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 現在、リセロットたちの目の前には白だけがあった。空は白い雲で覆われていて、地は一点の曇りもない雪が占めている


 柔らかい雪の上を歩き、リセロットの迷子レーダーだけを頼りに進む。

 立ち止まることは出来ない。そこで埋もれてしまうからだ。


「アーサー、大丈夫ですか?」

「う、ん……リセロット、なんだか俺、すっごく眠たい」

「…………」


 男の矜持がなんだというのは、今は忘れていただこう。

 リセロットはアーサーを担ぎ上げ、走り出した。

 アーサーはぐったりとしていて、体は氷のように冷たい。


 風の流れに逆らうように走る。視界が不明瞭で、自分が何処にいるのかすら分からない。

 ゴオオと一際強い風が吹いた。飛ばされそうになるのをぐっと堪える。

 

「どこか、休める所は――」


 必死に走っていれば、雪で包まれた世界で、茶色が映った。

 目を凝らせば、茶色い家があり、僅かにオレンジ色の光が漏れている。


「アーサー、建物が見つかりました。あと少しです」

「あ……う、ん」


 アーサーが死にそう。


 身につけていたマフラーを取り、アーサーに巻きつける。

 もう一度抱え直してから、リセロットは全速力で走り出した。


◇◇◇


 扉を叩けば、お爺さんが出ててきた。元々の体はヒョロリとしているのだろうが、着ぶくれしていて体の原型は分からない。

 お爺さんは凍えたアーサーを見て、すぐに中に入れてくれた。


 暖炉の前にアーサーを転がす。

 真っ赤な指先を握りしめその瞼が動くのを待っていれば、熱で溶けた雪の雫が乗ったまつ毛が震える。

 雫は頬を伝い、ふかふかのカーペットに吸い込まれていった。


「……リセ、ロット」

「大丈夫ですか?」


 まだぼんやりしているアーサーは、宙を向きながら呟く。


「なにか、男としての矜持を失ったような、気がする」

「気の所為ですね」

「なにか……」

「気の所為ですね」


 彼のなけなしの矜持を守ってやろうと否定を続ける。

 アーサーの唇に赤みが戻ってきた所で、お爺さんがカップを二つ持ってきた。


「茶だ。熱いから気をつけて飲め」

「なにからなにまで、ありがとうございます」


 お爺さんは軽く会釈をしてから、リビングに置いてある一人掛けのソファに座った。毛布を膝に掛け、眼鏡と本を手にする。

 どうやらそれが、お爺さんのいつものスタイルなのだろう。


 すっかり本の世界に行ってしまったお爺さんに、礼をする。

 カップ越しに伝わる熱はじんわりと温かく、アーサーも嬉しそうに飲んでいる。

 唇を尖らせ息を吹き、ちょっとずつ飲み進める。それを繰り返していたアーサーは、リセロットがまだ飲んでいないことに驚いた。


「飲まないの?」

「熱いものは苦手です」


 リセロットの返答に、アーサーは不思議そうに形の良い眉を上げた。


「あれ?」

「なんです」

「いや、初めて俺がリセロットの家に行った日、言ってたよね? 『ずっとお湯を沸かしているので、熱いお茶、飲めますよ』って」


 カップに息を丹念に吹き込みながら「ああ」とリセロットは頷いた。


「良く憶えていましたね、そんなこと」

「リセロットのことだから」

「そうですか」


 リセロットは揺れる茶の水面を見つめる。

 

「……博士が、熱いお茶を好きだと言っていたんです」

「…………」

「戦争が終わったと聞いて。いつ帰ってくるか分からなかったから、ずっとお湯を沸かしていたんです。帰ってきた博士に、すぐ熱いお茶を出してあげられるように」


 顔を上げれば、水面のようにアーサーの表情が揺れていた。ゆらゆらと、何処か覚束ない表情をしている。 

 アーサーはなにかを言いたそうに口を開いてから、それを誤魔化すように茶をすすった。


「……博士を、ずっと待っていたんだね」

「ええ。きっとそういうことなんでしょう」


 瞼を閉じれば、あの笑顔がいつでも側にある。


「それに、もう一度会って、言いたいこともあったんです」

「そっか」

「……アーサー?」


 気づけば、アーサーは床にカップを置き、膝を抱え座っていた。

 揺さぶれば、力なくアーサーはカーペットの上に倒れる。

 額に手のひらを重ねれば、リセロットは熱の高さに息を呑んだ。


 あの寒さの中にいたのだ。熱を出しても可笑しくない。

 どうしようかと悩んでいると、いつの間にかお爺さんが側にいた。

 アーサーを軽々と抱える。


「客人用のベッドがある。そこで今晩寝れば、明日には熱は下がっているだろう」

「すみません」

「行くぞ」


 お爺さんの後ろをついていけば、一室に辿り着く。

 中にはベッドとテーブルが一つずつ置かれていて、窓には厚いカーテンがかかっていた。

 お爺さんは布団を捲り、アーサーを寝かせた。毛布と毛布が重なり、その上に厚い布団が乗る。ベッドがこんもりと盛り上がった。

 

