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大食い大会から三日経った。惜しまれつつも旅の途中だと新たな町へと行ったリセロットとアーサーは、今カフェで休憩している。
「ここは海が近いから、魚料理が多いね」
「そうですね。これ、皮がパリパリで美味しいです」
白身魚は皮がパリパリと焼かれていて美味しく、レモンバターのソースともよく合う。
「アーサーのは何ですか?」
「鮭をクリームソースで煮たやつだよ。一口いる?」
「……っ、私のはあげませんよ」
じっとりとアーサーを睨めつけ自分の皿を死守するリセロットに苦笑した後、「いらないいらない」とアーサーは否定した。
それから木のスプーンで一口分をすくい、リセロットの口元に持っていく。
「はい、あ~ん」
「……あー」
雛鳥のように口を開け鮭のクリーム煮を食べたリセロットは「これも美味しいですね……」と思案し始めた。
まだ食べたそうなリセロットに、アーサーが新たに鮭のクリーム煮を乗せたスプーンを寄せる。
「もう一口いる?」
「良いのですか? アーサーの分ですのに」
「だって、手ずから食べさせるなんて新婚さんみたいじゃないか。ほらリセロット、あ~ん」
「やっぱりもう十分です」
「まあそう言わずに」
頬を赤らめ『新婚』などとほざく男をリセロットは冷たく見つめる。
新婚の定義は本で読んだから知っている。リセロットとアーサーの関係は新婚とは程遠い、対極に位置していることも。
それなのにどうしてアーサーは新婚などと言うのだろう。頭腐っているのだろうか。そうに違いない。
「私はこの後パンケーキとやらも食べる予定なので、お構いなく」
「それは残念」
自らが頼んだ白身魚のポワレをもぐもぐ食べながら、リセロットはパンケーキはどうしようと考える。
生クリームを添えてもらうのも良いかもしれない。それだったら果物も乗せたい。でも王道のバターと蜂蜜だけでもきっと美味しい。
「どれも捨てがたい……」
「こんなに悩んでるリセロット、初めて見た」
なにかを買う時も思考時間は0,1秒のリセロットが、こんなにも悩んでいる。
クリーム煮を食べながら、しげしげとアーサーはリセロットを観察した。
「………………決めました。シンプルこそ原点にして頂点。バターと蜂蜜だけのにします。すみません」
店員を呼んだリセロットは注文をし終えた後、ふっと遠くの方を見つめた。
「どうしたのリセロット」
「いえ、博士が開発した魔道具を使っている子供を見つけまして」
「え?」
慌てて振り向いたアーサーの前には、母親に見守られながら、パンケーキを仲良く半分こにして食べている双子がいた。
「リセロット、あの子たちはなんの魔道具を使ったの?」
「人の姿を写し取って、道具を使用した人間に反映させる魔道具です」
――昔、朝博士の部屋へ向かうと、そこには茶髪の少女が立っていた。
「誰でしょうか。博士は何処に?」
そう問いかけると少女はニコッと顔を綻ばせ「僕だよ僕」と自分の顔を指さした。
「相手の姿をコピーする魔道具を開発してね。試してみたんだよ」
「そういう訳ですか。では、その姿は誰のものですか?」
「え、リセロットだよリセロット。自分の姿、見たことないの?」
「髪結いなど見ずに出来ますので」
リセロットはふむ、と魔道具でリセロットをコピーした博士を見つめる。
茶髪の少女は確かに昨日のリセロットと着ているモノが同じだった。
「……博士」
「なあに、リセロット」
「私、てっきり瞳の色も博士と同じだと思っていました」
博士は澄み渡るような水色をしているのに対して、リセロットの瞳はラベンダーを彷彿とさせる淡い紫色をしていた。
笑みを潜めてリセロットを見返した博士は、もう一回笑う。
「まーね」
リセロットの求める答えになっていない。そう訴えるが、いつもの姿に戻った博士はそれ以降、瞳の理由についてはなにも語ってくれなかった。
「という訳ですので、てっきりあの少女たちも、と思ったのですが」
「ううん、あの二人は双子だよ。生まれた時からあの顔だよ」
「なるほど」
運ばれてきた外カリ、中ふわふわのパンケーキにナイフを入れながら、リセロットは「会得しました」と頷いた。
リセロットは今も鏡など使わない。正確無比に自分の体を扱えるリセロットには必要がないからだ。
