第百七話「決まらない覚悟」
「情報通りなら、この先の山の麓あたりだね」
森を駆けながら、クェルが言う。
この森を抜けた先に、奴らの根城があるらしい。
クェルの声は、いつも通りの軽やかさを保っている。けれど俺の胸は、きつく締め付けられるような緊張に覆われていた。
盗賊団。
魔獣と同じようなものだとクェルは言っていた。人々の暮らしを脅かす、有害な存在だと。
確かに、理屈ではわかっている。
けれど俺の中で、別の声が囁く。
――本当に、そうなのか?
たしかに彼らは人を襲ったかもしれない。略奪をしたのかもしれない。
でも、それでも。
彼らにも生まれた場所があったはずだ。誰かに愛された記憶があるはずだ。
一人ひとりに、人生という物語がある。たとえそれがどんなに歪んでいようと。
……これは日本人の甘さだろうか。
日本は平和だった。犯罪者でさえも、人間として扱われていた。
どんな凶悪な犯罪を犯した人でさえも人権があり、それをした理由があり、人格を否定してはならない。命を奪ってはならない。
それは当たり前の価値観だった。誰も疑問に思わないし、俺自身だってそう思っていた。もし「殺してもいいんだ」なんて言う人がいれば、社会からバッシングをうけるような世界だった。
そんな価値観が、俺の中から消えてくれない。
「ケイスケ、一旦止まるよ」
クェルがぴたりと足を止めた。
「ここから先は、ちょっと慎重に行ったほうが良さそうだからね」
俺も立ち止まる。走ってきた距離は大したことないはずなのに、息が上がっていた。
下を向いたまま深呼吸をしても、胸の奥のざわつきは収まらない。
『大丈夫ー?』
影の中から、リラの声が響く。
「……ああ」
「リラちゃん、大丈夫じゃなさそうだよ、これは」
クェルの声も、どこか心配げに聞こえた。
「……ああ」
俺はもう、自分の内側に引きこもっていた。思考が空転している。
「私はちょっと偵察がてらアジトに近づいてみるから、ここにいてね」
クェルの言葉も、まともに届いていなかった。
『わかったー!』
そのままの状態で、ただ息を整うまで繰り返すだけをして、しばらくして俺は顔を上げる。
気づけば、クェルの姿がなかった。
「……あれ? そういえば、クェルは?」
『偵察に行ったよー? ここで待っててって言ってたー』
「え? マジか、気づかなかった……」
どれだけ緊張しているんだ、俺は。
『ケイスケ、緊張してるもんねー。本当に大丈夫ー?』
「……大丈夫って言えたら良かったんだけどな」
情けない。でも、これが俺だ。
人を殺す。
その現実を前にして、こんなにも足がすくんでしまう。
その場にしゃがみこんで、目を閉じる。
それからどれほどの時間が経っただろう。クェルが戻ってきた。
足音に、顔を上げる。
「お? さっきよりはましになった?」
相変わらず、表情は明るい。
「さっきよりは、多分……?」
「んー、まだまだっぽいね! じゃあ、ちょっと一緒に偵察に行こっか?」
「えっ?」
「ほら、あいつらがどんな酷いやつらか、その目で見ればわかると思ってさ。リラちゃんの、例の“見えなくする魔法”あれを使ってもらって、アジトに潜入しちゃおう!」
『なるほどー! 私が二人に魔法をかければいいんだねー?』
「うん。リラちゃん、よろしく!」
クェルが俺をじっと見つめた。いつもより真剣な目だ。
「ケイスケ、まずは偵察だよ。いけるよね?」
……偵察だけなら。
「……大丈夫だ」
心の中で、わずかに凪いだ湖のような感覚が生まれる。猶予がある。それだけで救われる気がした。
「リラ、頼む。魔法をかけてくれ」
『了解ー!』
リラの魔力が広がる。
視界の端で、自分の腕が淡く透けていく。
「おおー! すごっ!? 私の体が透けてるーっ!」
クェルがはしゃぐ声が、妙にリアルだ。
「あ、でもケイスケの姿はうっすら見えるね? これって完全には見えなくなってないの?」
『お互いの姿はある程度見えるようにしてるんだー! 他からは絶対に見えてないよー!』
胸を張るリラの声に、クェルがにっこり笑った。
「なるほど! 確かに互いの姿は見えてないと困るもんね! そんなことが出来るなんて、流石リラちゃん! 天才精霊!」
『えへへー! もっと言ってー!』
クェルとリラのやりとりを聞きながら、俺は心の奥で感謝していた。
この二人がいてくれてよかった。
というか、相性良さそうだな、この二人。
「俺も、頑張らないとな……」
そう呟いて、両頬を軽く叩く。
パチン、と音が鳴って、少しだけ顔が熱くなる。
でも、それでいい。
「気合は入った? じゃあ、行こう!」
『行こー!』
月のない森の中を、俺たちは静かに進み出した。
「注意事項!」
クェルの声が低く響く。
「リラちゃんの魔法で姿は見えないけど、匂いはするし、音はするからね! そこんとこ気を付けながら進むように!」
「了解」
それはこの間、クェルに身をもって知らされた。
「じゃあ、行こう」
言葉にすることで、気持ちが固まっていくのを感じた。
……そう、これは偵察だ。見るだけ。確認するだけ。
その先の判断は、見てからでも遅くはない。
俺は、静かに呼吸を整えて、歩を進めた。
最後までお読みいただきありがとうございます!
あなたの貴重なお時間を物語に使っていただけたこと、とても嬉しく思っています。
ちょっとでも楽しんでいただけたなら、何よりです!
もし「いいな」と思っていただけたら、
お気に入り登録や評価をポチッといただけると、とても励みになります!
コメントも大歓迎です。今後の執筆の原動力になりますので、
どんな一言でも気軽に残していただけたら嬉しいです。
これからも【悠久の放浪者】をどうぞよろしくお願いします!