第百二十八話「飛竜の谷」
「で、名前はカエリちゃん? 君?」
走りながらカンテラを見つめて、クェルが言う。栗色の髪が火に照らされ、ちらちらと揺れていた。彼女の無邪気な笑みと、火の精霊カエリに向けた疑問が、まるでおしゃべりの延長のように聞こえる。
「あー……どっちなんだ? 俺としては“君”て感じなんだけど?」
『どっちでも、主の決めたほうでいいぞ』
耳元に響く、少年のような、どこか張りのある声。それに苦笑しながら、火の奥に意識を向けた。
「じゃあ、カエリは“君”かな」
『わかった!』
声が弾んだ瞬間、カンテラの火がぱっと大きく揺れた。
……そういえば、カエリって、青い炎だった気がする。けど、今の火は普通の橙色。これ、もしかして怪しまれないように、あえて色を変えてくれてるのか?
――ちょっと可愛いな、って思ったのは、内緒だ。
「クェル」
「なに?」
「とりあえず、内密で。よろしくな」
「りょーかい。にしてもさぁ、ケイスケって本当、規格外だよね?」
「そんなことは……。クェルには敵わないしな」
「今はね! でも、すぐに追い越されちゃうよ」
クェルがにやっと笑い、大きく跳躍する。
「んー。あの高速戦闘についていける気がしないけど?」
「あれも慣れだよ。もっとドーピーが体に馴染んできたら、動体視力も反射もガンガン上がってくからさ。地道にやろ」
「……あいよ」
やっぱり、鍵は肉体強化魔法――ドーピーか。確かに俺の今の実力じゃ、クェルのスピードにはとてもついていけない。でも焦っても仕方ないし、地道にやるしかないな。
「ところでさ、今回の魔物って……強いのか?」
「んー、わからない。でもね、強いと思って動いたほうがいいよ」
ギルドの受付嬢が言っていた「腕が複数ある、灰色の個体」――それが今回の討伐対象だ。
腕が複数ってことは、虫系か? でも、虫なら虫って言うと思うしな。イメージが湧かない。
いや、そもそも「魔物」ってやつは、決まった形を持たない。
魔獣なら元の動物や虫の形があるけど、魔物はそうじゃない。元がないから、進化も変異も自由自在。対処も難しい。見た目は弱そうでも実際はとんでもなく強かったり、その逆だったり。しかも脅威度の見極めも難しい。
だから、ギルドでは基本、魔物討伐は銀級以上の冒険者にしか受けさせない決まりになっている。
……俺たち、というかクェルにその資格はある、ってことだけど、一体どんな相手なのか。
「まずは探すところからかな。リラちゃんいないし、ちょっと時間かかるかもね」
クェルが呟く。確かに、光の精霊・リラがいれば、もっと簡単だったはずだ。
リラの視認能力はずば抜けていて、遮蔽物さえなければ、どこまでも遠くまで見通せる。でも、カエリにそんな探知能力はなさそうだ。
そう思っていた矢先、頭の中に別の声が響いた。
『主、私ならお手伝いできると思いますわ』
……アイレ。
小さく、口元だけ動かして確認する。
「……できるのか?」
『はい。むしろ光の精霊よりも広範囲に探査できますわ。密閉された場所は苦手ですが、それは光の精霊でも同じですし』
「なるほど、なら、頼めるか」
『はいっ!』
アイレの返事は、いつもながら丁寧で可愛らしい。相変わらず、俺の意図を察するのも早い。
『あーいいなー、アイレ。僕だと、生き物の熱を感じることくらいしかできないからなあ』
カエリが拗ねたように言う。
「……ん? 熱?」
俺は思わず聞き返した。それって……赤外線感知みたいな感じか?
そう思うと、案外、使い方次第ではめちゃくちゃ有用なんじゃないか?
