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丸いテーブルの上で、昨日アーサーに貰った花束がそよそよと光を浴びている。
リセロットは黄色の裾に小花が刺繍されたドレスを着ながら、この花をどうしようと考えていた。
真白の花弁の先が僅かに淡くピンクに色づいた薔薇は、一週間もすれば枯れるのだろうか。
リセロットは花を買わないので分からない。
もうアーサーも起きているだろう、と部屋から出たリセロットは隣の部屋に行き、出てきたアーサーに開口一番聞いてみた。
「あの花束、どうやって処分すればいいですか?」
◇◇◇
リセロットの言葉を聞き終わった後、アーサーは「もっと大事にしてよぉ」とさめざめと泣き出した。
「いえ、枯れるモノですし。そうした時どうすれば良いのかと思いまして」
大の大人である博士が泣いている姿を何度も見ているリセロットは、特に動揺することもなく淡々と話し続ける。
「分かりました」
「え」
「捨てるのが駄目であるのなら、食べますね」
自室に戻り花束を取りに行こうとすると、ガシリとアーサーに腕を掴まれる。
「それはもっと駄目だよ! リセロットがお腹壊しちゃうかもしれないし」
「私は魔法人形ですのでご心配なく」
「いやいや」
鬼気迫った顔から一転、頬を赤らめたアーサーがもじもじとしだした。
「食べるよりも、その、髪に飾って欲しいなあって……」
「髪に?」
「うん。リセロットの髪に合う色の薔薇を探すの大変だったんだよ」
髪に飾ることに拘るアーサーの顔をグイと押して距離を取る。
寝る時の格好であろう薄着のシャツ姿のアーサーを、部屋に押し戻した。
「アーサーの意思は分かりました。そこまで言うのでしたら、あの薔薇の活用方法を考えましょう」
「ええっ、髪には飾ってくれないの!?」
「アーサーの狙いは花まつりでしょう?」
一緒に花まつりに行きたい子に花を渡し、その花を髪に挿して貰えたら了承という話を、今リセロットは思い出す。
図星だったのか、アーサーがうっと胸を押さえた。
大げさなポーズにリセロットはため息をつく。
「その手には引っかかりません、ですので諦めてください」
「うぐ……っ、なんて知的で素敵な女の子なんだ、結婚して欲しい……」
「お断りします」
昨日は行けなかった図書館に今日こそ行こう、そしてそこでなら、花の活用法を見いだせる筈だ。
今日の朝食はなんだろう、そう考えていたリセロットは、骨張った手に腕を取られアーサーを見上げた。
「リセロット、この町に明後日までいようね」
「私としては今出てもよろしいのですが」
「いや、良く考えてみてよリセロット。この町は栄えている。つまりは花まつりもさぞ盛り上がることだろう」
「……それがどうしたと?」
「ということは、だよリセロット。――美味しいご飯が、よりどりみどりってわけ」
リセロットはカッと目を見開いた。
盲点……! とこの町でレオと一緒に食べたたまごパンの味を思い出す。
あれは美味しかった。とても美味だった。
「あれと同じくらい美味しいモノが、いっぱい? しかも、よりどりみどり……?」
「そうだよリセロット。いやー美味しいだろうなあ」
昨日の晩リセロットを問い詰め、迷子を送り届けその子供にキスをされた、という情報まで聞き出したアーサーはたまごパンについては知らないがとにかく肯定する。
絶対にリセロットと花まつりを回りたいからだ。あわよくば自分が贈った薔薇を髪に挿して欲しいのだ。
そんなアーサーの思惑など露とも知らぬリセロットは、まだ見ぬ食べ物に思いを馳せてからコホンと咳払いを一つした。
「そうですね、それでは明後日まで残るとしましょう」
このままでは買って備蓄していた食材が腐りそうだが、それは宿の女将に事情を話し朝食と夕食を作らないでもらえばいい話だ。
うん、なにも問題ない。という思考に落ち着いたリセロットは、アーサーを置いて、改めて朝食を食べに行くことにした。
そしてリセロットが二杯目のコーンスープを飲んでいる所で、ようやくアーサーが一階に来た。
二度寝でもしたのか目がしょぼしょぼしている。
それに呆れながら、リセロットはコーンスープにパンを浸して食べた。
◇◇◇
「アーサーも来るんですか?」
「うん。どんな悪い虫がリセロットに近づくかわからないからね」
「毒性のある虫でも私には通用しませんが」
「そーいうことじゃないんだよね」
腕を組み「俺がしっかりしなきゃ」と頷くアーサーを胡乱げに見ながらリセロットは図書館へと向かう。
入口から入れば、白い石畳の壁に、茶色に着色された木の本棚が挟まるようにして作られている。
そこに収められた本は、天井から差すステンドグラス越しの陽の光によって、淡く照らされていた。
「凄い……」
「だね、凄い」
感嘆の声を上げるリセロットを他所に、アーサーは少し覇気がない。
袖を引っ張ると、ぼんやりリセロットを見てからアーサーはニヘリと笑う。
「俺は違う所で読んでるね。ゆっくりして」
悪い虫はここにはいないのだろうか。
