第百三十三話「怒りの飛竜」
「クェル!」
「ケイスケ!? 無事だったんだね!? 怪我はない!?」
駆け寄ってきたクェルは、俺の両肩をがしっと掴むなり、顔を覗き込んできた。いつもの軽いノリとは打って変わった真剣な目。ほんの少しだけ潤んでいるようにも見えた。
「うん、大丈夫。どこも怪我してない」
俺がそう答えると、クェルは安堵の息を漏らし、次の瞬間、俺の背後に目を向けた。
飛竜が、堂々とした佇まいで地面に爪を立てて座っている。
その姿を見たクェルは――。
「……っぷ! あははは……アハハハハハハ!」
――突如、腹を抱えて笑い出した。
「ちょ、クェル?」
「いや、ちょっと……! いや、だってさぁ……アハハハハ!」
俺が怪訝な顔で見つめても、彼女の笑いは止まらない。笑いすぎて涙が出たのか、指先で目尻を拭いながら、ようやく言葉を継いだ。
「……いや、ほんとケイスケってさ、非常識だよね!」
あまりに唐突な評価に、俺は思わず眉をしかめる。
「非常識って……」
「だってさ! 精霊二体と契約してるってだけでもすごいのに、飛竜に攫われて――そんでその飛竜に乗って帰ってくるって、何!? どういうこと!?」
……言われてみれば、たしかにおかしい。攫われたはずの相手と、まるで友達のように一緒に戻ってくるのは、ちょっと変かもしれない。
俺は苦笑しつつも、クェルに事情を説明することにした。飛竜に攫われたあとのやりとり、治癒を頼まれ、そして、飛竜たちの異変。
「なるほどねえ……でもさ、それって――なんで飛竜がケイスケが生命魔法を使えるって、わかったの?」
クェルの疑問に、俺も首をかしげる。
たしかに、初対面のはずの飛竜が、なぜ俺の能力を知っていたのか。それを問いかけたときの返事は――。
『ソレハ、ケイスケ、ダカラ!』
……という、訳の分からないものだった。
「はぁ? って感じだよな」
「うん……でも、なんか……それ、妙に納得しちゃう自分がいるのが怖いわ」
クェルは苦笑しながら、腰に手を当てて小さく息をついた。
「というかさ、ケイスケ?」
「ん?」
「……あんた、さっきからその飛竜と、会話してる風に見えるんだけど」
「ああ、まあ……言葉じゃないけど、なんとなく通じるんだよな」
そう言った瞬間、クェルの手が無言で俺の肩に置かれた。先ほどのものよりずっと重たく感じる。
「……いい加減にしよ? ケイスケ」
低く、重い声だった。
我ながら人でもない飛竜の言葉がわかるってやばいと思うけど……。
「いや、俺のせいじゃないってば……」
『……それは、どうでしょう?』
まるで合いの手のように、アイレの冷ややかな声が頭の中に響いた。今回はフォローしてくれないらしい。
この流れは良くない。流れを変えるため、俺はクェルに問いかけた。
「そ、そんなことより、魔物の捜索は?」
キョトンとしたクェル。
「そっちは全然。あんた探すの優先してたからね」
「そっか……でもさ、この飛竜たちがかかってた毒――あれって、俺たちが探してた魔物の仕業らしいんだ」
「え?」
「雌にしか作用しない毒。もし人間にも効くなら、女性であるクェルも、かかる可能性がある」
そう言うと、クェルは一瞬だけ表情を引き締めた。が、その次の瞬間には、あっけらかんと笑ってこう言った。
「え? でもさ、ケイスケが治せるんでしょ? なら大丈夫じゃん!」
「お、おい……」
「むしろ、毒の性質がわかっただけありがたいよ。あとは、どんな魔物が使ってるのか、見極めるだけ!」
ああ、こいつ――完全に俺がいること前提で突っ込む気だな。
「なあ、クェル。それってつまり――」
「へへ、心強いでしょ?」
無邪気な笑顔で、クェルは親指を立てた。
その笑顔の裏に、俺のためにどれだけ心配して動いてくれたかが透けて見えて、何も言えなくなる。
それでも――彼女の背を守るのは、俺の役目だ。
飛竜が低く一声、鳴いた。空気の揺れるようなその声に、クェルがちらりと振り返る。
「で? その子、帰っちゃうの?」
「いや、多分しばらくは近くにいてくれると思う」
「ふうん。じゃあ、飛竜にもよろしく言っといてよ。ケイスケを無事に返してくれてありがとー! って」
クェルはそう叫んでから、今度は本気の笑顔を向けてきた。まるで、全てを吹き飛ばすような、太陽みたいな笑顔だ。
その眩しさに目を細めながら、俺は小さく息をついた。
「あとは魔物の居場所だけだね」とクェル。
「捜索再開、だな……」
思いがけない寄り道は、長かったようで短かった。けど、あとは魔物を探して退治するだけだ。
