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 孤児院で育ったアーサーに、親などいない。

 辛く寒い環境で、奪わなければ自分が奪われるような生活を送っていた。


 十五歳の日。

 孤児院に騎士たちが来た。アーサーや他の孤児院の男たちを、戦争に出すというのだ。

 こうしてアーサーは、戦争が始まった理由も知らないまま、戦場へと駆り出された。


 最初は重くて上手く狙いが定まらなかった銃も、扱ううちに使えるようになってきた。でもそれは、人を撃ち殺したということで。アーサーはなんて皮肉だと思った。

 夜寝ていても起こされる時もあった。兵士を起こす時のカンカンという音が耳にこびりつき、段々眠りは浅くなっていった。

 戦場で知り合った人が、肩を揺さぶっても起きない朝があった。

 自分の隣で頭を撃ち抜かれた兵士がいた。


 死んだように銃を撃つ日々だったが、敵国の兵士に捕まったことでそんな日々は終わりを告げることとなる。

 縄で縛られ体を動かせない中、自分は死ぬのだと思った。

 だが辿り着いたのは、とある簡易研究所だった。


 兵士が扉を開ければ、中から茶髪の男が出てくる。


「おい。こいつは敵国の兵士だ。実験の被検体として使え」

「わあ、確かにかなり健康体だね。今何歳?」

「…………」


 狂っていると思った。

 兵器を生み出しながら、その兵器によって流れた血の量は知らなそうな男が、温和な笑みを浮かべている。

 吐き気がした。


「では、せいぜい殺されないよう気をつけろよ」

「分かったよ」


 兵士たちが出ていった後、茶髪の男は何故かスルスルとアーサーを縛り付ける縄を解いた。


「……っ、なんのつもりだ!」

「だってそれじゃあ、不便だろ? あ、僕のことは『博士』と呼んでね」


 あまりにもほのぼのとした姿に、毒気を抜かれる。

 拍子抜けして自分の名を呟けば、「いい名前だねえ」と博士は嬉しそうに顔を綻ばせた。


 博士と一緒に暮らす日々は、戦争とは乖離されたように静かだった。

 毎日なにかを飽きもせず作る博士を、ただひたすらに見つめる。

 時折博士は自分が作っているモノの解説をした。

 仕組みは理解できなかったが、洗濯が要らない服や、洗う必要のない皿など、くだらないものばかり作っていたのを覚えている。


「でね、これはこう作ってるんだよ」

「……博士、俺に仕組みを説明したって無駄だ。学がないからな」


 きょとん、と不思議そうな顔をした博士は、それからいつものように頬を緩めた。


「僕が、話相手が欲しいだけなんだ。ごめんね、面白い話とか出来なくって」

「はあ」

「あ、今のため息の仕方、リセロットに似てる」


 唐突に出てきたリセロットという名に、今度はアーサーが首を傾げた。


「誰だ、そいつ」

「リセロットはね、すごーく賢いんだよ。料理も洗濯も、上手なんだ。僕はだらしない生活を送っているから、リセロットには頭が上がらないよ」


 博士と同じように、能天気に笑っている少女なのだろうとアーサーは勝手に結論づける。


「ふ~ん」


 人の自慢話を聞くのなんかアーサーは大っ嫌いだったけど、博士が語るリセロットという少女の話は、不思議と聞き入ってしまった。


◇◇◇


 殺した。大勢殺した。

 数え切れないくらい殺した。もう償いきれない。


 ――だったら死ななければ。


「っアーサー!」


 鋭い声で、目が覚めた。涙を浮かべ必死な顔をした博士が、こちらを覗いている。


「凄い唸っていたんだよ。大丈夫?」


 眉を下げた博士の顔を見上げ、口の端が上がり歪む。


「……博士には分かんねえよなあ」


 混濁する脳の中で、その言葉が導き出された。

 それは間違いだと気づきながらも、言葉は止まらない。


「こんな安全な所で暮らしている奴が、俺みたいに沢山人を殺してきた奴のことなんて、分かるわけもないよな!」


 笑みが溢れた。

 孤児院で良く浮かべていた、なんの優しさも込められていない笑み。

 そうだ。奪わなければ。奪って奪って奪って、奪われないようにしなければ。

 ずっとそうして暮らしてきた。正解だと思ってここまで来た。


 こんなヒョロっこい男、素手でも殺せる。

 何故か震える手を叱咤しながら、アーサーは博士の首元に手を伸ばした。


 だがそれより数泊早く、博士に抱きしめられる。


「ごめん。僕は何処までいっても、弱虫だ。駄目駄目で、どうしようもない。こんな小さな子供に、大きな重荷を背負わせてしまう」


 肩が、博士が顔を埋めている肩が、濡れている。

 アーサーはただ呆然と目を見開き、力が抜けた。


「アーサー。君を、僕が守るよ。約束する。もう二度と君に、辛い思いはさせない」


 心の奥で誰かが反発しているのに、心の手前の方では、冷静にその言葉を咀嚼する自分がいた。


「どうして? 俺なんかを守る意味、ないのに」


 優しく博士が揺れた。

 アーサーには分かった。彼は笑っていると。


「違うよ。僕が、沢山沢山、アーサーにあげたいんだ。そうだ。戦争が終わったら、リセロットと一緒に三人で暮らそう! うん、それが良い。リセロットもきっとアーサーを好きになるよ。うんうん、そうしよう。……アーサー?」