加えて年頃の少女のように、自身の姿を気にする乙女心もない。
「パンケーキ、美味しいです」
「良かったね。……紅茶のおかわり、いる?」
「はい」
でもそれ以上に、会得することを恐れていたのかもしれない。
博士がこの瞳の色にした理由に気づいてしまうことを。
だってリセロットは、まだ知らない。その時どんな言葉をかければ良いのか。きっと、傷つくのは真実を教えた筈の博士だから。
あの時の顔は、博士が迷子になった時と同じ顔をしていた。
二度、博士に尋ねたことがあった。
一度目は、どうしてリセロットに迷子レーダーを付けたのかと。いつものように笑って「僕を見つける為だよ」と核心には全く触れさせずにはぐらかされた。
だけど二回目。雨が降りしきる日。ぐっしょりと濡れた博士を見つけた時。どうして住み慣れた森でこんなにも迷子になるんですかと聞いた時、博士はポツリと呟いた。
その言葉は今も耳に残っている。リセロットが、上手に返事できなかったことも。
会得した情報を元に言うならば、きっとリセロットは恐れているのだ。言葉選びを失敗することを。
「アーサー」
「うん?」
「身近にいる人の秘密を知りたいと思っても、秘密を打ち明けられた時に上手く返せる自信がなかったら、どうしたら良いのですか?」
アーサーはふと上を見上げた後、リセロットの瞳を見つめ直した。
「それは博士のこと?」
「なんで分かるのですか」
「分かるよ、だってリセロットの身近な人って、俺か博士しかいないからね」
アーサーのことは別に身近な人だと思っていないが、変に否定すると話が長くなる恐れがある為、リセロットは黙って頷いた。
「そうだね、リセロットがもし失敗したその時は、今度は俺も一緒に考えるよ。二人で考えたら、いい答えがきっと出る」
「……? 既に失敗した後ではありませんか。それでは、意味がないんです」
だって一度失敗したら、もう二度目はないかもしれないから。
リセロットは失敗を知らない。会得したことがない。つまりは、その先にあるものを知らない。
分からないは恐怖だ。
俯くリセロットの視界に、人差し指を立てた手がにゅっと入ってきた。
顔を上げると、可笑しそうに笑うアーサーがいる。
「大丈夫だよリセロット。博士はリセロットの失敗を、二つでも三つでもそれ以上でも、必ず許してくれるから」
「何故」
「博士がそうだからだよ」
アーサーの言葉で、視界が開けた気がした。
眉を下げる。
「そうですね。私、博士にいっぱい迷惑かけられてきたのですから、一つや二つの失敗くらい許してくれますよね」
「そうそう。出てしまった言葉は消すことは出来ないけど、言葉はそれだけが全てじゃない。もう一度、今度は違う言葉で伝えれば良いんだよ。分からなければ、知れば良い。その為に、周りには人がいるんだから」
きゅっと唇を噛む。
本当にそうであるならば。もっと早く、博士に聞いてみれば良かった。
案外、ラベンダー畑に行ったから、なんて安直な理由だったのかもしれない。
でももう分からない。
ああそうか。博士は死んでしまったのか。
不意に、リセロットはようやく腑に落ちた。『死』という概念の本質を理解した。
「……リセロット、もう日が落ちかけているから、帰ろう」
アーサーにそう促され、空になったパンケーキ皿にフォークとナイフを置いたリセロットは立ち上がった。
死んだ時、その人を悼み人間は涙を流すのだという。
だが、リセロットの目には涙の一滴も出ない。あの小説に出てくる主人公のような激情も沸かず、心は凪いでいる。
ただ心臓の辺りが少しだけ痛いだけ。
きっと、取れたネジでも挟まっているのだろう。
私を直してください、博士。胸中で、そうリセロットは吐露する。
息苦しさを誤魔化すように、リセロットは会計のお金を数えながらアーサーに話しかける。
「そう言えば姿をコピーする魔道具、今度アーサーも試してみますか?」
「……ううん、僕はもういいや」
特にこの会話に気など割いていなかったのだろうリセロットは、お金を数え終え会計へと向かう。
そんな、いつも通りの無表情で、だけどいつもよりずっと静かなリセロットの後ろ姿を、アーサーは心配そうに追いかけた。
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