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ここ数日、リセロットの口数が減った。
自ら積極的に話すようなタイプではないがアーサーが話せば軽快に言葉を返してくれるのに、最近はそれにもキレがない。
だからどうにかしたいと試行錯誤してみたものの、あまり効果はないようで。
アーサーは諦め正面から行くことにした。
「リセロット、ちょっと笑ってみない?」
「拒否します。急になんです?」
串に刺さった肉を頬張りながら断られ、アーサーはぐうと項垂れた。
◇◇◇
「いや、その……リセロットの笑顔が見たくて」
「なるほど」
「あの博士の下にいたんだ。もう笑顔は会得済みでしょ?」
串肉を食べる手を止め、リセロットは眉をしかめた。
「会得済みです。が、あんなヘラヘラとした締まりのない顔を私にしろと?」
「えー……」
串肉を再度食べながら、今日のアーサーの行動理由をリセロットは理解した。
新しい町に来てから、アーサーがなんだか変だとずっと思っていたのだ。
「リセロット、君は、とっても可愛い!」
「まあありがとうございます」
「だから、結婚してくれ!」
「まあお断りします」
こうしていつもよりも多く求婚をしてきたり。
「リセロット、俺ね十二歳までスキップが出来なかったんだよね。笑えちゃうよねえ」
「……はあ」
「もう少し反応してよ! 俺の一番恥ずかしい秘密だったのに……」
「すみません」
笑い話(?)をしてきたり。
今食べている串肉もアーサーが買ってくれた。一体なにをしているんだと気にはなっていたが、まさかリセロットを笑わせる為だとは。
「そういうことでしたか」
串肉を食べ終えたリセロットは、冷めた目をしながらため息をつく。
「皆、どうして私の笑顔を望むのでしょう?」
目を瞬かせたアーサーは、それからとろりと蜂蜜のように笑った。
「だってリセロットの笑顔は、とてつもなく綺麗だろうから」
秋の乾いた風がサアと吹く。
リセロットは耳に髪をかけた。
「その笑顔は、きっと特別な人に向けるでしょ?」
アーサーの金髪はゆっくり揺れ、光を反射している。
「俺は、リセロットの特別が欲しくなったんだ」
アーサーの顔が柔らかく綻ぶ。
「それに、好きな子の笑顔は健康に良いからね。具体的に言うと、多分十年は軽く寿命延びる」
「理解しがたいですね」
「これ冗談じゃないから。本気で延びるからね」
いかに自分の寿命が延びるかの話を長々と続けたアーサーは、はたと立ち止まった。
「どうしたんです?」
「リセロット、君の誕生日っていつだったっけ? そろそろだったよね」
リセロットはアーサーの言葉を飲み込んでから、ゆっくり頭を傾けた。
「誕生日……?」
「ほら、リセロットが生まれた日だよ」
「ああ、製造日ですか」
ようやく納得したリセロットは、こともなげに言った。
「明日ですね」
「明日!? なんで言ってくれなかったの!」
「忘れていました。元より、私にとってはあまり意味のないモノですし」
二年前までは博士が沢山の贈り物などをくれたから憶えていただけだ。
博士がいなくなった二年間は、誰も気づく人がいないからリセロットも忘れていた。
「こうしちゃいられないね。リセロット、ごめん今日は別行動で!」
「分かりました」
この町を抜ければ次の町まで距離があり野宿となる。その為の食料を買おうと二人で来ていたが、特段一人で困る理由はない。
リセロットは緩く手を振り走り去っていくアーサーを見送った。
「……博士もアーサーも、製造日が特別なんて変な人たち」
暫く無言で立ち止まってから、リセロットはまた人の流れに沿うように歩き始めた。
まずはパン屋、それから――
◇◇◇
大きな紙袋を抱えながら、リセロットは大通りを歩く。もう少しで花まつりがあるせいか、旗が飾られていたり、市も賑わいをみせている。
「……暇になりましたね」
宿に帰ってもすることがない。
紙袋をヨイショと抱え直してから、リセロットは町を見て回ることにした。
石畳の上を歩きながら、リセロットの視線は忙しなく動く。普段はアーサーが話しかけてくるから、こうしてちゃんと町を見るのは初めてだった。
近くでは花屋で男たちが花を吟味している。
妻に、恋人に、好きな人に。最愛の人に送る花を選んでいるのだろう。
それを遠巻きに苦笑しながら見る子連れの女性もいれば、野で詰んだであろう花を大切に持ち歩いている少年もいた。
誰かを愛するとは、どんな感覚なのだろう。
アーサーに告白される度にそう思う。彼は一体、リセロットの何処に愛する価値を見いだしたのだろうかと。
博士もそうだ。彼は一度もリセロットには語らなかった。リセロットを作った理由を。
明確な理由は明かされず、リセロットがご飯を作ったりするだけで大層喜ぶ博士は、なにを考えていたのだろう。
緩く頭を振る。
考えてもしょうがないことをいつまでも考えるのは非効率的。
それよりも町を堪能しよう。
最近はアーサーに合わせて歩いていたせいか、景色が流れる速度がゆっくりで様々なモノが目に付く。
「……あ」
大通りの向こうで、硝子越しに人形が並べられている。
近づいてじっくり見れば、大きなクマの人形と紫色のネコの人形の間に、ブラウンのリボンが巻かれたウサギの人形がチョコンと鎮座している。
