第百十六話「侵略者の河」
「でっか!……河、でっか!?」
思わず声が出た。俺の目の前に広がるのは、まるで海のように果てしない水の帯――ラプトワ大河。
そのスケールに圧倒される。これが『大河』と呼ばれる理由か。
「ラプトワ大河、別名侵略者の河。氾濫しては人の住処を奪ってきたから、そう呼ばれてるんだってさ」
隣で風に揺れる栗色の髪。クェルが目を細めて言った。日焼けした頬に小さな傷跡があるけれど、そんなのをまるで気にしていない様子の彼女は、今日も元気そうだ。
対岸は霞んで見えない。一番広いところでは、なんと二キロもあるらしい。
「日本の川なんて小川みたいなもんだったな……」
思わず呟く。
すると後ろから笑い声が聞こえた。
「そうだな、この景色を見ると、ビサワまで来たんだと実感する」
行商人のリームさんだ。この旅のスポンサーであり、依頼人で、俺の恩人でもある人だ。
「それにしても、ここも随分賑わってますね」
「そうだな。ビサワとの貿易の要の場所のひとつだからな」
広大な桟橋には人の波。宿屋、食べ物屋、出店、運搬の荷車。何でも揃っていて、まるで一つの町のようだ。
リームさんによれば、この辺には大きな町は建てられない。氾濫のリスクがあるからだ。でも、人は便利さには抗えないらしく、こうして集まってくるらしい。
氾濫のリスクなど、利便性や商売のためならと無視する人もいる。危険だからと、安全策を取る人もいる。それが人間というものだろう。
「ハァーッ! ハァーッ! お、お前らも少しは手伝えよーっ!」
背後から聞こえてきた声に振り返ると、三人組が汗まみれで大八車を押していた。ダッジ、バンゴ、ズートの三人だ。
ダッジは小柄な小人族。調子のいい軽口を叩くが、斥候としての腕は確か。バンゴは見るからに巨漢で、斧を振るえば木ごと薙ぎ倒すようなパワーの持ち主。ズートは長身で無口、いつもぼんやりしてるように見えるけど、槍の扱いは一流だ。
「おーい、それを捨てるって選択肢はまだあるよー」
クェルが手を振って叫ぶ。
「ここまできて捨てられるわけねえだろっ!」
ダッジが叫び返す。バンゴは「勿体ねぇ!」と怒鳴り、ズートは黙って頷いていた。
大八車の上には、山のように積み上げられた魔獣の素材。大トカゲの革、魔牛の角、猿の毛皮、大蛇の鱗……中でも目を引くのは、鉄のような輝きを放つ巨大な甲羅だ。
「……リクガメ、だっけ?」
「いや、それは普通種だよ。こいつは魔獣の亀だよ。金属を体に取り込んで、甲羅にしてるんだって」
クェルが近づいてきて、甲羅を指でコンコンと叩く。まるで金属の板を叩いたような音が返ってくる。
「これなぁ、当たり金属が入ってりゃ、魔法武具の素材にもなる。中には魔導銀やミスリルも混じってるとか。夢があるだろ」
バンゴが得意げに語る。たしかにロマンはある。でも……。
「狩るのも運ぶのも、無茶苦茶大変だったじゃん……」
俺はあの戦いを思い出す。あの魔獣の亀、見た目に反して動きは意外と素早く、石を砲弾のように飛ばしてきたり、金属甲羅で突進してきたり。
かなりの強敵だった。
しかも、クェルが「みんなの修行になるから」と言って手を出さず、俺たちだけで挑んだのだ。
ダッジが囮になり、ズートが足を止め、俺が魔法で視界を潰し、バンゴが一撃で首を落とした。うまく連携が決まった時の、あの快感は今でも覚えている。
「……でも、あれだけ苦労して狩ったんだから。捨てられないってのも、わかる気がする」
俺がそう言うと、ダッジが顔を赤らめて笑った。
「はっはっは、わかってんじゃん、ケイスケ。お前もそのうち、素材の味に目覚めるって!」
「食材じゃないだろ、それ……」