 気づけばアーサーは嗚咽を漏らしていた。


「……っ本当は、俺、騎士に、なりたかったんです」

「うん」

「誰かと、平和に暮らしたかったんです……っ」

「大丈夫、ちゃんと分かってるよ」



 誰かに与えられるのは、初めてだった。


 その日知った。

 奪ったモノはヘドロのようにこびりつくが、与えられたモノの輝きは、決して濁らないのだと。


 それから、博士はアーサーに色々なモノを与えた。

 優しい話し方をアーサーは博士に教わった。

 魔道具の作り方の基礎を教わった。

 缶詰めを、アーサーは成長期だからと分けてもらった。

 

 いつの間にか、アーサーがこの研究所に来てから最初の秋が来た。


「あのね、今日リセロットの誕生日なんだよ。元気かなあ、リセロット」

「今、なにしているんでしょうね。俺もリセロットに会ってみたいです」


 リセロットという少女の誕生日を、男二人でお祝いした。


「アーサー、帰ったら一緒に祝おうね。勿論アーサーの時も」

「……っはい!」


 そんな会話の次の日。

 騎士が、二人の元を訪れた。


「おい、まだ捕虜がいるのか」


 顔を歪めた騎士がアーサーに手を伸ばす。


「お前はもう用済みだ」


 ひゅっと息を呑むと、博士がアーサーを背に庇う。


「い、今考えている魔道具には、彼が必要不可欠なんです!」

「ほお……?」

「爆弾を積んだ、空中を飛行する魔導具で、操作して座標を合わせた所に落ちて爆発します。操作には中に乗る人――死ぬ人が必要で、それが彼なんです!」

「……分かった。お前の言い分を信じよう。だが監視は置かせてもらう。変な気は起こすなよ」


 博士たちを睨みつけ、騎士は去っていく。

 その場に博士はへたり込んだ。


「あっはは。口から出任せだけど、言ってみるもんだね」

「博士……」

「大丈夫だいじょーぶ。僕に任せて」


 アーサーにピースした。

 一体、なにを考えているんだろう。

 それを聞いてみたかったけど、博士に聞き出す前に、監視がついて話すことが出来なくなった。


 なにかを忙しそうに作り上げる博士を、アーサーはじっと見ていた。


 その間に、自分のことを考える。

 博士の話では、自分は死ぬのだろう。

 それは怖い。死にたくないと、心が悲鳴を上げる。

 ここから抜け出すことは簡単だ。だけどトロイ博士はきっと逃げられないから、自分の代わりに罰を受けるのだろう。それは、なんだか嫌だった。

 奪ってばかりだった自分が、与える側になる。

 悪くない、と強がりでもなくそう思えた。


 季節は巡る。

 もう一度リセロットの誕生日が来る前の日に、終わりは突然告げられた。


 監視役の騎士に、博士は迷いもなく告げる。


「出来たよ」

「……そうか。では明日、早速使うとしよう。私はこのことを知らせに行く為ここを離れるが、決して変な気は起こすんじゃないぞ」

「当たり前だよ」


 そして監視役の騎士がいなくなった後、久しぶりに博士はアーサーに話しかけた。


「いやあ、明日で最後だねアーサー」

「はい」

「うんうん、じゃあ、これ」


 渡されたそれはずっしりと重く、そして剣の形をしていた。


「これ、は」

「合間を縫って作ってたんだ。騎士になりたいって言ってたから、剣がないと駄目でしょ?」

「ありがとうございます」


 深々と礼をする。

 それだけでもう、死んでも後悔はない気がした。


「うん、じゃあ次にこれ」


 小さな魔道具を渡された。


「それはアーサーの。僕を写した姿が入っているから。このボタンを押すとね、あらびっくり。僕と同じ姿になれるんだ」

「博士、なにを……」

「それで、こっちは僕の。アーサーの姿を写したのが入ってるんだ」

「一体、なにを!」


 博士は花が綻ぶような、いつもと同じ笑みを浮かべている。


「言ったでしょう? 君を守るって。爆弾を積んだこの魔導具は――アーサーの姿をした僕が操作する」

「……っ」

「アーサーは一旦僕の姿になって、それからリセロットの家に行って。ああ、リセロットに会う時にはアーサーの姿に戻れてると思うから」


 どうしてこの人は、こんなにも。


「博士だって、死ぬのが怖い筈でしょう!? なぜ俺の為なんかに命を投げうつのです!」

「約束したから。それにね、アーサー。僕はもっと君に、沢山の美しい景色を見て欲しいんだ」


 博士が魔導具のボタンを押した。

 アーサーが二人になる。

