第百二十二話「火の精霊との契約」
夜になっても、ダッジたちは帰ってこなかった。夕食の時間もとうに過ぎている。
まぁ、何かあったとは思わない。あの三人のことだ、酒場で面白い話でも見つけて長居してるんだろう。……あるいは、道草食ってるか。人騙すネタでも考えながら。
そんな中、クェルは満足そうに腹をさすりながら、飯を口いっぱいに詰め込んでいた。
「ラプトワワニの群れだったんだけどね、数が多くて大変だったよ! ケイスケも連れて行けばよかった!」
口から少し食べているものが飛びそうになって、慌てて飲み込んでいる。そんな様子にも、まるで悪びれたところがない。
「……ラプトワワニって、あの二足で立つやつか?」
「そうそう! あのガォーってするやつ!」
擬音じゃねえか。
「数、どのくらいだったんだ?」
「えーっとね……五十くらい?」
五十……?
一瞬、聞き間違いかと思った。けれど、クェルの顔はまったく冗談に見えない。
「で、その処理は……」
「集計も死体の処理も丸投げしてきたよ! だって私、討伐の依頼しか受けてなかったし?」
肩をすくめながら、涼しい顔。脳裏に浮かぶのは、今ごろギルドで涙目になっていそうな顔も知らない職員の顔だ。……いや、確かに依頼としては間違ってないけど。
やっぱ、行かなくてよかった。
「でもさー、こっちは魔獣が多いよね、ほんと」
クェルはまた一口、大きくスプーンを運びながら、口いっぱいに頬張った。小柄な体のどこに収まっていくのか、感心すら覚える。
「ダンジョンが近いから、多いんだろうな」
「そうなんですか?」
「そうだねー。魔素が濃いと、魔獣化する獣も増えるって聞くよ」
「理屈はわかってないんだがな。経験則だな」
この世界に来てから、魔獣についてはなんとなく理解してきた。普通の獣と違って、異様に凶暴で、力も強い。
今回クェルの討伐したラプトワワニは、通常なら大きな群れは作らない。だが魔獣化した個体がいると、配下に獣のラプトワワニを従えることがあるみたいだ。
今回の件は、イレギュラーっぽいみたいだが。
「明日は俺も、ギルドで依頼受けてみようかな」
「おっ! いいじゃんいいじゃん! じゃあさ、魔獣退治一緒に行こうよ!」
クェルの瞳がキラキラしてる。今からでも行こうって言い出さなかったのが不思議なくらいだ。さすがに、ホームじゃない場所では自重してるらしい。
ステラさんがいないから……か?
その夜。宿に戻ってベッドに寝転がりながら、俺はスマホを取り出した。
魔素との同期:15%
風素との同期:12%
火素との同期:14%
水素との同期:14%
土素との同期:10%(自動スワップ設定中)
光素との同期:25%(自動スワップ設定中)
光素の同期を確認するが、やはり変化はない。
「……やっぱり、リラがいないと進まないか」
右上の同期マークは、どこにも表示されていない。
どうしたものか。どこかに、リラみたいな精霊がいればいいんだけど。
「少し、探してみるか……?」
思わず独り言が漏れる。けれど、どこを探せばいいのか。リラを見つけた時みたいな偶然が、そう何度も起きるとも思えない。
……そうだ。昼間、占いで言われたことを思い出す。
「深くて暗い穴……」
ダンジョンのことだろうか? だとしたら、ダンジョンはそれこそ魔素の塊みたいな場所だ。確かに、精霊がいてもおかしくない。
「でも、占いって言ってもな……あんまり当てには――」
そう呟きながら、俺はふと思いついて、掌を差し出した。
試しに、火の魔法を詠唱する。
『紅き精霊たちよ。小さき小さく顕現し給え……ビュンテ』
手のひらに、ぽっと温かい火が灯る。その熱を感じながら、俺は魔力の流れを意識して、スッと切る。
火は、すっと消えた。
……これ、つまり毎回「火の精霊」に呼びかけてるってことなんだよな。ってことは、言葉で“接続”できてるってわけだ。
リラは、直接触れられる精霊だった。けど、火の精霊は、詠唱を通して呼び出す対象。
つまり――直接呼びかけることができるかも?