『ほ~らリセロット。可愛いうさちゃん人形だぞう!』
『博士、私は一般的な子供とは、違います。別に、喜びません。それにしても、何故今日?』
『僕たちが出会って、丁度一年だからだよ。リセロットのお誕生日!』
『……製造日ではなく?』
『うん』
あのウサギの人形には、サテン生地のツヤツヤとしたピンク色のリボンが巻かれていた。今はリセロットに与えられたベッドの上でポツンと置かれていることだろう。
そこで扉の開く音が聞こえた。
顔を向ければ、人形屋の扉から真っ白なヒゲを伸ばしたお爺さんが姿を覗かせている。
「見てくかい? 嬢ちゃん」
断るのも忍びないので、素直にリセロットは店の中に入ることにした。
「わあ……」
窓越しに並ぶ人形だけでも凄かったが、中に入るともっと凄かった。
深い緑色の棚に、大小様々な人形が整列している。小さな店は、温かな人形で満たされていた。
ちゃんと手入れされていることが分かる綺麗な毛の人形たちは、黒いつぶらな瞳でリセロットを見つめている。
「荷物、ここに置いていい」
「感謝します」
店主であろうさっきのお爺さんが持ってきた椅子に紙袋を置く。
身軽になったリセロットは店主に触っていいかを聞いてみた。
「ああ、構わない。壊せばお買い上げ願うが、そうでなければ好きに触れ」
「はい」
一番近くにいた店内でも一、二を争う大きさのクマの人形を撫でる。
艷やかな巻き毛のクマの人形は撫でるだけでも心地良く、もう何往復か撫でてしまった。
次にネコの尻尾を触ってみよう……とそーっと手を伸ばした所で声がかけられる。
「可愛いだろう? 娘が好きだったんだ、動物の人形」
「ええ、とても」
ほつれもなく綺麗な縫い目からは、細やかな気遣いを感じる。
失礼なようだが、このお爺さんが作ったようには思えない。
「とても、人形が大切なんですね」
「いいや?」
リセロットはネコの尻尾を撫でる手を止めた。
お爺さんをじっと見つめる。
「俺が大切なのは、娘さ。女房が流行病で死んじまってから、ずっと大切に育ててきたな」
お爺さんがリセロットの側に寄ってきて、近くにあるイヌの人形を手に取った。
コットン生地で作られたであろうイヌの人形は、体が黄色い薔薇の柄で出来ていて、首には白いリボンが付いている。
「俺は、昔は鍛冶屋で働いていて家にも中々帰れなくてな。いつもあいつの側にいれるわけじゃねえ。だから、人形を作って渡してたんだ。馬鹿の一つ覚えみたいに何個もな」
厳つい顔のお爺さんは、ようやくそこで目元を和らげた。
「だが、あいつは結婚して人形は要らなくなった。四六時中あいつを守ってやれる奴がいるんだから、当然だ。だから今、隠居爺はこうして人形を作って売っているってわけだ」
「そうなのですね。貴方の素敵な作品は、爆売れ間違いなしでしょう」
「そうか?」
「私は嘘を言いません」
リセロットがお爺さんの顔を見上げれば、お爺さんは気恥ずかしそうに頭をガシガシとかく。
「それで、嬢ちゃんも人形……って、嬢ちゃんはもう必要ねえか」
「どうしてですか」
「もう持ってるんだろ? 人形」
人はどうしてこんなに鋭いのだろう。アーサーもお爺さんも、性能はリセロットに劣る筈なのに、ピタリとこうして言い当ててみせる。
「そうですね。製造日に渡されたモノが一体」
「製造日? ……まあとにかく、それなら尚更あげられねえな。その人形のことを大事にしてやれよ。代わりに、ホラ」
手を出すよう促され出してみれば、ふわりと軽いものが乗る。
水色の玩具の宝石が付いた白色のリボンだった。
「人形用のリボンだ。まあ気が向いたら付けてみてくれ」
「ありがとうございます。お代はいくらでしょうか?」
「あーいらねえ、いらねえ。んなもんで金とるなんざ、死んだ女房にドヤされる」
飴のようにとろりとした窓から差し込む淡い光が、水色の宝石を煌めかせる。
傾けたりして暫く光の反射を楽しんだリセロットは、大事に胸ポケットにしまってから深い礼をした。
「貴方に深い感謝を」
「『貴方』とかむず痒いな。ジャスパーで良い」
「そうですか。ではジャスパー、私はリセロットです」
リセロットは紙袋の中から真っ赤に熟れた林檎を取り出しジャスパーに渡した。
「今日のイチオシだそうです。良かったらどうぞ」
「ああ、ありがとう。大好物なんだ」
「そうですか。安心しました」
では、ともう一度会釈をしてからリセロットは外へ出る。それから、入れ違うように一組の夫婦がジャスパーの店へと向かっていく。
「林檎のタルト、喜んでくれるかしら?」
「何十年も同じことをしているのに、君はいつまで経っても心配性だね。大丈夫だよ、君の林檎のタルトは美味しいし、それに――」
風に流されて、夫婦の会話がリセロットの耳朶を打つ。
足を止めないまま、リセロットは夫婦が店のドアを開ける音を聞いた。
「……ケーキも食べたいですね」
ケーキという単語をを聞くと食べたくなるのは何故なのだろう。
確か菓子店はこっちだったか、とゆっくりと沈みかけた日を背に歩き続ける。
「――……あ」
菓子店を見つけて。その店の中にあるモノを見つけて。
リセロットの紙袋から林檎が一つコロリと落ちた。