に行こう、レガス。
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