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 リセロットの肯定を皮切りに、じわじわとレオは瞳を潤ませ始め、程なくしてボロボロと涙を流し始めた。


「リセロット姉ちゃん」

「はい」

「おれ、家に帰るよ」

「はい。帰りましょう」


 小ちゃなレオの手を握れば、レオはリセロットが家まで送ってくれるとは思っていなかったのか、ポカンと顔を呆けさせてから、安心したように笑みを浮かべた。

 リセロットとレオの手がひんやりと触れ合う。


 笑っていたレオは、それからまた目を伏せた。


「でもおれ、家に帰ってなんて言えば良いんだろう」

「それでしたら――」


 レオに耳打ちすれば、ぱっと顔を華やがせたレオが何度も頷く。


 こっちだよ、と道を指差すレオに続きながら、リセロットは夕暮れの道を歩き出した。


◇◇◇


 住宅街に入ると、レオは早足になりリセロットはグイグイと引っ張られる。

 一つの家が見えた。

 緑の屋根の家で、扉は白い。


「ここだよ。ここが、おれの家」


 ノックをするリセロットは、次にレオが呟いた言葉には気づかなかった。


「……はい。どちら様でしょうか?」


 カチャリと扉が開き、年若い女性と男性が出てくる。

 頬が少しコケた様子の二人に首を傾けながら、リセロットはレオの手を引いた。扉の陰になっていて二人にはレオの姿が見えなかったのだろう。


「息子さんが迷子になっていたので、連れてきたんです」

「……え」


 ほっぺを真っ赤にしながら、レオは扉の影から姿を表しニパッと笑った。

 それから、リセロットが教えた言葉を口にする。


「――父ちゃん、おかえりなさい」

「……あ、あっ」

「レオ!」


 涙をボロボロ零すレオの両親を、リセロットは不思議に思った。


 そして思い至った。こんな時間になっても帰ってこない息子を、二人はどうして探しに行かなかったのだろう。


「ごめん、ごめんレオ。キャッチボールの約束忘れて……っ」

「良いんだよ、父ちゃん。おれも、ごめんなさい」


『ここが、おれの家――ようやく、帰ってこれた』


 ああ。

 本当にレオは、迷子だったのだ。

 帰りたいけど帰れなくて。ずっと彷徨っていたのだ。


「父ちゃんが帰ってきた日。家を飛び出して、禁止されてた滝の方に行って、ごめんなさい」

「謝らないで、レオ。謝らなきゃいけないのは、私たちの方よ」

「そうだ、レオ。ごめん、ごめんなぁ……」


 二人に抱きしめられたレオは幸せそうに顔を綻ばせる。

 レオの体がキラキラ光っているのは、夕日が当たっているからだけではない気がした。


 解けていくように、レオの体が粒となり天に昇っていく。


「謝れて、良かった。リセロット姉ちゃんも、ありがとう」


 光の粒がリセロットの頬に柔らかく触れる。


 リセロットが頬を押さえている内に、粒はオレンジ色の空に溶けていった。


 一瞬、心臓が熱を帯びる。

 熱の余韻は、長くリセロットの中に留まる。


「あの……」


 声をかけられ顔を戻すと、未だ涙で濡れた顔のまま笑っている二人がいた。


「レオを連れてきてくださり、ありがとうございました」

「……いいえ、私は特になにも。レオが帰ることを望んだのです」

「そうですか」

「はい」


 また涙がぶり返した女性の背中を撫でながら、男性がリセロットに頭を下げ続ける。

 

