第百十三話「帰路」
マーカーの死体は、他の盗賊と同じように火にくべた。
死してなお、奴の威圧感は消えなかった。燃えゆくその姿はまるで戦場の供物のようで、俺の胸の奥に何か重いものを残した。
ただ、彼が言ったとおり、首だけは持ち帰ることにした。領都のギルドに報告するためだ。
だが正直なところ、目には見えないとはいえ、人の首が入った籠を持ち歩いているという現実は、なかなかに精神的な圧迫を与えてくる。
「うーん、やっぱり臭いとかはしないけど……気分はよくないねぇ」
隣でクェルが籠を覗き込みながら、鼻をひくつかせて言った。
「そりゃそうだろ……」
思わず溜息が漏れる。
そんな気持ちもあってか、帰り道の俺たちは、来た時よりもかなり早いペースで領都を目指していた。できるだけ早くこの籠を手放したい。そんな思いが、脚を前へ前へと動かしていた。
もちろん、手ぶらで帰るわけではない。あのアジトにあった、かさばらない金目のもの──金貨、銀貨、宝飾品──そういったものはしっかりと回収してきた。
盗賊討伐の際、盗賊の持ち物は基本的に討伐した冒険者のものとなる。
武器や衣類も多少はあったが、持ち帰るには嵩張るし、価値も不明瞭だ。
ただ、マーカーが使っていた剣だけは別だった。
あのクェルとの攻防で何度も剣と剣で打ち合って折れもしない剣。業物なのは間違いない。
「でもこれでケイスケも銅級だね!」
クェルが笑って言った。
その言葉を聞いて、はっと思い出す。……ああ、そういえば、そんな話だったな。
盗賊を自分の手で下せれば、暫定的な銅級に上がれるんだった。
しかし人を斬ったこと。殺したこと。その事実に、俺の頭はまだ追いついていないのかもしれない。
それでも──。
あの親子のことが、一番に頭に浮かぶ。
ベッドに繋がれ、目の前で子供を殺され、盗賊達に嬲られ……。どれだけの恐怖と、どれだけの絶望を味わったんだろう。
考えるたびに、胸が締め付けられる。
不思議なことに、俺が剣を振るった相手の顔は、もうあまり思い出せない。
あの瞬間、確かに俺の手で命を奪ったはずなのに。
……もし、クェルがいなかったら?
今回のように、被害者がいて、俺に「殺してほしい」と頼んできたとしたら──?
俺は、剣を振るうことができただろうか?
それとも、立ち尽くしたまま、誰かの命が消えるのを黙って見ていただけなんだろうか?
そんな疑問が、ぐるぐると頭の中を回り続けていた。
夜明けとともに、俺たちは領都へたどり着いた。
朝焼けが空を淡く染め、壁に囲まれた街並みが薄ぼんやりと浮かび上がる。
風は肌寒く、草の匂いと土の湿り気を含んでいた。疲れ切った体には、どこか心地よくもあった。
「おはようございます」
門の前で、俺は門番の兵士に声をかけた。
「おう、おはよう。任務帰りか? ご苦労さん」
冒険者のタグを見せれば、こうした時間帯なら通行はスムーズだ。
それに、俺ももう領都の兵たちに顔を覚えられてきているらしい。
クェルなんかはもっと有名だ。『爆足のクェル』なんて二つ名まであるんだから、そりゃそうか。
街に入ると、人影はまだまばらだった。
屋台の準備を始める音や、パン屋の煙突から立ち上る白い煙。
何気ない人々が生活を営んでいる音。何気ない会話と声。
何気ない朝の光景。朝の臭い。何気ない日常の始まり。
普段は気にも留めなかった朝の光景が、妙に鮮明に目に映った。
冒険者ギルドへと足を運ぶが、まだ開いていなかった。
周囲には俺達と同じような朝帰りの冒険者が数名、石畳の上に直接腰を下ろしている。
仕方なく、俺もそれに倣ってギルドの扉の横に腰を下ろす。
冷えた石の感触が、疲れた身体にはむしろありがたかった。
隣では、クェルも同じように腰を下ろしている。
火照った体を、そよ風が撫でていく。
風の中に混じるのは、土と草の匂い。……それから、少しだけ焦げたような匂い。
ふと、瞼が重くなっていく。
眠気は、足音を立てずにやってきて、そっと意識を奪っていこうとする。
気づけば、俺の肩にはクェルの頭が預けられていた。
彼女の柔らかな髪が風に揺れ、鼻先に栗色の匂いが漂う。
その体温と、規則正しい寝息が、妙に安心感を与えてくる。
クェル……。
きっと彼女は、俺よりずっと多くの血を見てきた。
なのに、あんなに明るくて、軽やかで、どこか抜けていて──それでいて、誰よりもちゃんと「人の命」を見ている。
俺も、いつかそうなれるだろうか。
斬った命よりも、救えた命の重みを抱えて生きていけるような、そんな冒険者に。
今はまだ、胸の奥で渦巻く感情に名前をつけることもできないけれど──。
せめて、今日くらいは。
風に包まれながら、肩に寄りかかる彼女の体温を感じながら、少しだけ、眠らせてもらおう。
そう思った瞬間、俺の意識は、音もなく眠りへと落ちていく。
意識が途絶える寸前、リラの声が聞こえた気がした。
優しくて慈しむような、そんな声だった。
『ケイスケ、お疲れ様……』
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