急に離れていったアーサーを不思議に思いながらも、リセロットは花についての本を探しに行くことにした。
植物の棚に行ったリセロットは、本の背を指でなぞりながら見ていく。
大体は図鑑で、花を加工する本が何処にあるのかわからない。
「どうしましょうか……」
「お困りなのお?」
横を見れば、髪が真白のお婆ちゃんが立っていた。エプロンを付けていて、司書だと推測できる。
「なんの本をお探しかしらあ」
「その、花をなにかに加工する本が欲しいのですが……」
「あらあら、それならそこじゃなくてこっちだねえ」
のんびりゆっくり。
目じりにシワを寄せながら笑うお婆ちゃんは、スッスッと本を何冊か取る。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
にこりと笑ったお婆ちゃんは、最後までゆっくりとした所作のまま何処かへ行った。
リセロットはお婆ちゃんに礼をした後、椅子に座る。
「まずは一番上の本から――」
その本にはドライフラワーの作り方が書いてあった。
パラパラとページをめくったリセロットは渋面を作る。
ドライフラワーは何週間も時間がかかるらしい。そこまでこの町に滞在する予定はリセロットにはないし、出来ても旅には大きくて持っていけない。
「これはボツですね」
読み終わった本を横に置き、次の本に手を伸ばす。
次の本は押し花の作り方だった。
二日ほどで作れるらしい。
「これなら作れそうですね」
押し花の作り方が書かれた本以外を元の場所に戻したリセロットは、アーサーを探しに行くことにした。
「アーサー、アーサー?」
困った。アーサーが何処に行くのか聞くのを忘れていた。
小声で名前を呼びながら、視線を四方八方に動かす。
図書館を一通り歩き回っていると、アーサーが、いた。
光を受けながら、絵本のページをめくっていた。
「綺麗な絵ですね」
「うわあっ、リセロット!?」
後ろから覗き込めば、アーサーがビクリと肩を寄せる。
声が大きいので、リセロットが人差し指を自分の唇に当て「しぃー」と合図を遅ればアーサーが自らの手で口を覆う。
「なんだか意外です。アーサーはもっと文字の多い本を読んでいるものだと思っていました」
「え、そう?」
「はい、だから探すの大変でした」
「ごめん……」
絵本は、ごくありふれたモノであった。
勇者が旅をして魔王を倒す話。
リセロットも作られたばかりの頃、博士に読んでもらったのを覚えている。
アーサーの隣に腰を下ろしたリセロットが絵本を懐かしんでいると、頭上から声が降ってきた。
「アーサー?」
アーサーの顔は真っ赤だった。
己を酷く恥じる顔をしていた。
「あのね、リセロット、俺……文字が読めないんだ。習ったことがなくて。はは、恥ずかしいよね」
「……そういうものなのですか?」
「そういうものなの」
「――それは、会得しがたいですね」
絵本をそっと撫でる。
「知らないことは、恥ずかしいことではありません。まだ会得していない、それだけの話なのですから」
リセロットは無表情のままだが、彼女の瞳があまりにも優しいから、アーサーはリセロットが笑っていると錯覚した。
「アーサーが言ったのでしょう? 分からなければ、知れば良い。その為に、周りには人がいるんだから。と」
絵本の始まりのページに戻し、単語を一つ指差す。
「これ、分かりますか?」
「……ううん、分からない。実を言うと、絵本も絵を楽しんでただけなんだ」
アーサーは素直に泣き言を漏らした。
顔は笑みを形作っているけれど、アーサーの目は潤んでいる。
「俺は、やっぱりリセロットが好きだよ」
「急になんですか」
「花まつりに、俺が渡した花を挿してほしいっていうお願い、かな。遠回しに叶えようと、ズルいことをしてごめん。ちゃんと言うよ。――俺の花を、受け取ってください」
絵本の上にあるリセロットの手に、アーサーはそっと左手を添えた。
「リセロットにとって花なんて、いつか枯れるだけのモノかもしれない。だけど、それは違うんだよ。俺は、もっと沢山の美しい景色を見たい。例えいつか俺が死ぬとしても、そのいつかの終わりの為じゃなくて、沢山の美しい景色の為に、俺は頑張って生きたい。枯れるからこそ、死があるからこそ、俺は大切にしたいんだ」
一言一言をしっかり聞き取ろうとするように、リセロットが身じろぎもせずアーサーの話を聞く。
数秒経って、咀嚼し終えたように一つ目を瞬いた。
「アーサーの言う美しい景色の中には、貴方が贈った花を髪に挿す私もいますか?」
「――! いる! 最前線にいる!」
「なら、良いですよ」
「え、ほんと?」
「この押し花の本、要らなくなったので返してきますね」と立ち上がり本棚へと向かうリセロットを、アーサーが追いかける。
どうして急に許可をくれたのだろう。
やっぱりなしと言われたくないから追求は出来ない。だからこそアーサーの中でそんな疑問が渦巻く。
そんなアーサーは、リセロットの口角が少し上がっていることには気づかなかった。
――花まつりまで、あと少し。
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