第百十一話「用心棒」
それは、不意にだった。
立ち上がる炎を眺めていた俺の耳に、クェルの硬い声が届いた。
「ケイスケ」
クェルが、こんな声を出すのは珍しい。
慌てて顔を上げると、クェルは立ち上がり、剣を抜いていた。俺も反射的に腰の剣を抜いて身構える。
「……?」
視線の先、闇に揺れる炎の向こう側。そこに、ひとつの影があった。
ゆっくりと、まるで何かを確かめるように近づいてくる。
そして、焚き火の明かりがその姿を照らしたとき、そいつは立ち止まった。
距離にして十メートルほど。声が飛ぶには近すぎる。戦うには、絶妙に遠い。
「お前たちがやったのか?」
発せられた男の声は軽い。どこか、愉快そうですらあった。
けれど、そいつの目――見えはしないのに、その視線だけは肌を這うように感じ取れた。
「そうだよ。盗賊団の殲滅依頼があったからね」
クェルが応じる声は、いつもの調子だ。でも剣を構えてる時点で、こいつもただの通りすがりじゃないと理解してる。
「そうか。それなりの数だったが……お前たち二人だけでか?」
「うん。私たちだけだよ」
「我が少し野暮用で離れている間に、酷いものだ」
「離れているほうが悪いんだよ」
「クク……。確かにな」
周囲を見渡す様子の男。何気ない所作なのに、俺の警戒心が警報を発していた。
「ふむ……。見たところ、そっちの少年は初めて経験をしたというところで、教導者がお前、か」
「そうだよ」
「ということは、それなりの実力者というわけか?」
「まあ、それなりにね」
そのまま、しばらく言葉のキャッチボールが続く。だが、緊張感は高まる一方だった。
「ここ最近、無抵抗な獲物ばかりを斬っていたのでな。楽しみだ」
「ふうん? それは良かったね?」
そして次の瞬間、視界が弾け飛んだ。
ギィン! と甲高い金属音。
目の前で火花が散った。気づいたときには、男の剣がクェルの剣とぶつかり合っていた。
「ほお、防ぐか」
「物騒な挨拶だね」
クェルが剣を振り抜き、男を押し返す。まるで風のように、男は一瞬で距離を取った。
その動き――見えなかった。冗談抜きで、俺の目が追えなかった。
「ケイスケはちょっと離れてて。こいつ、強いから」
「……わかった」
クェルの声には、いつもの軽さと同時に、鋼のような芯があった。
男は俺にはまったく関心を向けていない。ただ、クェルだけを見ている。なら、俺の役目は邪魔をしないことだ。
畑の中へと足を運び、草陰に身を隠す。視界の端に二人の姿を収めながら、息を潜める。
「それで? あんたは、あの燃えてる連中の仲間ってことでいいの?」
「うむ。仲間というか、依頼主であるな。我はマーカー。こいつらの用心棒をしていた」
クェルの問いに、男――マーカーと名乗った男は、あっさりと答えた。
そこには何の重みも感じない。
「へえ? 依頼主はこの通り死んだけど、復讐ってこと?」
「ん? いやいや、そんなことは考えておらんよ。ただ、我の楽しみを奪ったお前たちに、それを補填してもらおうかと思ってな」
「楽しみを……奪った?」
クェルの声が低くなる。普段は何を言われても動じないあいつの顔に、明確な嫌悪が浮かんだ。
「何、こいつらが攫ってきた者たちの処分の際に、好きに切り刻んでいいという約束事だったのだ。人を斬る。それが我の楽しみだったのだよ」
「なるほど。だから代わりに私たちを斬ろうってこと?」
「その通り。依頼主もまた探さねばならんし、その補償も兼ねてというわけだ」
無茶苦茶な理論だ。そして、マーカーというこの男、罪悪感の欠片すら抱いていない。
マーカーはクェルから視線を外し、俺に向ける。その目は、人に向けるような目ではなかった。
言うなれば、物。ただ少し興味を引いたおもちゃがそこにあったというような、そんな目だった。
「それはできないと思うけど?」
「それはどうか。やってみればわかるというものだ」
「……それは、そうかもね」
お互い、微笑を交わしたようにも見えた。だが、次の瞬間――地面が爆ぜた。
クェルが踏み込んだ瞬間、爆音とともに土煙が舞う。対するマーカーは、草を舞わせて滑るように動く。
金属がぶつかり合う音が、二度。
それが戦闘だったと気づいたのは、俺の脳がそれを処理しきったあとだった。
「やるな」
「そっちこそ」
彼らは再び距離をとり、まるで最初からそこにいたような位置に戻っていた。
マーカーの外套が地面に落ちる。中から現れたのは、赤いペイントを顔に施した、精悍な男だった。
細身だが、しなやかな筋肉が動きのひとつひとつを支えている。
そして――また、動き出す。
クェルの脚が一閃し、爆発する。
マーカーはその爆風をかわし、逆に間合いを詰める。
見えない。けれど、音と、風と、衝撃だけが、確かにそこにある。
『すごいねーあの子。あれでまだ、手を抜いてるっぽいよー?』
リラが俺の影からひょっこり声を出す。こいつの軽い口調に、現実感のない光景に逆に現実味を俺に与える。
「ああ、知ってる……。クェルは、そういう奴だ」
爆足のクェル。お調子者でウザ絡みの常習犯。
でも、こうして誰よりも前に立って、誰にも被害が出ないように、全部受け止めて戦ってる。
俺には――到底、できないことだ。
だから、せめて見届ける。
クェルが、誰のために戦っているのか。それを、忘れないように。
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