表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悠久の放浪者  作者: 神田哲也(鉄骨)
第三章「ビサワ:荒野に揺らぐ光と影」
117/181

第百十七話「ビサワの風、魚の香り」

 ビサワ。

 その名を聞くだけで胸が少しざわつく。未知の地への期待と、それを包む厚い霧のような不安とが、ないまぜになって。


「百を超える種族が暮らしている」


 そんな話を聞いたのは、ミネラ村での暮らしの中でだったか。

 深い森、険しい山、乾いた砂漠——一つの種族が支配するには、あまりにも環境が多様で過酷すぎる。

 それゆえに、自然と「奪い合い」より「分け合い」が文化として根付いたのだという。


 だが、穏やかであることと、無抵抗であることは違う。

 かつて人間の軍が幾度となく侵攻を試みたそうだが、ラプトル大河を越えた先の大湿原で、例外なく敗走した。


「自分たちが害されるとなったとき、彼らは業火のように燃え上がる」


 誰かがそう言っていた。なんだか、わかる気がする。


 ビサワにはエルフやドワーフ、鬼人、小人といった「亜人」たちをはじめ、竜人、獣人といった大きな種族の括りがある。

 その中には、かつての俺が「モンスター」と信じて疑わなかった存在も含まれていた。


 たとえば、ゴブリン。

 冒険者ギルドで討伐依頼を見たことがないのが不思議で、ハンスさんに尋ねたことがある。

 その答えは「この辺りにはダンジョンがないからな。ゴブリンの発生自体がない」とのことだった。


 ダンジョンで生まれた魔物や魔獣は、倒せば肉体は霧散し、魔石だけが残る。

 しかし、ダンジョンから逃れ出て、年月を重ねたものは「実体」を得る。

 どれほどの時間が必要なのか、俺には想像もつかない。

 スケルトン、ゾンビといったアンデッドの存在も含めて、ダンジョンは今なお謎に満ちた世界だ。


 金級冒険者『千里』は、そのダンジョンを研究するために冒険者となり、やがて頂点にまで上り詰めたという。

 今ごろ、どこかのダンジョンの深部で、彼もまた未知と格闘しているのかもしれない。


 そんなことを考えていると、騒がしい声が宿の玄関から響いてきた。


「へへっ、見ろよこの顔!」

「やっぱオレたち、やればできんじゃねーか!」


 声の主はダッジたち。どうやら今日の依頼で良い報酬を手に入れたらしい。

 上機嫌な三人が顔をほころばせて食堂に入ってくると、場の雰囲気は一気に明るくなった。


 夕食の時間。

 宿屋の食堂で、リームさんが杯を掲げる。


「明日にはビサワに入る。これも皆の働きのおかげだ」


 それを合図に、皆がグイと酒を呷った。


 俺の手元にも同じ酒がある。名前は「ブルール」

 この地方の特産で、柑橘に似た果実から作られた、ほんのり苦くて甘い冷酒だ。

 口当たりがよく、乾杯にはぴったりだった。


 次々に料理が運ばれてくる。

 中でも目を引いたのは『ラプトルゴンドル』という巨大魚の香草焼きだった。

 ざっと見て一メートルはある。これを頼んだのはクェルだ。


 爆足のクェル。銀級冒険者であり、肉体強化魔法の使い手。

 日焼けと小傷跡の残る肌、栗色のミディアムショート。

 その豪快さに反して、仲間に気を配る不思議なバランス感覚を持っている。

 普段は金遣いが荒くない彼女だが、こういった場では惜しまず奢ってくれる。


「みんなで食べようよ!」


 クェルの一声で、ダッジたちが歓声をあげた。


「さすが爆足!」

「ありがてえぜ!」

「……うまそうだ」


 俺もつられて笑ってしまう。

 彼女はウザ絡みや無茶ぶりが多くて、冒険者仲間から敬遠されがちだけど――。

 こうやって皆と同じ釜の飯を分け合う姿を見ると、彼女の人柄が少しずつ理解できる気がする。


 そんなクェルはとにかくよく食べる。

 小柄な体のどこにそんな量が入るのか、毎回不思議に思う。