「ところで、その魔石どうするの?」
クェルが荷台の奥を指差す。茶色く、拳ほどもある魔石が転がっていた。
「ああ、あれか。砕けば使えるだろ。売るか、鍛冶屋にでも渡すか」
「俺が魔法で使うには……ちょっとデカすぎるな」
「安心しろ、砕く用の道具もある。ズートが用意した」
「……(頷く)」
ズートは今日も無言。でも、しっかりと準備はしてくれている。信頼できる仲間だ。
こうして俺たちは、ビサワ入り目前の桟橋で、わいわいと喋りながら、荷物を整理していた。
そこには戦いも緊張感もなく、ただ、仲間との旅路の一コマが流れていた。
「さ、とりあえずは今日の宿だよ。行くよ!」
「俺たちはこの素材を買い取ってもらいに行くぞ!」
「高く売れても、お前らにゃやらねえぞ!」
クェルが声を上げると、ダッジたちは別の方向に荷車を押し始めた。
「売りに行くはいいが、今夜の宿は『河の月影』という名前だ。夕飯には合流してくれ」
「おう、旦那、わかってるぜ!」
そう言って元気よく荷車を押す三人。
遠く対岸には、まだ見ぬ世界――ビサワが広がっている。
エルフを筆頭に、多種多様な種族が暮らす地域。俺たちの旅の、次の舞台。
領都ハンシュークを出てから、もう何日経っただろうか。出発直後から、まぁ、色々あった。
事件というほどじゃないが、かといって小競り合いというにはちょっと重たい。要するに、ダッジたちの不満がジワジワと噴き出してきたのだ。
リームさんは御者席に座り、馬車を操っていた。もちろん、彼はこの依頼の依頼主。馬車にはビサワで売るための商品がぎっしりと積まれていて、人が乗るスペースは実質ひとつ。ギリギリで俺かクェルが滑り込める程度だが、あのバンゴが乗ると、もうそれだけで定員オーバー。
だから、俺たち護衛組は基本的に徒歩、あるいは小走り。……というか、ほぼ走りっぱなしだった。
普通なら、護衛も乗れるように予備の馬車を一台追加するらしい。でも、クェルがそれを却下した。理由は――「必要ないから」。
俺はまぁ、クェルと何度も依頼をこなしてるし、夜通し走るのも、無茶な日程も慣れていた。そういうものだと思っていた。でも、ダッジたちは違った。めっちゃ不満言ってた。
「もっと楽な依頼だと思ってたのに……!」
そんな泣き言を漏らすダッジに、クェルがニッコリ笑って言い放つ。
「大丈夫! 甘やかさないほうがいいから。私が鞭で叩いてでも歩かせるからね!」
ぶんぶんと、予備馬用の鞭を素振りするクェル。それにドン引きしながら歩く三人の冒険者たち。あの巨漢のバンゴでさえ、無言で足を引きずるように進んでいた。
三日後、ようやく宿場町にたどり着いたときには、三人とも魂が抜けた顔をしていた。それを見て、クェルは彼らに食事と酒をたらふく奢った。
満腹になった彼らは、少しだけ機嫌を取り戻した。そしてまた翌日から、不満を垂れ流しながら歩く……そんな日々を繰り返した。
「ほらね? こういう時にご褒美をあげるのが大事なのよ」
俺は思った。
三人とも、図体だけデカい子供だな……と。
もっとも、歩きっぱなしの長期依頼なんて、普通はまず無いらしい。俺がクェルに染まりすぎてるだけなのかもしれない。
クェルはというと、三人が本気でバテたときには、担ぎ上げて運んでいた。俺も交代で手伝ったが、さすがにバンゴは重かった。
でもまあ、クェルとの怒涛の依頼を思えば、正直大したことじゃない。
「……俺も大概、毒されてるってことかあ」
大河を前にして、俺は少しだけ遠い目をしていた。
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