16
レイラのお話です
とある言葉を、ずっと覚えている。
『私、レイラとお友達になれる日を、楽しみにしています』
今、自分は頑張れているのだろうか? そう自問自答しながら、彼女が侯爵夫人になってから五年の月日が流れていた。
◇◇◇
「お義母様、今日はチョコレートのケーキを作って貰いましたのよ」
「……あらそう。最近頂いた紅茶と合いそうね」
バーナードと同じ黒髪のレイラの義母は、メイドに茶葉を指定する。
「おかあさま。僕もたべていいですか?」
三歳の息子であるノアがトテトテ歩いてきて、レイラは勿論よと息子を抱きしめた。
レイラはチラリと義母を見上げる。
最初は厳しい人だった。
少しでも失敗すればネチネチ言われるし、扇子をビュンビュン振り回す姿は怖い。
だけどレイラに不当な扱いを強いることはなかった。
これは、レイラが頑張らなければ知ることが出来なかっただろう。
紅茶を飲みながら、義母――グレイスは面を上げる。
「随分、ここでの生活も慣れたようね」
「お義母様たちのお陰ですわ」
「まあ、含みを感じる言い方ね?」
ふっとグレイスが笑う。
その笑顔がレイラは好きだ。澄んだ湖のように涼やかで、いつまでも見ていたくなる。
そこで屋敷の奥から誰かやって来た。
振り向かなくとも分かる。バーナードだ。
「レイラ。今話をしても良いだろうか」
「バーナード、私とレイラさんでお茶しているのが見えないの? 無粋よ」
「お義母様、わたくしは大丈夫ですわ。それでバーナード、用というのはなにかしら?」
母親に弱いバーナードは、グレイスの言葉にたじろいだ後、レイラの微笑みを見て頬を緩めた。
その笑みを見て、やはり二人は親子だなとレイラは思う。少し違うのが、グレイスの笑みが冬の湖だとするなら、バーナードは春の湖という感じがする、というくらいである。
逆に厳つい顔の義父であるローガンは、荒々しい山という感じだ。
綺麗なグレイスと強面のローガン。意外や意外、仕留めたのはグレイスの方らしい。
今でも二人仲睦まじく暮らされている。
ふと、レイラは自分の父を思った。
結婚式の日。父はレイラに言った。
「お前を、ずっと愛しているよ。幸せにおなり」
ここでレイラはプッチーンとしてしまった。しょうがない。生来彼女は勝ち気な性格なのだから。
清純なるウエディングドレスを来たまま腰に手を当て、レイラは父を指差す。
「わたくしは、お父様なんて嫌いですわ!」
「な……!?」
「だって、わたくしをすーぐ後継者から外しましたし!」
「い、いや、お前には、領地の経営より好きな人と暮らしてほしいと思ってな……」
「はあっ!? そう思うならどうして次の結婚相手がバーナードなのよ! あの家とは対立していましたのに!」
結婚式の一週間前に、ようやく敵前逃亡を図らない程度ぐらいにしかなれなかったというのに。
父が指と指を合わせツンツンしている。
可憐な花嫁はヘドロ食べさせられたみたいな顔をした。
自分の父がする可愛いポーズ程、気味の悪いものはない。
「いや、あの家と対立していたのは、代々目玉焼き派かゆで卵派で揉めたからで、今はオムレツで話は終わったんだ! それに……バーナード君がレイラと結婚したいと懇願するから……」
「なんですってぇ!?」
そこで今日一番の大きな声が響いた。鳥がバサバサと数羽飛んでいく。
「初耳ですわよ。そういうことは、もっと早く言ってくださいまし?」
「ごめん」
ひたすら体を小さくさせる父に、レイラはなんだか肩の力が抜ける。
父とこんな風に話すのは、母が存命だった時以来だった。
父は変わってしまったと思った。自分のことを、道具としか思っていないと思った。
だけど父は、変わらないままだった。
口元に僅かに笑みが浮かぶ。
きっともう少しでバーナードは来る筈だ。昔から自分のことが好きだったのか、と揶揄うのは後で構わない。
だから今は父に向き合おう。そして言ってやるのだ。全身全霊の恨み辛みを。
「わたくし、お父様のこと大嫌いですわ。すぐ勝手に、わたくしの意思を無視するんですから」