 ここにいても、リセロットはもうなにも出来ない。

 リセロットは一つ礼をして、宿に帰ることにした。


◇◇◇


「リセロット! 何処に行ってたの! 俺探してたのに全然見つからないから……」


 既に日が沈んだ道を歩いていると、一つの影が近づいてきた。

 それはアーサーで、汗を拭いながらリセロットを詰める。


「何処、と言われましても」


 迷子を家に送り届けていた、そう言うつもりなのに、なにかが詰まったように言葉は出ない。


「リセロット?」

「……いえ、なんでもありません」

「そう、それなら良いけど」


 返事をした後、アーサーの緑色の瞳がすうと細くなる。


「――リセロット、俺という存在がいながら浮気したんだ。ふーん」


 つい、とアーサーの指先がリセロットの頬をなぞった。


「アーサーとは婚姻関係にあるわけでも想いが通じ合っているわけでもないので、浮気ではありません」

「その否定の仕方、やっぱりどこぞの男に頬へのキスを許したんだ! リセロットの浮気者!」


 リセロットは頬を擦る。特になにかがあるわけでもない。

 何故、アーサーはリセロットが頬にキスをされたと気付いたのだろう。

 野生の勘だろうか。


「リセロット、俺もキスして良い? 出来れば、その、唇に」

「体の何処の部位であっても拒否します」


 ぐいと体を密着させながら問いかけてくるアーサーの顔を押し返し、リセロットは拒絶の意を示す。


「えー。まあ、しょうがない。じゃあこれくらいで許してあげるよ」


 言うなり、アーサーはリセロットの頬を自身の服の袖で拭き始めた。

 リセロットは思いっきり顔をしかめる。


「アーサー、皮膚が破けます」

「痛かった? ごめんね?」

「謝るならこの手を止めてください」

「やだ」


 顔をむっつりとさせながらリセロットの頬を拭いていたアーサーは、ようやく満足したのか手を止めた。


「もう誰ともキスしちゃ駄目だからね。あ、でも俺とならオーケー。いつでも大丈夫だから」

「今後誰ともする予定はないので、どうか安心してください」


 まだ眉根が寄ったままのアーサーは、ぎゅうとリセロットを一回抱きしめてから手を繋いだ。


「リセロットの浮気相手については追々聞くとして……、行くよリセロット」

「宿にですか? 分かりました」


 歩きながらリセロットは、そっと面を自らの手を引くアーサーの方へ傾け、アーサーの横顔を盗み見た。

 今になって、女将の言った『イケメン』という言葉を思い出す。

 サラサラと金髪を揺らすアーサーの瞳は目じりが下がっていて甘やかな印象を与え、鼻梁も高い。アーサーは女将が言う通り端正な顔なのだろう。

 その顔が、さっきまで間近に迫っていた。


「……アーサーの馬鹿」

「え、なにか言ったリセロット」

「いいえなんでも」


 プイ、と顔を背け、それ以降これといった会話も生まれず宿に辿り着いた。


 宿に着いたリセロットは、アーサーに外で少しだけ待っているようにと言われた。

 冬の始まりを告げる乾いた冷たい空気を感じながら待っていると、「入ってきて」と中から声がかかる。


 キイ、と扉が擦れ音を上げた。

 飛び込んできた景色に、リセロットは瞠目する。


「お誕生日、おめでとうリセロット」


 手に花束を持って、アーサーが微笑んでいる。

 後ろでは女将が楽しそうに笑い、宿泊客であろう強面の男たちが「人の幸せを肴に飲む酒は美味えなあ!」とジョッキで乾杯をしていた。

 女将が、ほら、あたしの言った通りだろ、と言わんばりのウインクをしている。


 アーサーから花束を受け取ったリセロットは、視線をキョロキョロと動かす。

 淡い桃色のリボンが所々に巻かれていて、木で作られた宿の一階が華やかに飾り立てられている。

 テーブルの上には、女将が作ったであろうご飯がドドンと並んでいた。海老のグラタンに山盛りのチキンに、リセロットの食欲が刺激される。


 花束を抱きしめたまま突っ立っているリセロットをアーサーが椅子に座らせると、厨房の奥に行った女将がなにかを持ちながら帰ってきた。


「これ、菓子屋に昨日頼みに行って作ってもらったんだ」


 ベリーのタルトだった。博士が作って貰ったモノと、上に乗っている苺やブルーベリーが一緒だった。


「…………」

「よ~し、それじゃあ切っていくよ」

「お兄さん、ちゃんと切れるのかい?」

「任せてくださいよ」

「頑張れ坊主!」


 女将に心配されたアーサーが胸を張って答えると、茶化すように宿泊客がアーサーを応援する。

 リセロットはじっと、その様子を見ていた。


 アーサーは包丁を構え、真っ直ぐにタルトに刃を落とす。


「……凄い崩れた」

「だからあたしに任せなさいって言ったのに」

「やっちまったな、坊主。嫁さんに愛想尽かされちまうぜ」

「元気出せよ!」


 苺とブルーベリーは皿の上にコロコロと落ち、タルト生地はポロポロと潰れている。

 そのタルトを、リセロットはじっとまだ見つめている。


「……チョコチップ」

「あ、気づいたリセロット? そうだよ、ちゃんと俺は生地にチョコチップを練り込んで貰えるようお願いしたんだよ!」


 女将が必死に崩れたケーキを綺麗に分けようとしている隣で、戦力外通告を受けたアーサーが椅子に座りながらリセロットに言葉を返した。

 

 リセロットはなるほど、と呟きそれから瞑目する。

 博士の作ったタルトにも、そういえばチョコチップが入っていた。

 最初は似ていないと思ったが、二人はたまに、とっても似ているのだ。


「んふふ、博士とアーサー、やっぱり似てます」


 目元を綻ばせながらリセロットが笑い声を上げれば、女将にケーキの切り方を伝授されていたアーサーの顔がこっちにグリンと向いた。


「リセロットの笑顔だあ。可愛い可愛い、凄い可愛い!」


 アーサーもぱああと顔を輝かせる。

 すぐにまたリセロットの顔が無へと戻っても、可愛い可愛いと言い続けている。


「ここが天国。リセロットは天使だったんだね」


 やっぱり幸せを死後の国に例えるのはなんなのだろう。


「リセロットの笑顔が見れて幸せ……」


 うっとりと呟くアーサー。

 笑顔なんて、瞬く星の数ほど見ている筈なのに。


 ――そうか。リセロットでなくては駄目だったのか。


 その答えに辿り着いたリセロットは、そっと瞳を柔らかくさせた。


「ね、あたしの言った通りだろう? お兄さんはあんたにベタ惚れだって」


 皿の上に盛られたタルトをリセロットの前に置いた女将が、そう笑いかける。


 フォークを受け取りながら、リセロットは女将の笑顔に首をかしげた。


「……私たち、昔どこかでお会いしましたっけ?」

「あらそう? あたしは特に会った憶えはないけど……」

「ナンパしてるの!? するなら俺だけにしてよ!」


 アーサーの変な主張は無視しながら、リセロットは必死に記憶を遡る。

 全く同じ顔ではなく、例えば年齢や化粧によって顔が少し変わっている場合、上手く過去の人物と重ねるのは無理なのだ。


 考えるリセロットであったが、宿の人たち全員による「お誕生日おめでとうの歌」が始まった為、すぐに思考は途切れた。


 久しぶりに食べたベリーのタルトは、博士と食べた時と似ている味がした。

 考えてしまう。

 博士にも、もしかしたら会えないかと。


 淡い期待を消すように、もうそのことは考えないようにした。

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