17
「今日は野宿ですね」
「うん。ここら辺が丁度良さそうだね」
森の中、草が丁度良くふかふかと生えている所で腰を下ろす。
「じゃあ、木の枝を集めに行こうかリセロット」
「はい」
水分の乾いた木の枝を集める。
集めたそれを、草が生えていない地面の一箇所に積み、小型の着火用魔道具を使い火を付けた。
火を囲みながら、あの町を出る前に買っておいたパンを頬張る。チーズを乗せ火に近づけ炙れば、とろけて伸びた。
「なんだか、野宿も久しぶりですね」
「そうだね。今回は長く滞在したから。……寒くなってきたな」
「北に向かって進んでいますから。その為の服も買ったでしょう?」
トランクを指させば、アーサーもチーズパンを食べながら「たしかに」と呟いた。
それから満天の星を見上げる。
「俺、リセロットに教えてもらったから星の名前分かってきたよ」
「博士が教えてくれたことを、そのまま言っているだけです」
アーサーは草に寝転び、指で星を追う。
その隣でリセロットも転がり、冷えた空気を吸いながら冬の訪れを感じていた。
しっとりと頬に吸い付くような寒さは、少しだけ誰かの体温が欲しくなる。
アーサーの手を繋げば、彼が感極まったように星を見るのを止めた。
「好きだよ、リセロット」
「どうして?」
「え」
拒否を示すのではなく疑問で返され、アーサーは言葉を失った。
「どうして私が好きなんですか? 話したことだって、会ったことだってないのに」
「え~とね、なんていうのかなあ。言葉には上手く出来ないや」
星空を映していた瞳が、リセロットの姿を映す。
「リセロットのその瞳が好きだよ。蔑んだ瞳で、君は僕を見なかった。それが、とても嬉しかったんだ」
「良く分かりませんね」
「あはは」
体を起こしたアーサーは、不意にリセロットに覆い被さった。
「おやすみ、リセロット」
ちゅ、とリセロットの頬に温かいものが触れ、すぐに離れた。
頬を手で押さえる。
アーサーはにっこり笑った。
「リセロットのほっぺは冷たいね」
やけにその淡く色づいた唇に注視してしまう。
起き上がって上着を着込むアーサーを、体を起こした彼女はまだ額を押さえながら見つめる。
「……根に持ってたんですね」
「あ、分かった?」
軽く答えられたが、その瞳は笑っていなかった。
着込み終わったアーサーが、緩く手を振る。
「じゃあね、おやすみリセロット」
頬にする親愛のキスは、本で憶えた内容だったのだ。
博士はする前に行ってしまったから一度もしたことはなかった。
だけど親愛を表すのだから、今しかないと思いレイラにした。
アーサーの規則的な寝息が聞こえる。
リセロットは膝を抱えながら上を見上げた。
彼女の夜は、ここから始まる。
◇◇◇
野宿をする時には、見張り人を作らなければいけない。獣や盗賊に襲われるのを防ぐ為だ。
リセロットは買って出た。睡眠という概念はあるが、それを彼女は必要としていなかったからだ。
リセロットにとっては、これ程の適任はいないと自負している。
だがアーサーは、役目をリセロットだけに押し付けることを拒んだ。
「俺も代わり番こでやるよ。女の子だけに任せられないからね」
「そうですか?」
そして一晩アーサーが見張りをした日の朝。
んー、と起きたリセロットが体を伸ばす。
彼の方に目を向けると、ぼんやりと空を見ているアーサーがいた。
「アーサー……?」
「あっ、リセロット。おはよう」
「おはようございます」
それからも時折こんな表情をしていたから、とある日尋ねてみれば言われた。
「なんか、寒くて、毛布に包まって、だけど寒くて、眠れなかったことも思い出した」
これは駄目だ。なにか深淵を覗いてしまった気がする。
そう思ったリセロットは説得し、早々にアーサーはお役目御免となった。
リセロットは星々を見上げる。一日中起きていることは特に苦痛でもなんでもない。
あの言葉たちが、またひょっこり姿を現すだけだ。
――誰か、私を
普段ならそこまでがグルグルと繰り返されるだけなのに、今日はその言葉の続きが紡がれた。
――誰か、私を見つけてください
息を呑みながらも、リセロットは腑に落ちている自分がいた。
博士が誰かとリセロットを重ねていることなんて、気づいていた。
だけど、その誰が似ているかという点については無視していた。
女将に出会わなければ、誰かとは誰なのか、残りの稼働時間知ろうともしなかった。
「お母さん、か……」
博士の優しい笑みを思い起こす。
そして疑問が浮かんだ。
リセロットは博士に、母親としての姿を求められただろうか。
命じられれば出来た筈なのに、彼はそれをしなかった。リセロットに勘付かれたくなかったなら、リセロットの自立思考の部位を作らなければ良かった。
でもそうしなかった。
リセロットは博士にとって、なんだったのか。
――誰か、私を見つけてください
見つけて貰えれば、この問いにも答えが見つかるのだろうか。
思考の縁からそっとまぶたを上げたリセロットは、アーサーを盗み見た。
すやすやと健やかな寝息を立てている。
髪に指を通すと、サラサラと金髪が流れていく。
さっき頬にキスされたことを思い出した。
なんだか胸がざわざわして落ち着かない。
良く寝ていることを確認した。
鼻を指先でつついても、僅かに眉を顰めるだけで起きる気配はない。
身をかがめたリセロットは、アーサーの滑らかな肌に唇を押し当てた。
すぐに体を離し、空に浮かぶ瞬きを数える。
博士と昔、一緒にやったのだ。
「……レイラの時と、やっていることは同じですのに」
首を傾げる。
今日はいつものように集中できなかった。
◇◇◇
「おはよう、リセロット」
「おはようございます」
朝目を覚ましたアーサーは、ふわふわと笑いながらリセロットに挨拶をしてきた。
身を起こしたアーサーは、草の上に膝を抱え座っていたリセロットの隣に来ると、彼女の頬にそっとキスをした。
「おはよう」
「…………」
なんだろう、この余裕綽々の笑みは。
怒りを会得済みのリセロットは、腹の底から沸き上がってくる熱を感じた。
「じゃ、行こうかリセロット。ほら服着て」
もこもこの服を着させられ、厚いマフラーもグルグルと巻かれる。
「よし出来た! いっぱい服着たリセロットも可愛いなあ」
ニコニコ笑うアーサーの頬を見つめる。
「アーサー」
「うん?」
リセロットは巻かれたマフラーを指で下げ、唇を出した。
アーサーの頬にそっとキスをする。
唇を離してマフラーを上げる。
アーサーは暫く頬に手を当て呆然としていた。
「……リセロットっ」
「さ、行きましょう」
瞬間、熟れたベリーのように顔を赤くしたアーサーに、満足気に笑いリセロットは歩き出す。
空には、真っ白な切れ目のない雲が広がっている。
それは雪の訪れを告げていた。
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