第百十五話「ビサワへ」
出発の日がやってきた。
空は晴れ渡り、風はやさしく頬を撫でる。
俺の背には荷物が詰まった大きな袋。腰には剣。心には、不安と期待の両方を抱えながら。
新たな旅路が、始まろうとしている。
俺たちの目的地は、南の地、ビサワ。
「では、出発しようか」
リームさんの声に、クェルと俺はそれぞれ頷いた。
「はい」
「いつでもいいですよ」
朝の光が広場を柔らかく照らしていた。少し肌寒い風に、俺は肩をすくめる。荷車の前に立つリームさんの姿はどこか晴れやかで、イテルさんは家の玄関から手を振っていた。お腹の子を気遣ってか、無理に笑っているようにも見えたが、強くて優しい女性だと思う。
広場の一角には、もう一組の護衛、ダッジ、バンゴ、ズートの三人組の姿もあった。彼らも手を上げて了承の返事をしている。
彼らとは色々とあったが、先日ギルド立会いの下、正式に謝罪を受けて和解した。ステラさんからギルドに報告が行って、という流れだった。俺としても、もうそこまで怒っていなかったし、謝罪は普通に受け入れることにしたのだ。彼らは少し悪戯が過ぎてしまっただけで、根はそこまで悪質ではない……はずだから。一応の謝罪金として、少し貰ってしまったというのもある。
ダッジたちは以前もリームさんの護衛に名乗りをあげていたから、俺がリームさんに紹介して、採用されたということだ。
まあ、謝罪金のせいで金が無くなり、今回の依頼には是非とも参加したいと泣きつかれてしまったという理由もある。
「それじゃ、行こうか。しっかり頼むぞ、冒険者さんたち」
リームさんが笑いながらそう言うと、クェルはピシッと敬礼した。
「任されました! 爆足の名にかけて、きっちり守ってみせますとも!」
いつもの調子で言ってから、くるりと俺に視線を向けてニカッと笑う。
「もちろん、ケイスケもね!」
「お、おう。がんばるよ」
そう答えると、ズートが俺の方をちらりと見て小さくつぶやいた。
「……ケイスケも、か?」
「……俺も?」
互いに目を見合わせて、つい同じように首を傾げてしまった。自分でも、いまだに自分の実力がどこまで通用するのか、確信が持てない。
「ケイスケはかなりできるよ! 私も頼りにしてるんだから」
クェルが笑顔で言った。その言葉が、ふいに胸に染みた。
出会ったころの自分と比べれば、確かに力はついた。けれど、まだまだだと思っている。クェルのその言葉は、嬉しくもあり、同時に少しだけプレッシャーでもあった。
リラは、今回は同行しない。イテルさんのお腹の赤ちゃんを見守るために、しばらく俺の影から離れることになった。
『ケイスケ、私がいなくても、泣いちゃだめだよー!』
「泣きはしないだろうと思うよ。だけど、流石に寂しいかも」
『ケイスケーッ!』
「リラー!」
という感じで昨夜、冗談交じりにリラと抱き合って別れの儀式は済ませた。ティマとマデレイネ様もその場にいて、微笑ましいものを見るような眼差しを向けていた気がする。
リームさんの目的は、主にビサワでの仕入れ。砂糖と香辛料が中心らしい。
「ビサワの砂糖って、高級品なんですね?」
「うむ。癖がなく、すっきりした甘味が特徴でな。王侯貴族も好む品だ」
それに加えて、今回の旅では取引先の開拓も目的に含まれている。場合によっては少し滞在が長引くかもしれないらしい。
「旦那、店舗の場所はもう決めてるんです?」
ダッジが気さくにリームさんに話しかけている。
「候補はある。ケイスケにも外見だけは見てもらったな」
「そうなのか? 今度教えてくれよ、ケイスケ」
確かに見せてもらった。メインストリートから少し外れた、落ち着いた通り沿いの物件。派手さはないが、堅実で温かみのある場所だった。俺の中のリームさん像とぴったりだったのを覚えている。
「リームさんのお店を贔屓にしてくれるなら、いいよ」
「なんだよ、それ! 勿論贔屓にするに決まってるだろ」
「なら、いいですよ、また帰ったら、ですね」
「おう、約束だぞ!」
ダッジはそう言って、バンゴ達のもとに合流していった。
ほんと仲がいいな、あの三人は。
俺はダッジから目をリームさんに向ける。
「……楽しみですね。お店、きっと繁盛しますよ」
「ふふ、そうなるように努力するよ。頼んだぞ、ケイスケ」
馬車の車輪がきしむ音が鳴り、ゆっくりと前に進みはじめた。
領都の門をくぐり抜け、少し歩いたところで振り返る。石造りの高い壁が太陽を浴びて光っていた。その向こうに、ティマやイテルさんがいる。しばらくは戻れないだろう。
前を向いた。俺たちの進む先、ビサワまでは片道およそ四週間。魔獣がよく出現する危険なルートなら三週間で行けるそうだが、今回は安全重視の道を行く。
「危険な魔獣って、どんなやつなんです?」
歩きながら、ダッジに尋ねる。
「そりゃああれだ、でけえ岩みたいな牛に、猿に蛇に……あと変な虫もいたな」
ダッジが大げさな身振り手振りで説明すると、バンゴが口を挟んだ。
「まあ、爆足がいれば問題ないだろうけどな」
「ん? まあ私とケイスケに任しときな! ってね!」
どこまでも調子がいい。だけど、その明るいその性格は、道中の不安を少し和らげてくれる。
「そいえば、みんなはビサワには行ったことあるの?」
「おうとも! 三回くらいあるぜ!」
ダッジたちは、ビサワで開かれる半年に一度の種族会合にも参加したことがあるらしい。会合といっても、雰囲気はまるで巨大な祭りのようで、武闘大会まで開かれるのだという。
「ケイスケも出てみれば? 名を売るチャンスだぞ?」
「いやいや、俺はそういうのは……」
「お、弱気~? 結構いい線いくかも、だけどなあ」
「やめてくれ、そうやって持ち上げようとするのは」
からかうクェルに苦笑いする。俺は目立つのが得意ではない。けれど、いずれは避けられないことなのかもしれない。
領都の門をくぐり、歩きながら振り向く。
聳え立つ領都の大きな壁を見上げ、そして前を向いた。
前を行く大きな馬車は、どこへ行くのだろう。
逆にこれから領都へと入る人たちは、どこから何をしに来たのだろう。
俺には、この世界に帰る場所はまだない。
記憶の底にある日本――そこにも、帰るべき場所はなかった気がする。曖昧で、ぼやけたまま。けれど、それでも俺は歩いている。
いつか見つかるだろうか。
帰るべき場所が。
俺自身の居場所が。
この旅の果てに、それが待っていることを願っていた。
見上げた空は高く、雲ひとつない快晴だった。
馬車のわだちの跡が地面に刻まれ、ゆっくりと進んでいく。前へ、前へ。
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