 バンゴやズートのような巨漢ならともかく、クェルの食欲はそれ以上だ。

 俺自身も肉体強化魔法を使うことが増えて、食べる量が明らかに増えたけれど、まだまだ足元にも及ばない。


「明日からが本番だな」


 リームさんが静かに言う。

 この旅が、無事に終わりますように。そう願わずにはいられない。


 宴の席が続く中、ふと俺は窓の外に目をやった。空には月が三つ、静かに浮かんでいる。視線を落とせば、遠く水面に朧げな三つの月が写っていた。


 目的地の『ヴァイファブール』まではあと三日。

 今回の種族会合は、そこで開かれる。年に二回、春と秋に持ち回りで開催されるらしく、前回はもっと奥地だったそうだ。

 ビサワでは、こうした会合を中心に交流と経済をまわしていて、イベント会場には誰でも入れる仕組みだ。外部には開催地の情報は出さないが、リームさんは春の開催地を把握していて、今回はそこを目指しているというわけだ。

 翌朝、そんな話を思い返しながら、俺たちはガレー船のような大型の渡し船に乗っていた。馬車も積めるし、ダッジたちの大八車も余裕で乗せられる。もちろん、それなりの金額を払ったけど、そこは彼らも文句を言いながらちゃんと支払っていた。


 で、驚いたのがこの船の動力だった。


 なんと――動物が曳いている。


 ラプトワ大河の水は茶色くて透明度は皆無。全体像はよく見えないが、水中で巨大なあざらしのような生き物が、十頭ほど、船を曳いているのだ。


「オウッ! オウッ!」


 そんな鳴き声が絶え間なく響き、十頭もいればさすがにうるさい。でも、なんというか、のどかだった。

 進みはゆっくりだが、重たい荷を引いてると考えれば、十分に速いのかもしれない。俺は船縁に腰をかけながら、旅の道のりをぼんやりと思い出していた。


 ハンシュークを出て、南下。途中、町をひとつ、村を三つ経由してきた。最後に寄った村を出たのは、ちょうど二日前だったか。


 そういえば――スマホのアップデートがあった。


 久しぶりすぎて、正直、ちょっとテンション上がった。魔道具のふりをしてこそこそ確認していたら、案の定、クェルに見つかった。


「それ、何ができるの?」


 俺はごまかしつつ、「記録したり確認できる」とだけ答えた。通信やネットなんて、この世界じゃ夢のまた夢だからな。


 でも、今回のアップデートで新しく追加された機能には、さすがに驚いた。


『魔法詠唱登録機能』


 つまり、詠唱をスマホに登録しておけば、短縮コマンドで魔法が使えるというものだ。

 例えば、光球――『フォティノ』を登録しておけば、「光球」と言うだけで発動する。しかも、省略名は任意に設定できる。


「極端な話、『ピカッ』でもいけるな……」


 思わず口に出して、ひとりで苦笑した。

 この機能、うまく使えば戦闘時に詠唱の隙をなくせる。魔法と相性がいいなら、本当にとんでもない戦力アップになるかもしれない。


「だが、目立ちすぎるのも怖いな……」


 スマホの正体がバレたら、間違いなく厄介なことになる。だから、慎重に使うべきだ。詠唱魔法の短縮……これは、俺の力を次の段階に引き上げる鍵になるかもしれない。


 そんなことを考えながら、ゆっくりと大河を渡る船上で、俺は目を閉じた。


 湿った風が、どこか嗅ぎなれない臭いとともに、俺の背中を撫でていった。


最後までお読みいただきありがとうございます!

あなたの貴重なお時間を物語に使っていただけたこと、とても嬉しく思っています。

ちょっとでも楽しんでいただけたなら、何よりです!


もし「いいな」と思っていただけたら、

お気に入り登録や評価をポチッといただけると、とても励みになります!

コメントも大歓迎です。今後の執筆の原動力になりますので、

どんな一言でも気軽に残していただけたら嬉しいです。


これからも【悠久の放浪者】をどうぞよろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