第百二十四話「契約」
二つの人型は、跪きながら静かに口を開いた。
『求めに応じ、御身の前に』
『同じく』
風の精霊は女性のような声、土の精霊は低く響く男性の声だった。
「お、おおう……」
やけにうやうやしい態度に、思わず身を引き、妙な声が漏れる。
目の前にいるのは……大精霊だろうか? けれど、何でこんなに丁寧なんだ? というか、俺が頭を下げられる立場じゃない気がする。
「えーと、二人? は、風の大精霊と……土の大精霊で合ってますか?」
言葉が変に敬語になってしまう。自然体でいようと思ったのに。
『仰せの通りです』
『然り』
その姿勢のまま、二人は静かにうなずいた。
「そ、そうですか……」
やはり大精霊で間違いないらしい。でも、なんでだ? なんで彼らが俺なんかに跪く?
「お、おう。というか、なんでそんな……跪いて、丁寧語で? 相手、間違えてない?」
思いきって問いかける。どう考えても逆じゃないか?
『間違えなど、起こしませぬ』
『……其れを、我々が申し上げるわけには参りません』
知っているけれど、語ることは許されていない──そう言っているようだった。
もしかして、彼らはもっと上位の存在に従っているのか? 神様とか……?
俺がこの世界に来るとき、神様らしき存在に会った記憶はない。けど、こうして目の前の大精霊が跪くということは、やはり何かがあったのか? 俺は何ひとつ記憶にはないが。
「俺は……何なんだ?」
自分でも口にして驚いた。
俺は、ただの日本人だったはずだ。けれど、その“はず”に根拠がない。記憶が曖昧だ。俺は、俺自身を信じることさえできないのか?
『申し訳ありません』
大精霊は、答えられないと言う。それが逆に、俺の疑念を深めていく。
自分が何者なのか──分からないのは、不安だ。けれど、このまま悩んでも仕方ない。
俺は気を取り直して訊いた。
「君たちが、俺と契約してくれるのか?」
『そうしたいのはやまやまなのですが……』
『其れもまた、許されてはおりませぬ』
大精霊は契約してくれないらしい。
「その理由もまた、答えられない?」
『お答えできません……』
『申し訳ございませぬ』
やれやれ、と肩を落とす。
結局、何も分からない。けれど、それでも彼らは、俺の呼びかけに応じて現れた。契約はできないけれど、それでも俺のもとに来てくれた理由があるはずだ。
「なら、なんで来たんだ? ……あと、できればその跪くのやめてくれないか? 居心地悪いんだけど」
『それをお望みであれば』
『承知した』
二人は静かに立ち上がり、俺と視線を合わせた。
風の大精霊は、透き通った淡緑の衣をまとい、浮かぶように立っている。人間と変わらぬ姿ながら、現実味のない美しさだ。対する土の大精霊は、岩石でできた鎧を着込んだような巨体で、圧倒的な重量感があった。
『我らは御身と契約を許されておりませんが、眷属であれば可能です』
「眷属……?」
首を傾げる俺に、今度は土の大精霊が続けた。
『左様です。御身が先に契約した、そちらの者らと同じ格の精霊となります』
俺の背後に視線をやる。カエリとシュネ。火と水の精霊たちは、珍しく黙り込んでいた。大精霊の存在に気圧されているのだろう。
『我らとしては、御身に格の低いものを宛がうようで心苦しいのですが……』
『礼儀も弁えておらぬ故に、な』
「ひっ!?」
カエリが小さく悲鳴を上げた。俺は思わず笑ってしまう。
「まあまあ……俺としては、そのくらいの方がやりやすいよ。というかさ、その話し方、もっとラフにできない?」
堅苦しいのは苦手だ。精霊とだって、普通に話したい。
『……御身が望まれるなら』
『我はこのような話し方故……』
『……なっ!?』
裏切ったな!? と言いたげな目で、風の大精霊が土の大精霊を睨む。ああ、なんかちょっと面白い。
「あ、じゃあ風の大精霊だけでもラフに頼むよ」
『わ、わかりました……!』
少し照れたように言葉を崩す彼女。ようやく肩の力が抜けた気がした。
「それで、眷属をここに呼んでくれるのか?」
『もちろんです』
『然り』
「まだ固いなー」
『うぇぇ……?』
それでも、笑いながら俺の冗談に付き合ってくれる。悪くない。
『と、とにかく眷属を呼びますわよ!』
その言葉とともに、空気がわずかに震えた。
小さなつむじ風が渦を巻き、人の形を成していく。風の精霊、名は『アイレ』。しっかり者で、キリッとした目元が印象的な少女の姿だ。
続いて、足元の砂と小石がゆっくりと集まり、小さな男の子の形を作る。土の精霊、名は『ポッコ』。のんびりとした表情で、丸い目が優しげだった。
これで四属性──火、水、風、土。それぞれの精霊と契約したことになる。
『それでは、私たちはこれで帰ります。眷属たちをよろしくお願いします』
