第百三十五話「灰色の魔石」
グレイアームズは地面にべったりと張りついたような形を保ったまま、かすかに身じろぎしていた。濁った灰色の肌がぬらりと光り、うねうねとした動きが妙に不気味だ。森の奥からの微かな風が、湿った土と焦げた草の匂いを運んできた。
「……クェル、俺が魔法で攻撃してみてもいいか?」
息を吐きながらそう告げると、クェルは片眉を上げ、口元だけで笑った。
「うん。それをケイスケに言おうと思ってたんだ。やってみてよ」
彼女は足を引き、剣を構えたまま俺に正面を譲る。油断のないその視線は、獲物から一瞬も離れない。
「了解」
火球の魔法を展開し、標的めがけて放つ。グレイアームズの表面に火の玉がぶつかり、周囲に火の粉が弾けた。黒煙が一瞬だけ上がる。焦げた匂いが鼻腔を刺したが――。
「……効いてないな」
魔物は苦悶の声もあげず、身をよじることもない。ただ粘りつくように地面に張りついていた。
焦げたような跡はついたが、それだけだった。あれほどの熱をまともに受けたはずなのに、肉が爛れることも、体勢を崩すこともない。
「なら、次だ」
口の中で詠唱を組み直す。もっと効率的に火の精霊たちを呼び出す言葉を選び、魔力の流れを整える。脳裏に赤き炎が円を描きながら広がる光景を描く。
『紅き精霊たちよ。集い集いてかの場所で踊り狂え……コンバスション!』
次の瞬間、グレイアームズの周囲に火の粉が散り、円を描くように舞い上がった。それらはやがて赤い炎となって地面を這い、狭い範囲を高温で包み込む。周囲の草木には火は移らず、魔物だけを焼くための精密な炎だ。
「……やば、あの魔法」
「ふつうに消し炭になるやつだな……」
『人には絶対使えませんわ』
「だなあ」
アイレの少し引き気味の声色に、俺は苦笑する。以前、穴ウサギの魔獣にこの魔法を使った時は、本当に魔石しか残らなかった。生物を瞬時に炭化させる力――それがこの魔法の本質だ。
炎はしばらく地面を舐め、やがて収まっていく。熱気が皮膚を撫で、頬に汗がにじんだ。
しかし――。
「……生きてる」
グレイアームズは、焦げた体を引きずりながらも、まだその場にあった。腕の一本は炭となって崩れ落ちていたが、胴体は形を保ったままだ。
「だめか……」
「いや、効いてはいるよ。再生が遅くなってる」
クェルが指差す先、細い腕の断面はじくじくとした再生を繰り返していたが、その速度は明らかに鈍っていた。火は有効――だが、この程度では足りない。もっと高温でなければ。
「カエリ、今の魔法をもう一度やる。温度をさらに上げてくれ」
『おっ! 僕の出番!?』
カンテラの中から飛び出したカエリが、炎の羽を揺らしながら宙を舞う。その小さな顔が興奮で輝き、「やるぜやるぜー!」と弾んだ声をあげる。
よし――と思った、その時だった。
「っ!?」
グレイアームズが突如、地面を弾くように跳ねた。まるでばね仕掛けの人形のような、異様な速度の跳躍。黒灰色の塊が視界を掠め、森の奥へ一直線に逃げる。
「逃がすか!」
土が爆ぜる音と共に、クェルが地を蹴った。疾風のように駆け、瞬く間に魔物へと肉薄する。振り下ろされた長剣が複数の腕を叩き斬り、灰色の肉片が宙を舞った。
だが、グレイアームズは怯むことなく、不規則な跳躍を繰り返す。まるで逃げることだけに特化した生き物のようだ。
『逃がしませんわ』
『逃がさないよー』
『……ん、逃がさない』
風、水、土の精霊たちの声が重なった瞬間、突風が林を揺らし、魔物の体が空中で揺さぶられる。軌道がわずかにずれ、次の瞬間――。
ドボンッ!
派手な水音と共に、魔物は池に落ちた。水面を叩き、激しくもがく。
『水の中は苦しいですよー』
シュネの得意げな声が届く。水流が魔物の動きを封じているのだろう。必死にもがき、ようやく池の縁にたどり着いたそのとき、足――いや、複数の腕が泥に沈み込んだ。
『ん。逃がさない』
泥は硬化し、石のように固まって魔物の動きを封じる。ポッコの仕業だ。灰色の腕がきしむ音を立てる。
『主、今だぞ!』
「お、おう!」
カエリの声に押され、再び詠唱を紡ぐ。火の粉が舞い上がり、コンバスションが発動。だが今回は違う。カエリが『むむむむむむ……!』と力を込めている。
「うおっ……」
炎が赤から白へと変わり、凄まじい熱が辺りを満たす。視界が歪み、空気が悲鳴を上げる。魔物はその熱に形を保てず、ぐずぐずと崩れ落ちていく。まるで雪像が真夏の日差しに晒されるように、音もなく溶けていく。
『――ッ!?』
耳をつんざく、金属を無理やり軋ませたような不気味な音。悲鳴とも機械音ともつかないその音に、反射的に耳を塞いだ。
やがて音は途切れ、静寂が戻る。
「カエリ、どうだ?」
『もう死んだと思うぞ! 火の中に残ってるのは魔石だけだ』
魔法を解くと、焦げた土の中央に、灰色の魔石がひとつ、ぽつりと残っていた。
……これって。
それを見た瞬間、ぞわりと背筋が寒くなった。どこかで見たことがある。いや――俺が飲み込んだことがある魔石だった。
以前、ハンシュークの魔石屋で手に入れたダンジョン内産の魔石。形は違うが、質感や色合いは酷似している。あのときは、飲み込んだ後しばらく気分が悪くなった。でも、時間が経てば何事もなかったかのように戻った。
……まさか?
目の前の不気味な魔物の魔石と、俺が飲み込んだ魔石が同じものだったとしたら――。
「どうしたの、ケイスケ?」
「いや、なんでもない」
慌てて首を振る。今は考えるべきときじゃない。まずは事実として、この魔物を倒せた。それだけで十分なはずだ。
「なんにせよ、倒せたな……」
「そうだね! 流石ケイスケ!」
『サスガ! サスガ!』
クェルの明るい声と、レガスたち飛竜の賑やかな称賛。俺は思わず、照れくさくなって頭をかいた。
ただ、胸の奥に残る違和感――。
あの灰色の魔石が、ダンジョンの魔石と酷似しているという意味。
今はまだ、考えないことにした。
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