第百二十話「占い」
朝、目を覚ましたとき、枕元にスマホを置きっぱなしにしていたことに気が付いた。
「あぶないな……。酒には気をつけたほうが良さそうだ」
昨夜の宴の余韻が残る頭でひとりごちて、そっとスマホを懐にしまう。酔っていたとはいえ、うっかり自分の生命線ともいえるものをを無防備に晒していたのかと思うと冷や汗がにじむ。
「……もう、これだけだからな」
地球からの物は、もうこれしか残っていない。
服も靴も、身に着けていたものはもうボロボロになって捨てた。
その他の小物はメイコ達と暮らしていた時、家の中に置いておいて、急いで逃げたから回収することはできなかった。
木戸を開くと、朝日が差し込み、目に眩しい。外には黄色がかった砂色の家々が建ち並び、ヴァイファブール独特の街並みが広がっている。空には三つの月が、まるで忘れ物のように浮かんでいた。
犬の吠える声が遠くで聞こえ、誰かの怒鳴り声が重なる。カンカン、トントンと、あちこちから聞こえる規則的な音は、食事の準備か、仕事を始める音か。どこか活気があり、それでいて肩の力が抜けるような雰囲気がこの街にはあった。
教会の鐘はないが、代わりにラッパの音が響く。リームさんが言っていた。これがこの街の朝の合図だと。
パア、パパア……と三度聞こえた。朝食の時間だ。
階段を下りて、食堂に向かう。昨日と同じ場所だが、ステージには楽隊の姿はない。やはり夜だけのものらしい。
音楽というものに触れる機会は少なかったが、昨日の演奏は心を躍らせるものだった。日常に音楽があるだけで、こんなにも違うものなのかと実感する。
朝食を終えると、リームさんが皆に声をかけた。
「私はひとまず、知り合いのところに顔を出す予定だ。皆は自由にしていてもらって大丈夫だよ」
「おっ! 流石旦那」
ダッジたちは町に繰り出し、クェルはギルドで依頼を探すという。俺はリームさんについていくことに。
向かった先は、テントが立ち並ぶ一角。
その一つの店先にいたのは、狐のような耳を持つ、よく喋る男性だった。紫がかった上等な布を肩からかけ、サルエルパンツのようなズボンにサンダル姿。
「ナルメルや。よろしゅうな」
背の高いその男性が差し出した手を握る。俺が低いだけかもしれないが、こうして見ると、自分より小柄な獣人や小人族も周囲にはちらほらいることに気付く。
ナルメルはリームさんの旧知の仲だという。昔は冒険者だったが、今は商人として別の町で商売をしているらしい。冒険者としては銅級だったそうだが、リームさんは「斥候としては引く手数多だった」と持ち上げる。
「そない、持ち上げんといてやー! まあ、今はしがない商人の一人や。今後ともごひいきに、な」
ナルメルはウィンクするが、妙に様になっていた。
商品は織物や雑貨が中心。リームさんは、穀物や香辛料、砂糖を扱う商人の紹介を頼み、ナルメルは数人の紹介状を手渡してくれた。
「いくつかアテはあるから、紹介状書いたるわ」
俺たちは礼を言い、次の商人を探してテント街を歩き出す。
風に砂の匂いが混じる。街は異国情緒に溢れ、人々の服装も建物も俺には新鮮だ。獣人の大道芸は見事だった。しなやかな身体がくるくると宙を舞い、観客の喝采が響く。
屋台では、香辛料の効いた肉や魚の串焼きが売られていた。甘いドーナツのような揚げ菓子は絶品だったが、蜂蜜漬けの柑橘のようなものは甘すぎて喉が渇いた。
ちなみに、水はこの地では貴重だ。ラプトワ大河の水は飲めず、井戸や魔法、魔道具で生成するのが一般的。水の魔石は重宝される。灰色の魔石でも水は作れるが、あまり美味しくはないと聞く。
そんな話をしていた時だった。
「そこの小さいの。占いはどう?」
妙に色っぽい声に振り向くと、アラビア風っぽい紫の透けた衣装をまとった女性がこちらを見ていた。顔の輪郭ははっきり見えないが、艶やかな声は確かに女性で、それも妙齢の大人びたもの。
正直、気になった。いや、色っぽいから……だろう。
立ち止まった俺に、リームさんが追いつく。
「どうした?」
「あ……いえ。なんでも」
そう言ったが、リームさんは察したように「ああ……」と頷く。
「占ってもらってみればいい。せっかくだしな」
その一言に背中を押されて、俺はうなずいた。
「……じゃあ、少しだけ」
羊のような巻き角を持つ女性が、俺をテントの中へと手招いた。
「じゃあ君、ちょっとテントの奥に来てもらえるかしら」
占いなんて、正直、これまでの人生で真面目に向き合ったことはなかった。