 一方は泣いていて、もう一方は、少しの不安と大きな決意に満ちた、清々しい顔をしていた。


「ほら、ボタンを押して」

「嫌だっ、嫌です博士!」


 暴れるアーサーをそっと抱きとめ、博士はアーサーの手を掴みボタンを押させた。


 泣くアーサーに、博士は寄り添った。

 窓の外を指差す。


「リセロットにね、もう一度会いたいと言ったら嘘じゃないよ。だけどきっと、リセロットは迎えに来てくれる(・・・・・・・・)から」


 緑色の瞳を緩めて、博士は笑う。


「だから、ちっとも怖くなんかないんだ」


 嘘だ。

 そう叫びだしたかった。

 博士の手は微かに震えている。


 だけど言葉にはならなくて、アーサーは瞳を閉じた。



 いつの間にか眠っていたらしい。

 目を開けると既に朝で、アーサーの姿をした博士が顔を覗き込んでくる。


「さ、行こっか。……ううん、行きましょうか」


 叫びだしたい気持ちを堪え、アーサーもまた、いつもの博士のような笑みを形作る。


「うん」


 既に騎士が研究所に来ていた。


「お、逃げてなかったらしいな」

「他の騎士はいないんだね」


 騎士が嫌そうに顔を顰める。


「なんの実験も行ってないんだろ? 失敗したら、俺が恥をかくんだ」

「なるほど」


 それから博士は、魔導具に乗り込んだ。


「――では、さようなら」


 いやだ。行かないで。

 置いていかないで。

 死なないで。

 お願いお願いお願い――


「うん、さようならアーサー」


 痛いくらいなる心臓を押さえつける。

 手をゆっくり振れば、彼も僅かに手を振った。


 魔導具は高く高く飛ぶ。

 博士は偉大なる魔法使いだ。失敗などないのだろう。


 灰色の空を切り開くように進んでいく。ブレもなく進む。


 だが、豆粒程の大きさになった時、ゆらゆらと落ち始めた。


「……あ」


 一度傾いてしまえば。真っ直ぐに落ちていく。


「あ、あ……」


 魔導具が見えなくなって。


 数泊遅れて、光が散った。

 爆音と風が、自分の頬をかすめた気がした。


「ああ、……あ、あぁ……」


 アーサーはその場に倒れ込む。

 涙で床をぼたぼたと濡らしながら、泣く。


 そうして博士は死んだ。


◇◇◇


「……実験は成功したようだな。ほら、これは金だ。ちなみに今あいつが突っ込んだのは、敵の本所地だろう。……戦争を、終わらせたんだ」


 見届けた騎士は、麻袋に入った金貨を渡しながらそう言う。

 

「お前も、自分の住んでいる所に帰るんだな」


 ゆっくりと頷く。

 でも、帰ってどうなるのだろう。次戦争が起きたら、また博士は駆り出される。

 その時隣国の捕虜である自分がいたら。


 ひやりと心臓が冷える。

 リセロットに迷惑はかけられない。

 

 違う所で、暮らした方がいいのか。


「そういえばお前。咳をしていたな」


 騎士がそう話しかけてきた。

 アーサーは困惑した。 

 博士が咳をしている姿なんて見たことがない。


「戦争の悪い空気のせいだろう。そろそろ死ぬんじゃないのか」


 そして気付いた。

 騎士の瞳には憐憫が乗っていた。

 監視に来てから、彼はずっとアーサーと博士を見ていた。

 その時、一体彼はなにを考えていたのだろう。


「うん、そうみたいだ」

「やっぱりだな。上には報告しておくよ。『魔法使いは近い内に死ぬ』と」

「ありがとう」


 ――金貨が入った麻袋と剣を抱えた博士は、騎士に会釈をしてから、リセロットのいる家に進むことにした。


◇◇◇


「ずっと隠しててごめん。騙しててごめん……っ。博士を大切に想ってる君の側に、ずっといてごめんなさい」


 アーサーの言葉を、リセロットは上手に理解出来ない。

 脳が拒むように、痛みを上げる。


 情報量が多かったのか、リセロットの意識が閉じた。

 アーサーは彼女を抱き上げ、ベッドに横たえる。


 そしてアーサーは、自分に巻かれていたマフラーをリセロットに返して、部屋を出た。


 やはり自分は、リセロットの側にいるべきではなかった。


 リセロットの気持ちを考えることを、ずっと拒んでいた。

 だけどやっぱり、駄目だ。


 さようなら、という言葉は雪でかき消された

残り1話です。ここまでお付き合い頂きありがとうございます

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