第百十九話「ヴァイファブール」
人の往来が明らかに増えてきた。
舗装されていない土の道が、馬車の轍と獣の足跡で乱れ、埃が立ち上る。その向こうに見えるのは、次々と行き交う荷車、背の高い毛むくじゃらの獣を従えたキャラバン、異国風の装いをした人々。そしてその隙間を縫うように駆け抜けていく子どもたちの笑い声。
「やばいな」
「おう、やばいな」
「……やばい」
ダッジ、バンゴ、ズートの三人が並んで口を開いたはいいものの、語彙力は完全に死んでいた。
無理もない。俺だって似たようなもんだった。
目の前に広がっていたのは、これまでの旅では見たこともないような風景だった。
町が見える。砂の海にぽっかりと浮かぶオアシスのように、そこだけが色と熱と命に満ちていた。建物は全体的に黄土色で、角ばった構造ばかり。豆腐を積み上げたような造形だ。でも近づいてみると、壁には幾何学模様のような彩色が施され、所々にタイルのような光沢もあって、単調な印象はなかった。
俺の中のイメージでは、まるで中東の砂漠都市。古い映画で見たことのある風景と重なった。
けれど、俺たちが唖然とした理由は、町そのものじゃない。
町の隣に、巨大な“何か”があった。
それは……テントだった。
いや、正確に言えば――巨大な獣の背に張られた、とんでもないサイズのテント。
まるでサーカスの大テント。円形の布地が獣の背に広がり、中央にそびえる尖った支柱が空に突き刺さっていた。
象にも似たような体格の、だが明らかに違う種の巨大な獣。その背中の上に、まるで都市のようなテントが乗っている。何十人、下手すりゃ百人単位で住めそうな、そんなスケールだった。
「……ダッジたちは、来たことあるんじゃなかったっけ?」
俺がようやく声を出すと、ダッジが気まずそうに頭を掻いた。
「いや、俺たちは、前は会合の前に到着してすぐダンジョンに潜ってたから、あれは見てねえんだよ」
「話には聞いてたがなあ。あれはやべえな……」とバンゴ。
前夜祭と後夜祭にだけ顔を出して、本祭をスルーしたような感じか。
「ともあれ、目的地には着いというわけだな」
リームさんがそう言って、皆の視線を集める。
「宿を探して、そこを基点にしたい。すまないが、それまでは付き合ってくれ」
もちろん俺は頷いたし、ダッジたちも、そわそわしながらも了承した。
そして、俺たちはついに――ヴァイファブールの町に足を踏み入れた。
中に入ると、まず圧倒されるのは人の多さだった。いや、正確に言えば「種の多さ」だ。
「獣人だらけだな……」と俺が呟くと、ズートがぼそりと口を開く。ズートは俺に話しかけているのではなく、どうやらダッジたちに話しかけている様子だった。
「ああ、今夜は……どうする?」
「……調べてからが、いいだろう」
ダッジとバンゴがひそひそと話し込む。どうやら、さっそく遊びの計画を立て始めているようだ。
ま、無理もない。俺だってリームさんの護衛任務がなければ、しばらく観光したいと思っただろう。
それほど、この町は“異国”だった。
日差しは強く、建物の壁には布が垂らされて日陰が作られている。市場からは香辛料の匂いと獣の鳴き声が漂ってくる。通りには露店が並び、土器や革細工、金属の装飾品が無造作に並べられ、叫ぶような売り文句が飛び交っていた。
あたりはもう夕暮れ。空が赤紫に染まり、町の明かりがぽつぽつと灯り始める。
夕餉の支度か、香ばしい煙があらゆるところから立ち上っている。
やがて俺たちは、通りの外れにある大きな宿へとたどり着いた。
宿は二階建てで、中庭がある造りだった。部屋は全員分、一人一部屋。リームさんが全額出してくれた。
「ひとまず、部屋に荷物を置いたら、食堂に集合しようか」
そう言って解散。とはいえ、部屋は並びで近いので、移動は一緒だった。
その夜、俺たちは再び食事を共にした。
明日からは、それぞれ別行動になるかもしれない。俺は明日リームさんについていく予定だが、クェルは早速こっちの冒険者ギルドに行って依頼を見てくるのだとか。
食堂というより、半屋外の広間。中庭に面した空間に、低いテーブルとクッション付きの椅子が並び、獣人や人間、亜人たちが酒や料理を楽しんでいた。
中央のステージには、五人組の獣人楽団。木管と弦、それに不思議な打楽器の音が混じって、どこかエキゾチックな旋律を奏でている。
料理はスパイスの効いた肉料理と、大きなパンが主食。どこか癖のある香りが鼻をくすぐるが、食べなれないながらも、不思議と食が進む。
酒は甘く、喉に残る芳醇な味わい。場の雰囲気も手伝って、軽く酔いが回った。
「……そういえば、クェルは酒、飲まなかったな」
ぼんやりと、彼女のことを思い出す。
何か真面目な顔をして、料理をつまんでいたような気がする。明日は一緒にギルドに行くって言ってたけど、今はもう部屋に戻ってるのかもしれない。
俺もそろそろ寝るか。
自分の部屋に戻ると、外の喧騒が少し遠くに感じられた。扉を閉め、寝台に身体を沈め、スマホを取り出す。
「……そういえば、このスマホ、防犯を考えないと……」
今のところ無事だったけど、目立ちすぎる。俺の世界の技術が詰まった道具。誰かに奪われたら、それこそ大ごとだ。
盗まれたところで、静脈認証と顔認証もしているので、この世界でそのセキュリティが解除できるとは思わないが、無くなるのは勘弁だ。
防犯……見えなくするのはどうだ?
酔った頭で、ふと思いついた。光魔法を応用すれば、できなくはないかもしれない。
「……光の精霊よ、このスマホを俺以外には見えないようにしてくれ……ハイド」
唱えながら、スマホをかざす。ぼうっと手元が光った気がしたが、定かではない。
「……なんてな……」
自分でも呆れるような呟きを最後に、俺の意識は、深い眠りに沈んでいった。
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