本日のラッキーアイテムが「緑の小物」だとか、「今日は南東に向かうと運気上昇」とか、そんなのをちょっとだけ気にしてみる程度。実際のところ、俺の周囲にも、占いに本気で依存してるような人間はいなかった。けれど、この世界では、どうやら事情が少し違うらしい。
魔法と精霊が存在するこの地では、「占い」がそれなりに信ぴょう性のある情報獲得手段とされている。実際に当たるケースも多くて、冒険者たちの中にも「旅の前に占ってもらう派」がけっこういるらしい。
とはいえ、どんな仕組みで未来が見えるのか──その理屈は未だに解明されていない。
占い師たちは、当然のようにその手法を公にしない。そりゃまあ、飯のタネをそう簡単に明かすはずもない。商売ってのはそういうもんだ。
入口で軽く自己紹介を済ませると、女占い師は優雅な手つきでカーテンをめくった。
中は、予想以上に薄暗かった。お香の匂いが漂っている。少し甘くて、嗅ぎ慣れない香りが鼻腔をくすぐる。まるで異空間に足を踏み入れたような感覚。
対面に座った占い師は、静かに水晶球へと手をかざした。
「……あなた、とても奇妙な運命を辿ってきているのね」
その一言で、俺の中にざらりとしたものが走る。
「……え?」
俺は驚き、無意識に背筋を正した。
「わかるんですか? 俺の……過去が」
あまり思い出そうとしていなかった。だけど、確かに俺の記憶は不完全だ。転移前の日本での記憶は、霞がかかったように曖昧で、断片的で……思い出そうとすると妙な頭痛すら感じることも。
──ひょっとして、この占いが鍵になるのか?
そんな期待を抱いたが、占い師は静かに首を振った。
「わかるのは、あなたの道が特殊だということだけ。私の占いは、あなたのこれからの道に、少しだけ“道しるべ”を置くだけなの」
「そう……ですか」
落胆の声が自然と漏れた。
「でもそうね、あなたが“過去”にこだわっているのなら、その視点から、未来の道しるべを探してみましょう」
占い師は指先をそっと水晶へ翳し、呼吸を整えた。
静寂の中に、微かな囁きのような声が続いた。
「……火……それに、水……風、そして土……」
火、水、風、土。まるで魔法の属性みたいだ。
「光……。それに、これは──世界を導く……?」
それきり、占い師の口から言葉は出てこなかった。彼女はしばらく沈黙したまま、水晶を見つめていたが──やがてふっと手を下ろし、深く息を吐いた。
「……ごめんなさいね。貴方の運命はとても大きくて、私ではその全貌を見ることはできないわ」
「大きい……ですか?」
「ええ……。それこそ、まるで“世界そのもの”のようだわ。……あなたは、何者なのかしら?」
頬に手を添えた彼女は、うっとりとしたような表情で俺を見つめる。顔はよく見えないのに、不思議とその雰囲気には圧倒される。妖艶というか、なんというか……。
「自分でも、そんなのわからないですよ。……俺は、ただの人間だったはずですから」
俺の言葉に、占い師は小さく笑った。
「うふふ……興味深いわね。とっても」
──興味深いとか言われても、俺としては混乱するばかりだ。
「そうそう、あなたの“道しるべ”について、もうひとつ見えたものがあるの」
「……なんでしょう」
「“深い穴”よ。暗くて深い、底の見えない穴。その中に、きっとあるわ」
「……何があるんです?」
「それは、わからないわ。だけどきっと、あなたが進むために“必要なもの”」
必要なもの──それはきっと、俺にとって重要な何か。だけどそれが何なのか、わからない。
鼻先をくすぐるお香の匂いをまだ感じながら、俺はゆっくりとテントから出る。
「深くて……暗い穴、か」
不吉とも思えるそのイメージが、妙に頭に残った。
そんな穴の中に、自分の未来があるだなんて、ちっともワクワクしない。
けれどどこかで、ほんの少しだけ期待している自分がいる。
俺が「何者か」であるならば、その答えが、その穴の底にあるのかもしれないと。
「ま、せっかく占ってもらったしな……。この先、“穴”があるなら、一応探してみるか」
その深くて暗い穴の先に、俺は何を見つけるのだろう。
最後までお読みいただきありがとうございます!
あなたの貴重なお時間を物語に使っていただけたこと、とても嬉しく思っています。
ちょっとでも楽しんでいただけたなら、何よりです!
もし「いいな」と思っていただけたら、
お気に入り登録や評価をポチッといただけると、とても励みになります!
コメントも大歓迎です。今後の執筆の原動力になりますので、
どんな一言でも気軽に残していただけたら嬉しいです。
これからも【悠久の放浪者】をどうぞよろしくお願いします!