第百十話「骨と炎と祈り」
残酷な描写ございます。ご注意ください。
目の前にいる女性の顔は、俺は見えなかった。
照明は薄暗く、どんな表情をしているのかもわからない。いや、わからないのではなく――見ようとしていなかっただけだ。
「私の言ってること、わかる? 盗賊は全部やっつけたよ」
クェルの声が、やけに静かに響いた。彼女にしては、低いトーンの声だった。
「ケイスケ、こっちは任せていいよ」
「……ああ。ありがとう」
俺は頷くだけで、その場から離れる。こういう時、俺は何もできない。女性であるクェルに任せるしかなかった。
彼女は、縛られていた鎖を外して毛布をかけ、その女性をソファへと座らせたようだ。俺はその様子を横目に見ながら、盗賊どもの死体を黙々と片付ける。
重たい体を一つずつ引きずって、外に運び、並べていく。
血の匂いも、もう気にならない。鼻が慣れたのか、それとも心が鈍ったのか。
淡々と作業を続けていると、影から声がした。
『ケイスケー、あっちの穴の中、見たー?』
リラの声に振り返る。彼女が示した方向に目をやると、確かに地面に大きな穴が空いていた。廃屋の裏手、建物の陰に隠れるようにして。
「……ごみ捨ての穴か、何かか?」
俺がそう呟くと、リラの返答は珍しく曖昧だった。
『……あー。そうとも言えるかもしれないけどー……』
言い淀むリラの様子に、胸の奥に小さな不安が湧く。何かが引っかかっている。俺はその不安を振り払うように、穴へと近づいた。
そして、中を覗き込んだ瞬間――息が止まった。
そこには、確かに“ごみ”が捨てられていた。食べ物の残り、ぼろきれ、木片、骨のようなもの。だが、その“骨のようなもの”を見た瞬間、俺は理解した。
あれは、人間の骨だった。
焼かれ、白骨と化していても、形でわかる。頭蓋骨、肋骨、指の骨。
盗賊団『狂犬の牙』の被害者たちのものなのだろう。
何人の人たちが犠牲になったのかわからない。だけど、皆苦しんで、絶望の内に命を落としていったはずだ。
俺はしゃがみ込んで、静かに手を合わせた。死者への祈りの作法なんて、この世界で教わったことはなかったけど――自然と手を合わせていた。
「……今度、教会でちゃんと教わってこないとな……」
死者への祈り方。それがこんなにも早く必要になるとは思っていなかった。
『ねえ、ここにあの死体を集めればいいんじゃないー?』
「……ああ、確かにな」
そう曖昧に返事するも、何故だかその方法がいいとは思えなかった。
だから、俺はさっきと同じように入口前の広場に死体を集める作業を再開した。
それからほぼ全ての死体を運び出して並べたが、そこに達成感はない。
俺はもう一度あの穴の場所に向かい、土をかけていく作業をはじめた。
こんな野ざらしでは、魂も休まらないだろうと思って。
「ケイスケ?」
背後からクェルの声が聞こえた。振り返ると、彼女が同じように穴を覗き込み、すぐに「あー……」と唸る。
それからクェルは静かに目を閉じ、黙とうを捧げた。
「……あの女性は?」
俺が問いかけると、クェルは静かに答えた。
「死んだよ」
短い言葉だった。しかしそのせいで意味は十全に伝わってくる。
胸が締めつけられるようだった。
「……そうか」
「死にたがってたからね。仕方ないよ」
言葉が出なかった。やはり、あの子供――彼女の子供だったのだろう――の遺体を抱きしめ、クェルに懇願したという。殺してくれ、と。
あまりにも、やるせない。
「……やるせないな」
「そうだね。でも、これで少なくとも、今後こいつらの被害に遭う人はいなくなった。私たちのやったことは、意味があるよ」
クェルの言葉に、救われた気がした。
確かに、盗賊がこの世から消えることはない。だが、目の前の悪は確かに断ち切った。その事実だけは、変わらない。
「じゃあ、あとは死体を燃やそっか」
この世界では、死体を放置しておくとゾンビになる可能性があるという。
といっても、白骨化した死体が動くことは滅多にないらしい。だが、“滅多にない”だけで、絶対ではない。瘴気と呼ばれるものが溜まった場所などでは、何が起こるかわからない。
「アンデッドって、やっぱりいるんだな」
「いるよ。だけど、ちゃんと教会があるところなら出ない。……教会がちゃんとしてる場所って、少ないけどね」
「やっぱり、恨みとか後悔とか、そういうのがあるとなりやすいのか?」
あの親子のことを思い出す。
「私にはわからないけど、違うんじゃないかな? だとしたら、この世界、アンデッドだらけだよ」
「……それもそうか」
恨みや後悔のない死なんて、どれだけあるだろうか。思い残すことのない人生なんて、そうあるものじゃない。
俺たちは、盗賊の拠点だった櫓を取り壊し、その木材を使って薪を組んだ。そして、火の魔法で点火する。
焔が立ちのぼる。パチパチと乾いた音が夜の闇に響く。
俺たちは、一人ずつ、盗賊たちの死体を炎の中に放り込んでいった。
そして、あの親子の遺体は、別の場所で火葬した。盗賊どもと同じ炎で焼くなんて、俺には耐えられなかった。
「なんで分けるの? 全部燃やすんだし、一緒でいいじゃん」
クェルはそう言ったが、この感覚は日本人だった俺だけのものかもしれない。
でも――この感覚だけは、失いたくなかった。
死者に対する敬意。死の重み。悼む心。
炎を見つめながら、俺は心の中で、名前も知らぬ母子の魂が安らかであるようにと願った。
この世界の祈り方は知らなくても――俺の祈りは、きっと届くと信じて。
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