風の大精霊は丁寧に一礼し、土の大精霊も無言で頭を下げた。そして、二人はゆっくりと形を崩し、風と岩に戻るようにして消えていった。
その場には、四体の精霊が残った。
「……やり過ぎたか?」
『ほんとだよ!』
即座にカエリの鋭いツッコミが飛ぶ。だが、悪くない気分だった。
スマホを取り出して同期率を確認する。
画面には、火素、水素、風素、土素――四属性すべてに同期マークがついていた。
「……順調、だな」
すでにいずれも同期率は10%を超えていた。ここからは多少なりとも加速度的に上がっていくはずだ。何しろ、四体も精霊がいるのだから。
けれど、問題は別にあった。
これみよがしに精霊たちを引き連れて歩いていれば、いらぬ騒動を招くのは目に見えている。
ちなみに、光の精霊リラは俺の影の中に潜んでいたので、他の人からは見えなかった。だが、この四人はそうもいかないだろう。
「なあ、お前ら。このスマホの中に入れたりは……できるか?」
俺がそう尋ねると、目の前に浮かんでいた四人の精霊たちが一斉にスマホを見つめた。
『大丈夫ですわ』
最初に反応したのは、風の精霊アイレ。冷静で頼りになる、姐さん気質の彼女らしい返事だった。
『いけるんじゃね?』
火の精霊カエリが軽く返す。ツンツンしてるくせに、こういうときの対応は早い。
『入れますー』
水の精霊シュネは、相変わらずの間延びした口調だ。
『……ん』
そして土の精霊ポッコ。短く、そっけない返事だった。
一旦全員スマホに入ってもらう。そして意外にも全員、「悪くない」といった反応を見せた。
スマホを確認すると、同期マークにも異常はない。
どうやら、精霊たちがスマホの中にいても、同期には問題ないらしい。
「もういいぞー」
声をかけると、スマホから順に三人の精霊が姿を現した。
『主様、私たちは基本的にこの中にいればいいのですか?』
『居心地はいいけどよ、少しつまらねーな』
『魔素が少ないときは、いいかもですねー』
そう言うと、三人ともスマホの外でふわふわと漂いはじめる。
なるほど、彼女らもまた“魔素”という環境に影響を受けるのか。
魔素が薄い場所に長くいれば、精霊であっても疲れるらしい。
光の精霊リラの場合は、光と影、どちらかがあれば問題なかった。けれど、他の精霊たちはそうもいかないのだ。
「って、あれ? ポッコは?」
三人が揃っているのに、肝心の土の精霊だけが姿を見せない。
不思議に思ってスマホを覗き込むと――
『ポッコ、この中にいる』
スマホから顔だけを出したポッコが、ぼそりとつぶやいて、またするりと中に引っ込んだ。
『ポッコは、その中が気に入ったみたいですわ』
アイレの解説に、俺は苦笑した。
「そうなのか? まあ、それならいいけど……。ところでさ、お前たちって、人間の目から隠れる手段とか持ってたりする?」
今後のことを考えると、やっぱりそれは確認しておきたかった。
『僕はないね。火があれば、その火に同調して隠れられるけど、常に火を灯してるってのも現実的じゃねーし』
カエリは、はっきりとした口調で言い切った。
『霧とかが濃ければ隠れられますけどー、普段は無理ですねー。水筒に身を潜めるくらいー?』
シュネは少し申し訳なさそうに答える。
そして、アイレ。
『私は、空気がある場所であれば、どこでも隠れることができますわ』
……つまり、地上なら問題なしってことか。
さすが風の精霊。万能さが段違いだ。
「じゃあ、人目があるときは、カエリ、シュネ、ポッコの三人はスマホで待機な。アイレはどうする?」
『私は外にいますわ』
「そっか」
『一人くらい外にいないと、主も寂しいでしょうから』
その言葉に、ふと胸が熱くなる。
確かに、リラをハンシュークに置いてきて以来、話し相手がいなくて少し寂しいと思っていた。
……別に、その寂しさを紛らわすために精霊たちと契約したわけじゃないけど。
「まあ、うん。ありがとう」
素直に礼を言った。
俺の言葉に、残りの三人も反応する。
『ぼ、僕だって、寂しいなら主の話し相手になるぞ!』
『私もー。入れ物さえ用意してもらえればー』
『……ん。入れ物があれば、大丈夫』
どいつもこいつも、なんだかんだで優しい。
自分のためにそこまで言ってくれることが、嬉しかった。
その後は、しばらくアピール合戦のような状態になった。
「じゃあ、こうしよう。人が多い場所は、アイレが外。あとの三人はスマホに。けど、入れ物を用意すれば、出られるようにしておく。カンテラにはカエリ。水筒にはシュネ。袋にはポッコ……で、どう?」
『問題ありませんわ』
『カンテラなら、ちょうどいい火加減かもな!』
『水筒の中なら安心ですねー』
『……袋、好き』
みんなが頷く。
明日は、精霊たち用の“入れ物”を探して調達しないとな。
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