森の中とか、視界の悪い場所では特に。
そんなふうに思案していると、クェルが俺の様子を不審に思ったのか、話しかけてきた。
「ケイスケ、どうしたの?」
しまった。あんまり黙り込んでたせいで、気になったか。
「ちょっとね、カエリが探査に使えるかもって話してた」
アイレのことは伏せつつ、カエリの能力について説明する。
「へー、すごいじゃん! 私たちだけで探すよりずっと早く見つかるかもしれないわね!」
『へ、へへへ! 僕に任せろよ!』
急に張り切りだすカエリに、少し不安を感じつつも……まあ、これで怪しまれることはないだろう。
たとえアイレの探知が功を奏しても、それをカエリの手柄としておけば問題ない。何より、これで少しでも危険が減るなら、それが一番いい。
渓谷が見えてきたのは、夕暮れ時だった。
ずいぶん長いこと走ってきたはずなのに、クェルは息一つ乱さない。俺はというと、顔に汗が張り付き、装備が擦れる音が妙に気になるくらいには疲れていた。
空は茜に染まり、東の端から徐々に群青が広がりつつある。そんな空を背景に、巨大な飛竜たちが何頭も滑空していた。
「……あれが、飛竜か」
思わず声が漏れる。全長十メートル近い、灰青色の巨大な影。空を舞うというより、空気を滑るように飛んでいる。
翼を羽ばたかせるでもなく、まるで風そのものになったかのような動きだ。翼を広げたシルエットは、かつて図鑑で見たプテラノドンに近い。いや、実物なんて見たことはないけど、恐竜映画で見たそれに似ていると言えばわかるだろうか。
だが、違う点もある。頭部はよりトカゲに近く、爬虫類的な生々しさが強い。鱗の質感まで見える距離ではないが、見上げていると背筋が自然と伸びる。そういう存在感がある。
「飛竜ねー」
隣でクェルがつぶやいた。俺と同じく空を見上げながら、腕を組んで顔をしかめている。
「私はあいつ、面倒だから嫌いかな」
「倒す前提かよ」
「うん、だってああ見えてかなり獰猛なんだよ? 地上の獲物は全部自分の餌だと思ってるようなやつらだもん」
「……まあ、確かに面倒そうではある」
「飼いならすこともできるみたいだけどね。卵から育てれば、だって」
「成獣は無理ってことか?」
「基本はそうみたいよ。成長してからじゃ、人に懐くより喰おうとするらしいし。まあ、一流のテイマーならやれるのかもしれないけどね」
そんな会話をしながら、二人して空を見上げる。高く飛ぶ飛竜たちが、西の空に沈みかける太陽を背にして、影のように渓谷をかすめて飛んでいく。その姿に、ちょっとしたロマンを感じずにはいられない。
「飛竜に乗って空を飛ぶ、か……」
そんな俺のつぶやきに、突然、頭の中にアイレの声が響いた。
『主、卵でしたら私が見つけられますわよ?』
そうくるか。
「卵は……また今度かな」
少し惹かれたけど、今は飛竜を育てることが目的じゃない。
「なに? ケイスケ、飛竜の卵欲しいの?」
アイレとのやりとりを聞いていたのか、クェルが興味深そうに顔を向けてくる。
「あー……まあ、浪漫はあるよね。飛竜に乗って、空を自由に飛び回るってさ」
「ふふん。確かに、移動はすごく楽になるかもね」
飛竜が徐々に数を減らし、空に静けさが戻ってくる。あたりが薄暗くなり、谷間の空気も次第に冷えてきた。
「それで、どうする? これから魔物探すか?」
いつも通りなら、ここから夜通しで捜索に入る流れだ。俺もそのつもりでクェルに問いかける。
「ううん、今夜はこの辺で野営しよっか。明日、太陽が登ったら探し始めよう」
「そうなのか。了解」
少し意外だった。いつもならクェルは「今動けるなら動く!」ってタイプだと思っていたのに。
「相手は魔物だからね、視界も確保して、万全の状態で臨んだほうがよさそうだから」
「……なるほど」
思い返せば、今回はいつもの魔獣相手じゃない。魔獣ならば元になった個体から大体の能力を推測できるが、魔物相手だとそれができないのだ。
いつもより慎重なクェルに、俺も自然と気が引き締まった。
谷の中腹にある岩場の広場を選び、簡単な焚き火の準備を始める。石を積み、乾いた枝を集めたところで、横から声が飛んできた。
『僕の出番だね!』
――ボッ。
カエリの声が聞こえたと思った瞬間、枝に鮮やかな炎が灯った。
「……便利すぎるな、お前」
『ふん、当然さ。火の精霊だからね』
焚き火の暖かさが、日中の疲れをゆっくりと溶かしていく。赤々と揺れる炎を見ながら、クェルがぽつりと言った。
「火の精霊ねぇ……こうして目にしていても、なんかまだ信じられない気もする」
「リラのこともあるし、そんなに珍しくもないだろ?」
「いや、そうじゃなくて……火の精霊って、昔からちょっと厄介者扱いされてるのよ。過去の契約者って、結構やらかしてる人多いんだよね。大量破壊系の犯罪者とか」
「マジで?」
思わずカエリをまじまじと見る。
「俺が、犯罪者予備軍ってことか?」
「そうは言わないけど……でもまあ、ケイスケなら大丈夫でしょ。そういうのとは違うって、わかるし」
夜風が涼しくなってきて、焚き火の熱が心地よく感じられる。静かな渓谷に、ぱち、ぱちと薪の爆ぜる音が響く。
飛竜たちの姿はもう空にない。俺たちの頭上には、星が一つ、また一つと瞬いていた。
明日は、いよいよ魔物の探索開始だ。
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