 苦しそうなアーサーの額を撫でていると、肩を掴まれた。


「熱いからといって布団をとれば、ここでは命取りになる。可哀想に見えるかもだが、そのまま寝かせろ」

「なるほど。勉強になります」


 気難しげな顔のお爺さんは、リセロットを招いた。


「側にいられても寝れないだろう。行くぞ」

「はい」


 不規則な寝息に後ろ髪引かれながら、リセロットはその場を後にした。


◇◇◇


 リビングに戻ったリセロットは、改めて頭を下げた。


「本当に、ありがとうございます。そして今更ですが、私はリセロットと言います。寝込んでいる彼はアーサーです」

「……そうか。久しく人と会っていなかったから、俺も名乗るのを忘れていたな。オークリーだ、よろしく」

「はい」


 そこで腹の虫がなく音が聞こえた。

 オークリーがお腹を押さえている。


「なにかお作りしても良いですか?」

「良いのか?」

「はい、どの材料なら使って良いかを教えていただければ」


 オークリーがリセロットを手招きする。

 キッチンの奥に続く扉を開ければ、冷えたそこには食べ物が入っていた。

 

「ここにあるものなら、なんでも使って構わない」

「分かりました。では、シチューでも作りましょうか」


 オークリーのお腹がもう一度鳴った。


「……シチューか。楽しみだな」

「得意料理ですので、楽しみに待っていてください」


 ソファに座って待っているよう促すと、オークリーはソワソワとしながらも渋々ソファに座り本を開いた。だが気がそぞろがようで、ページは一ページも進まない。


 リセロットは早く作らなくては、と早速調理に取り掛かる。

 人参やキャベツを食べやすい大きさに切り、塊肉も一口サイズにする。

 バターを溶かした鍋に塊肉を入れ、氷が溶けるよう弱火で炒める。そこに人参とキャベツも入れ、人参が柔らかくなったら小麦粉を入れた。

 ゆっくり、焦がさないように小麦粉を練っていく。

 

「これくらい、ですね」


 水と牛乳を入れた後、慣れた手つきで味を調えたリセロットは、一口味見をしてから火を止めた。

 とろとろしたシチューからは、温かく美味しそうな匂いがする。


 すっかり本を机の上に置き、こちらをチラチラ見ていたオークリーに、リセロットは皿を見せた。


「どれくらい食べますか? 沢山ありますよ」

「出来るなら沢山ついで欲しい」

「分かりました」


 後でアーサーに届ける為に一人分を鍋の中に残し、リセロットは席に着く。

 既に着席したオークリーが、木のスプーンを握りながら今か今かと待っていた。


「では、いただきます」

「ああいただきます」


 外ではまだ雪が降っているのに、家の中は温かい。

 暫く無言でお互い食べていると、ポツリとオークリーが呟く。


「こういうのも、悪くねえな」

「オークリーは、何故一人なのですか?」


 木のスプーンですくった人参をふぅふぅ冷ます。


「こんな冬の中なら、誰か人の助けがあった方が良いのでは?」

「……こんな雪の中を過ごす奴らに、他の誰かを助けようなんていう奴はいねえよ。半端に助けたら、相手だけじゃなく、自分まで死ぬような所なんだ」


 轟々と雪が降っている。

 冷えたアーサーの体を思い出す。

 簡単に人の命など奪えてしまう雪の中は、自分以外のモノを見えなくする。


「そんなに大変なのに、私たちを助けてくださり、ありがとうございます」

「良いんだよ。元々、迷った奴らの為に食料は多く備蓄してるんだ」

「優しいんですね」


 なんの飾り気もない言葉にオークリーは顔を赤くすると、「食べ終わったら、あいつの所にも運んでやれ」とシチューを食べながら言った。

 やはり優しい。

 寒さとは真逆の感情は、とても温かい。


 温め直したシチューを器によそい、アーサーの下へ行く。

 扉を開けると、規則的な寝息が聞こえてきた。


 傍に行き、額に手を置く。熱はだいぶ下がったようで、明日の朝にはすっかり下がっているだろう。

 起こそうか悩んでいると、アーサーがじわりと目を開ける。


「リセロット……」

「大丈夫ですか、アーサー。ご飯、食べれます?」

「……うん」


 のそりと体を起こしたアーサーの口に、スプーンですくったシチューを寄せる。

 

「自分で食べれるよ、リセロット」

「では、どうぞ」


 スプーンを手に持たせるが、アーサーの手が震え、皿に盛られたシチューの上に落下した。

 

「ごめん」


 項垂れるアーサーを慰める。


「こういう時くらい、頼ってください」


 差し出したスプーンを見つめてから、パクリ、とアーサーがシチューを食べた。


「早く元気になってください。博士の下まで、あと少しですし」


 知らず知らずのうちに、リセロットの頬が緩む。


 刹那、アーサーの表情が凍りついた。


「アーサー?」


 応える代わりに、リセロットの肩に手を置いた。

 異変を感じ取ったリセロットが、シチューを床に置き、アーサーの手に自らのを乗せる。


「どうしたのですかアーサー、なにか変です――」

「ごめん、リセロット」


 リセロットの呼吸が止まる。

 アーサーは顔をくしゃくしゃに歪め、涙を流していた。


「ごめん、ごめんなさい。博士の死体は、もう何処にもないんだ」

「……? どうしてそんなことが分かるのですか」


 嗚咽を上げるアーサーの体を揺さぶれば、「ごめんなさい」と彼は繰り返す。


「俺は、隣国の人間なんだ。冷たい、寒い国で、生まれたんだ」


 段々、涙で言葉は不鮮明になる。

 だけど確かにリセロットには聞き取れ、目の前が真っ暗になった。


 ――俺が、博士を殺したんだ。

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