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 菓子店に並ぶモノを見て、リセロットはふと昔のことを思い出した。


 リセロットが生まれてから二年が経った日のことだった。


 最初は家事も上手くいかず、力加減を誤り博士の下着を引き千切ってしまったこともあったが、今ではすっかりそれもなくなっていた。

 そんなリセロットは今日も今日とて洗濯物を干す。本来ならこの時間は昼食を作るのだが、博士が家に入っては駄目と言ったからだ。

 昼食も博士がなんとかする、と言い張る為こうしてリセロットは外で出来る洗濯に精を出していた。


「ふう……」


 快い風に吹かれ、干したシーツやタオルがはためく。

 

 リセロットは洗濯籠を持ち、もう終わったかと家の中に入ることにした。


 扉を軽くノックする。バタバタと誰かが走る音がした。言わずもがな博士だろう。


「博士、もうよろしいですか?」

「あとちょっとまって〜!」


 一層バタバタという音は忙しなくなりながら、博士からの返答があった。

 ため息をついたリセロットは、洗濯籠を扉の前に置く。


 そして森の中を歩くことにした。

 青々とした草の上をリセロットは歩く。木の葉の重なりから零れた光が、彼女の髪を明るく染めていた。


「一体、なにをしているのでしょう」


 ポツリと呟いてみた。言葉は木の葉が擦れる音に紛れて消えていく。


 木々の隙間から見える空は透き通っていて、雲一つない。

 そっと手を光に透かしていれば、向こうから走ってくる音がする。

 手を下ろし振り向けば、博士がヒイヒイ言いながら走っていた。


「リセロット、ゼハ、ゼヒ……探したよ」


 大した距離でもないだろうに玉のような汗をかいている博士に若干呆れた目をしていると、博士が手を差し出した。


「さ、帰ろうリセロット」

「分かりました」


 手を乗せれば、博士はニコッと嬉しそうに笑い家へと歩き出した。

 下手くそな鼻歌と下手くそなスキップをしている。

 なにがそんなに楽しいのだろう、と考えながら博士の歌が少しでもマシになるようにとハモリを入れれば、目を輝かせた博士がリセロットの横顔を写し、また笑った。


 歩き続けば、そう遠い場所にいたわけでもないのですぐにリセロットと博士の家が見えた。

 森の中にポツンと一つ建てられた家。

 博士の話によると、元は博士を育ててくれた魔法使いのお爺さんが住んでいた家らしい。

 

「じゃあリセロット、目を瞑ってね」

「何故ですか。理解ができません」

「まあ、良いから良いから」


 博士に促され渋々目を閉じれば、木の扉が開く音がする。

 そして背中を軽く押され、リセロットは家の中に入った。


 なにがどうなっているのか全く分からないリセロットが、ただひたすらにじっと待っていると、ポンと肩を叩かれた。


「もう目を開けていいよ」


 ぱちりと言われた通りに目を開けて、リセロットは絶句した。


「……博士、なんですかあのキッチンの残骸は」

「ええー! 開口一番がそれ!? もっと他にもあるじゃん、料理美味しそーとか、この飾り付け可愛いーとか」


 だがそう言われても、キッチンなどについ目が行ってしまう。

 朝までは美しく、並んだ小さなタイルが光を放っていたというのに、今は無残にも黒いモノで汚れている。恐らく炭のようななにかだろう。

 蛇口の所には、汚れた鍋などで溢れかえっている。


 そこを指摘したくて口の端がヒクヒクと動いたが「酷いよ……」といじけている博士が面倒くさくて、リセロットはため息をつくだけに留めた。

 一旦キッチンから目を背け、ついと部屋全体――博士が見て欲しかったであろう部分を見る。

 丸いテーブルの上には所狭しと、鳥一羽を丸々使ったローストと、形がデロデロだが辛うじてベリーのタルトだと認識出来るモノが置かれている。

 そういえば、昨日博士がどこかに行っていたな、とリセロットはふと思い出した。

 顔を上げれば、壁には色とりどりの花や大きいリボンがぎゅうぎゅうに飾られていた。子供が初めて飾り付けを任されたように、色のセンスも飾るセンスもない。不器用を象徴するかの如く、リボンは斜めに傾いている。


 博士を見れば、自信満々に笑って本を一冊持っていた。


「……一体、なにを? 意図がわかりません」

「なにって、誕生日だよ。リセロットの誕生日」

 

