第百九話「命の簒奪」
残酷な描写がありますのでご注意ください。
姿を消したまま、俺たちは部屋をあとにする。
まだ心臓が早鐘を打っている。吐き気は、もうとうに通り過ぎた。今残っているのは、冷たい覚悟と、乾いた喉の渇きだけ。
寝室へと足を踏み入れると、三人の盗賊が布団の上でいびきをかいていた。俺の存在にも、クェルの気配にもまったく気づいていない。あまりに無防備で、あまりに人間らしくて……腹が立つ。
「ここの三人、できる?」
クェルの問いに、俺は無言で頷いた。もう“何を?”なんて聞かなくてもいい。
俺は、知っている。どうすれば人は死ぬのか。
静かに、そっと短剣を抜き、寝ている盗賊の一人に忍び寄る。呼吸を整え、震えそうになる手を強く握る。自分を押さえつけるようにして、刃を首元に――。
「――ッ!」
振り下ろした。
刃が肉を裂き、骨に当たって止まる。熱いものが、じわりと俺の指を濡らした。
ビクンと手足が跳ねる。しかしそれ以上の動きはない。
死ぬ瞬間、目を見開いた男は、虚空を見ていた。そして言葉にならない水音の混じったような悲鳴を小さく吐き、そのまま事切れた。
俺は目を離すことはしなかった。
それがせめてもの誠意だと思って。
脱力したその体を見届けて短剣を抜く。
二人目。呼吸を乱さず、同じように殺した。
反応は似たようなものだった。
そして三人目。そいつは目を覚ましはじめていた。
「あー? ……んだあ?」
不意に身を起こした盗賊の首に、慌てて短剣を突き立てる。しかしその勢いのまま、男の身体が大きく床に崩れ落ちた。
「っ……!」
どしんと鈍い音が部屋に響く。
ばたばたと手足を動かす盗賊は、すぐにその動作を止める。しかし床に叩きつけられたその騒音は大きく響いてしまった。
「なんだ? うるせーぞ?」
広間の方から声がした。
しまった、と俺は心の中で叫んだ。すぐに足音が近づいてくる。扉の向こうから誰かが来る。
慌てて短剣を抜き、入り口に顔を向ける。
「どいつだよ、寝ぼけてやがんのは……」
入ってきたのは若い盗賊だった。寝室に顔を覗かせ――。
「ゲっ――!?」
その言葉が終わる前に、男の首が宙を舞った。斬ったのはクェルだった。半透明の姿のまま、彼女は盗賊の背後から現れたのだ。
「先行して暴れてくるね」
そう言い残し、クェルは広間へと駆けていった。
これから彼女は盗賊達を殺すのだろう。それこそ”処分”するように。
俺は、その場に立ち尽くしていた。自分が手に掛けた三人の一瞬の断末魔。たった一瞬の、恐怖と絶望に満ちた表情。
それが、頭から離れない。
『ケイスケ、大丈夫ー?』
リラの声が聞こえる。まるで俺の内側を見透かしたような、軽やかだけど優しい声。
「だい、じょうぶ」
自分で言って、自分で信じる。大丈夫だ。手は震えていない。視界もはっきりしている。問題があるとすれば、それは俺の心の内だけ。
「大丈夫……だ。広間のほうに行って、クェルの援護をするよ」
『わかったー』
「クェルなら、何も心配ないんだろうけどな……」
苦笑して、前を向く。
ぼろきれのような寝具を雑に引っ張り、短剣についた血を拭う。
その間にも広間のほうから、悲鳴が次々と響いてきていた。
「ぎゃああああ!」
「なんだ!? 何が起こってやがる!? あ、ガッ!?」
「なんなんだ!? なんなんだよッ!」
広間に行くと姿の見えないクェルが、次々と盗賊たちを斬り倒していっていた。
ただでさえ魔獣を屠ることのできる実力のクェルの、不可視の斬撃。見えないままに殺されていく恐怖。それはもう、戦いですらなかった。
俺からはクェルの姿が見えている。悠々と、むしろ楽しそうに剣を振るっている。だが斬撃は、完全に透明だ。何も見えないまま、盗賊たちは崩れていく。
「これは……気の毒なくらいだな……」
剣を構える者もいるが、何も見えないのでは、戦いようがない。逃げる間もない。
そして、すでにボスらしき男も床に倒れていた。おそらく、クェルが真っ先にやったのだろう。
『任せておいていいんじゃないー?』
「……そうだな」
俺は剣を握ったまま、力を抜いた。
「俺は他の部屋を調べてみるよ」
踵を返す。あの被害者の女性がいる部屋は……もう行かなくていい。
寝室も確認した。盗賊はいない。
別の扉を開ける。
「……っ!? ここは……」
強烈な悪臭に、思わず顔を背けた。中はトイレだった。小さな個室が並ぶ、最悪の環境。すぐに扉を閉じた。
次は倉庫。食料、酒、衣類、武器、靴、荷物……山のように積まれていた。
「全部、略奪品か?」
女性用のドレスや子供服まである。誰かの思い出だっただろうものも、こんなふうに無造作に積まれている。
『盗賊はいないねー』
「ああ……。戻ろう」
広間へと戻ると、もう、そこに悲鳴はなかった。
盗賊たちの血と死体が散乱し、静寂だけが支配していた。
クェルの姿はない。
代わりに、外から物音がした。何かが落ちてきたような、鈍い衝撃音。
外に出ると、目の前に盗賊の死体が落ちていた。視線を上げれば、櫓がある。そこから落ちたのだろう。
そのすぐあと、半透明のクェルがふわりと俺の前に降り立つ。
「終わったよ!」
彼女は満面の笑みを浮かべていた。まるで掃除でも終えたかのような、晴れやかな顔だった。
「そうみたいだな」
残るのは討伐の証明。それは――首魁の首。籠に入れて持ち帰る必要がある。
気は進まないが、それが仕事だ。幸い、クェルが綺麗に落としてくれている。あまり見ないようにして、首を籠に放り込んだ。
「リラちゃん、もう魔法はいいよ」
『わかったー』
リラの魔法が解除され、俺とクェルの姿が明確となる。
「……残る問題は、あの女性のことだけだな」
クェルが頷く。
まだ、終わっていない。俺たちが片づけるべき現実が、もう一つだけ残っていた。
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