「……でも、部屋の中で火はまずいな」
水も濡れるし、土は汚れる、風も物が飛ぶかもしれない。
なら、外で試すのがよさそうだ。
そう思った時には、もう立ち上がっていた。
「ちょうど、寝るにはまだ早いと思ってたんだよな」
そう、昨日は酒が入っていたこともあって早く寝てしまったが、今日は違う。
クェルとの依頼続きの日々を経て、ようやくゆっくり休める夜だ。けれど、今は身体よりも、意識が火照っている。
夜風を感じながら、俺はそっと宿を出た。冒険者の証を見せれば、非常門から出られることは確認済みだ。
月は雲に隠れ、辺りは静かだ。街の灯が遠くにちらちらと瞬いている。
「夜の砂漠は寒いっていうけど、ほんとなんだな……」
一人ごちる。
正確には、ここは砂漠というより荒野に近い。地面は岩混じりの乾いた土で、風に乗って細かい砂が舞っている。背の高い木はほとんどなく、ちらほらと灌木が見えるくらい。辺りは静かで、生き物の気配も少ない。昼は酷暑でも、夜は一気に気温が下がる。だからこそ、火が欲しい。
──ということで。
「やってみるか」
日本語で精霊を呼び出すという、少し変則的な方法。魔法の詠唱が日本語なら、言葉に意味があるなら、意志が伝わる可能性もある。契約できるかはわからないが、少なくとも呼びかけくらいは通じるかもしれない。
『火の精霊よ、我が呼びかけに応じ、その姿を現し給え』
少し仰々しく構えて、声に出してみる。
すると──。
「……おお」
俺の目の前に、こぶし大の青い火がふわっと現れた。火は空中に浮かび、ほのかに揺れている。よく見ると、人形のような形をしていて、目や口のようなものもある気がした。
『……わ!? ……ブワッ!?』
声がした。火の揺らぎとともに、かすかに響く高い声。
──精霊、なのか?
火は強い風に煽られて、今にも消えそうに揺れていた。俺は慌てて、風上へと身体を動かす。少しでも風から守るように手をかざすと、火の揺らぎがやや落ち着いた。
『……た、助かった……! ちょっと、こんな風の強い場所で呼び出すなよ!?』
さっきの声が、はっきりとした言葉になって俺の耳に届いた。
「ご、ごめん。風が強いと大変だとか、考えてなかった」
『もう! ちゃんとしろよな! そもそも火素も少ない場所で、顕現も大変なんだから!』
ぷんすか怒っている様子の火の精霊。声は高めだが、話し方的に男の子っぽい。なんとなく、小さな弟に怒られているような感覚になる。
「ごめんて」
『……まあ、いいよ。それで、僕を呼び出して、何の用なんだ? って、プワッ!?』
言いながら火がまた風に煽られる。俺は再び位置を調整し、できるだけ風を避けるようにする。
『……もう! 風を避ける場所もないじゃないか! で、何の用なのさ!?』
「あー……そうだな。火の精霊である君と、契約できればと思ったんだけど」
タイミング的に悪いとは思ったけど、黙っているわけにもいかず、正直に告げる。怒っている相手にいきなり契約を持ちかけるのもどうかと思ったが──。
『……へ? 契約? ……あっ、ふーん? 契約、したいんだ? この僕と』
突然、視線を逸らしながら、ちらちらとこちらを見るようになった。え、なんだその反応。まさか、悪くないって感じ?
「そう、是非とも契約したいんだ。してくれるか?」
悪くなさそうな感触に、思い切って踏み込む。
『……う、うん。そこまで言うなら、仕方ないな! うん、お前が僕と契約したいって言うんだからな!』
あれだけ文句を言っていたのに、今はなんだか胸を張って、ちょっと照れているようにも見える。めちゃくちゃツンデレだな、こいつ。
「良かった、ありがとう」
『ふふん、感謝しろよ!』
誇らしげに火がぱちぱちと跳ねる。コミカルな動きがどこか可愛らしくて、思わず笑みがこぼれる。
「契約って、名前をつければいいんだよな?」
『そうだよ』
「じゃあ──『カエリ』ってのはどうだ?」
一瞬の沈黙の後、火の精霊はくるくると回ってから答えた。
『ん。カエリね、了解! それでいいよ』
名前を受け入れた瞬間、精霊の火が赤みを帯び、勢いを増した。さっきよりも、ひとまわり大きくなったように見える。
「あれ? ひとまわり位、大きくなったか?」
『そりゃあね! 契約すると位階が上がるから、大きくもなるさ』
なるほど。契約が成立すると、精霊の存在も強化されるのか。力の使い方も、これから学んでいく必要があるな。
「そっか。これからよろしく」
『仕方ないから、よろしくしてやるよ!』
カエリは威張ったように言いながらも、火の形をちょっとだけ弾ませた。怒りっぽいけど、悪い奴じゃなさそうだ。なんだかんだで、ちゃんと手助けしてくれそうな気がする。
夜風はまだ冷たいけれど、火の精霊カエリの存在が、それを少しだけ和らげてくれたようだった。
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