 はい、と渡された本は、いつかのリセロットが博士と共に町に下りた時に、読んでみたいと小さく呟いた本だった。


「生まれてきてくれて、ありがとうリセロット」

「…………」

「頑張ったんだよ〜、料理なんて何年ぶりにやったんだろ」

「…………」

「この飾り付けもさ、結構センス良いと思わない?」

「……いえ、博士のセンスは壊滅的だと思います」

「酷いっ」


 なんて返せば良いのか分からなくて、そう返すだけで精一杯だった。


 本を持ちウロウロと視線を彷徨わせていると博士が椅子を引く。


「ほら、今日の主役はリセロットなんだよ。さ、座って」

「はい」


 ぽすん、と座れば、博士ももう一つの椅子に座った。


「よ~し、まずはこのケーキから食べちゃおう。自信作なんだぞう」


 いそいそと博士が包丁を構える。


「私がやりましょうか?」

「ううん、僕に任せて」


 ケーキの標準を合わせて、博士がゆっくりと包丁を下ろした。


「あ……」


 リセロットの予想通り、タルトのクッキー部分がボロボロと崩壊し、カスタードクリームとベリーがデロンと皿の上に流れた。

 半泣きの博士が手をワタワタさせ「どうしようリセロット……」と泣きついてくる。

 さっきまでの威勢は何処に行ったのだろう。


「あんなに、僕に任せてって自信満々に言ってましたのに。駄目駄目ですね。……ふふっ」


 小さな部屋に、軽やかな音が響いた。

 はっとすると、博士が目を真ん丸くしリセロットを見ていた。


「……今、」

 

 初めて笑ったのだ、リセロットが。


 自分の頬を押さえる。残念ながらすぐ元に戻ったようで、手で触れる感触はいつものリセロットだ。

 笑うのは初めてで、自分がどのような表情を浮かべていたのか見当がつかない。

 博士みたいなヘラヘラした笑い方だったら嫌だ。でも笑顔を会得したのは間違いなく博士のを見てだろう。


 気になったリセロットは、未だなんの言葉も発しない博士に、頬を押さえたまま問いかける。


「博士、私今上手に笑えていましたか? ……博士?」

「えっ、あ……」


 ようやく我に返った様子の博士が、あたふたしてからいつものようにヘラリと笑う。


「今の笑顔、なんだか初恋の子に似ていたぞう! リセロット、もう一回!」


 博士に聞いたリセロットが、恐らく馬鹿だったのだろう。


「不快、嫌悪感を会得しました、感謝します。そして近寄らないでください」

「うっ、ごめん……」


 こうして。

 少しだけ挙動不審な博士のまま、誕生日会は進んでいく。


 最後は、夜が更けるまで博士と一緒に片付けをした。


◇◇◇


 お菓子店に並ぶベリーのタルトを窓越しに見ながら、リセロットは懐かしいと瞼を閉じる。

 次に目を開けた時には、既にリセロットの瞳は波がなく静かで。

 林檎を拾って帰ろうと屈もうとした。


 だがそこで、ベリータルトの向こう側に見知った顔を見つける。


「アーサー、お菓子店に居たのですか」


 菓子店の中で、アーサーは誰かと話していた。あの金髪、身間違う訳ない


 アーサーのことだから、このまま置いていったことがバレたら怒りそうだ。声をかけ一緒に帰ろうか。

 そっと窓の外からアーサーの様子を伺う。

 アーサーは笑って誰かと話していた。

 年若い女性だった。エプロンを着ていることから、お菓子店の店員なのだろう。アーサーになにかを言われて、柔らかく笑っていた。


 開いていた口をきゅっと閉じる。


「……やっぱり帰りましょう」


 リセロットは今度こそ林檎を拾い、宿の方へ体を向けた。

 足音がいつもより荒々しいことにリセロット自身は気づかない。


 ――皆、どうして私の笑顔を望むのでしょう?


『今の笑顔、なんだか初恋の子に似ていたぞう!』


「私の顔である必要はないのに」


 リセロットの表情をそっと隠すように、夜の帳が降りる。

 月を必死に追いかけるように、リセロットはただひたすらに歩き続けた。



「あら、あのイケメンなお兄さんは一緒じゃないのかい?」


 気がつけば宿の前に着いていて、リセロットの前には宿の女将が立っていた。


「……はい。忙しいようでしたので」


 リセロットの返答に、紫の瞳を細くして女将は笑った後、彼女の頭をポンポンと撫でた。


「大丈夫だよ。私の目が確かなら、あの男はあんたにベタ惚れだよ」

「はあ……?」

「うふふっ、女の子って良いわねえ」


 女将のニヤニヤを躱しながら、軽く礼をして部屋に戻る。


 ベッドに腰掛け一息つき、窓の外を見た。

 星々が満月を取り巻くように瞬いている。秋の乾いた風が木の葉をサアサア揺らしていた。


 隣の部屋に誰かが帰ってきた気配はない。


 膝を抱えうずくまったリセロットは、久しぶりに思考の機能を停止させることにした。期限は明日の朝までにする。

 こうして機能を停止しておけば、なにも考えずに済むからだ。

 博士のいない二年間も、たまにこうして機能を停止することがあった。


 ――誰か、私を


 そんな言葉が頭の中を反響して落ち着かなくなるのだ。


 大丈夫、明日になればきっと良くなる。

 祈るようにリセロットは瞳を閉じた。

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