すると、俺の頭の中にアイレの念話が飛び込んできた。
『実は、もう探してありますわ』
思わず「マジで?」と念話で返す。
『マジですわ』
妙に語尾が強調されてる気がしたのは、気のせいじゃないはず。
アイレによれば、魔物はこの渓谷を東へ抜けた先、さらに10キロほどの場所にある水場にいるらしい。思っていたより近い。
「そういえば、お前たちがやられた魔物って、この辺にいるのか?」
傍らにいた飛竜に尋ねると、彼――いや、今はまだ名無しのこの飛竜が首を横に振った。
『イナイ。アイツ、モットムコウ、イッタ』
その顔は、アイレが言ったのと同じ東を向いていた。
「ケイスケ、その飛竜、なんて言ってるの?」
「魔物はこのあたりにいないってさ。東のほうに行ったらしい」
「なら、決まりだね。東に行こう!」
クェルはあっさりと頷き、もう歩き出しそうな勢いだった。
けれど、気になったことが一つ。
「そういえば、いつまでも“飛竜”って呼ぶのもなんだよな。……お前、名前つけてもいいか?」
すると飛竜は、全身で喜びを表現した。翼をバタバタさせて跳ねる様は、犬か猫かというレベルで無邪気だ。
『ナマエ! ホシイ!』
あまりの反応に、つい笑みが漏れた。
「じゃあ……レガス、って名前はどうだ?」
俺がそう口にした瞬間、飛竜――レガスは大きく鳴いた。
『レガス! オレノナマエ、レガス!』
体をぐるぐる回しながら、何度も名前を叫ぶ。こんなに喜んでもらえるとは、ちょっと照れるな。
その後、移動手段について話をしたところ、レガスが俺とクェルを乗せて東の水場まで運んでくれることになった。体格的には問題なさそうだったが、念のため確認したところ、まったく問題ないとのこと。
「そういや、レガス。お前、夜も飛べるのか?」
昨夜、飛竜の姿は見なかった。それが気になっていた。
『オレ、ヨル、クラクテミエナイ』
やはりか。夜は視界が悪く、飛ぶには向いていないようだ。
というわけで、今夜はもう一泊して、明日の朝にレガスの背に乗って出発することになった。夜の見張りはカエリが焚火の番と一緒にやってくれるという。頼もしい限りだ。
レガスは「オレ、タベモノ、サガス」と言ってどこかへ行った。明日の朝にはまた戻ってきてくれるらしい。
そして翌朝――。
俺は奇妙な気配に目を覚ました。何かがいる。いや、何かどころじゃない。
「……何事?」
寝袋から身を起こし、あたりを見渡す。そこには、無数の飛竜の目があった。
俺たちの野営地をぐるりと囲むようにして、数十、いやもっとだ。大きさも色も姿形も似たような飛竜たちがこちらをじっと見ている。まさか、昨日のレガスが仲間を呼んだ?
飛竜たちは殺気立っている様子だ。なんというか、怒りの波動のようなものを感じる。
「ケイスケ……なにこれ……襲われるの、私たち?」
「いや、まだわからない」
警戒しながらも、手は剣に届かせる。飛竜の群れの中から、一匹が歩み寄ってきた。あの様子、間違いない。レガスだ。
「レガス!」
『ケイスケ! コワガラナイデ!』
レガスが翼を広げながら叫ぶ。
「レガス、これは一体……?」
『ミンナ、オコッテル。アノマモノ、メスニ、ドクマイタ』
「……雌?」
『メスノ、ヒリュウ、ミンナ、ココニイル。アレ、ユルサナイ』
なるほど。これはみんな元気になった雌たちか。皆が皆、その怒りに駆られた雌飛竜たち。
「皆、魔物を倒すのに協力してくれるってことか?」
『ソウ! ミンナ、タタカウ!』
全部で50羽を超える飛竜。
それが皆、魔物に対して怒りを抱いている。
「……どうする、クェル? 皆、魔物を倒したいらしいんだけど」
「ほんと? 味方ってこと?」
「みたい」
クェルは少し考え、笑った。
「いいじゃん。飛竜と一緒に戦うなんて、楽しみ!」
「だよな」
これだけ多くの味方がいれば、正直何も怖くない。
あとは毒の心配だけだ。しかし魔物の毒は俺が治療できるのは実証済み。
「じゃあ、行くか!」
『イク!』
レガスの背に乗り込み、東の水場へ――怒れる飛竜たちの先陣を切って、俺たちは飛び立った。
最後までお読みいただきありがとうございます!
あなたの貴重なお時間を物語に使っていただけたこと、とても嬉しく思っています。
ちょっとでも楽しんでいただけたなら、何よりです!
もし「いいな」と思っていただけたら、
お気に入り登録や評価をポチッといただけると、とても励みになります!
コメントも大歓迎です。今後の執筆の原動力になりますので、
どんな一言でも気軽に残していただけたら嬉しいです。
これからも【悠久の放浪者】をどうぞよろしくお願いします!