「うっ、ごめん……アイヴィにも良く怒られていたのに……。本当にすまない、レイラ」
レイラは眉をキッと上げて。
それから柔らかくした。
「でもやっぱり、また大好きになりたいですわ」
「レイラ……」
「だから、結婚しても、また会いに言って良いですか?」
父がホロリと涙を零した。
「ああ、いつでも帰っておいで。それに僕も、レイラの元にラオリーと一緒に行くよ」
「……ええ、待っていますわ」
それから、時たまレイラはバーナードと一緒に家に帰る。
ラオリーとは最初話が弾まなかったけど、バーナードが仲介してくれ、段々仲良くなっていった。
「ありがとう、バーナード」
「好きな子の為になにかするのは、男の名誉だ」
「あらあら」
昔茶会で出会い、その時にレイラに一目惚れしたらしいバーナードからは、こうして愛を囁かれている。
そうぼんやり考えていると、バーナードに名を呼ばれた。
はっと意識が浮上する。
バーナードがレイラを心配そうに見つめ、グレイスは呆れた顔をしていた。
「あら、ごめんなさい。もう一度言ってもらってもいいかしら?」
「ああ。レイラ、来月に王城で夜会が開かれるのだが、それに私たちも参加することになった。王から直々に招待状を頂いたんだ」
「まあ、それはお義母様とお義父様だけでいく予定だったものですわよね?」
グレイスが頷いた。
「ええ、まだ爵位を譲っていないもの」
「一体、なにを考えているのだろうか……」
レイラの胸中に、不安が広がった。
チョコケーキを頬張るノアの隣で、レイラは紅茶を飲みながら祈る。
どうかこの幸せだけは、奪われませんようにと。
◇◇◇
夜会当日、四人で馬車に乗り込んだ。
ローガンとグレイスは、ローガンの瞳の色である深緑色を基調とした装いで美しい。
レイラとバーナードは、レイラの瞳の色である青で纏めている。
「いい、レイラさん。今この中で一番弱いのは貴女よ。それを良く理解し、一人にはならないようにね」
「ああそうだ。なにが起こるか分からないから、気をつけてね」
厳つい見た目とは裏腹に柔らかい声音のローガンに微笑みかけられ、レイラは頬を緩める。
そうしていると、唐突にバーナードが腰に手を回した。
「大丈夫です。私はレイラの下を離れたりしませんから」
「あらまあ、お熱いことね。……ローガン、あれ、私にもやってちょうだい」
「えっ」
馬車の中を笑いが満たした所で、王城に着いた。
先にグレイスたちがその後をレイラたちが続く。
一体なにが待ち受けていのかと、レイラはゴクリと喉を鳴らした――
「って、なにも起きないじゃない!」
「レイラ、お酒は止めた方が良い。君は強くないのだから」
「……ありがとう」
大人しくグレープフルーツジュースをもらう。
レイラの可愛い息子は、今頃どうしているのだろうか。子供好きな御年八十二歳の執事がいるから大丈夫だとは思いつつも、少し不安になる。
グレープフルーツジュースを飲みながらバーナードと話していると、目の前に王女がやってくる。
金髪の彼女は、王に甘やかされ生きたせいか少々傲慢で残念な頭というのは、社交界に出ている者にとっては周知の事実だ。
「お久しぶりです、お茶会ぶりですね、ポピー王女殿下」
「レイラ様っ、もう、バーナード様を解放してあげて! 私もう見てられない!」
夜会に響き渡るキンキンとした声で、ポピー王女が叫んだ。
顔を顰めるレイラの横で、バーナードも眉を寄せている。
「一体、なんの話でしょうか……?」
「私知っているのよ? レイラ様がバーナード様と無理やり婚約を結んだこと!」
ポピー王女は、瞳に涙を溜めた。
「可哀想なバーナード様。いつもレイラ様に扇子で殴られていると聞いていますわ」
どちらかというと、グレイスにレイラがやられている。
レイラはため息をついた。
息子のノアを連れてこなくて良かったと心の底から思う。情操教育に良くない。
「お父様からも許しを頂いているわ! レイラ様とバーナード様を離婚させると! これで貴女はもう終わりよ!」
王が急にレイラたちを呼んだのはそういうことだったのか、とレイラは納得した。
それから、ピラピラと掲げられたレイラとバーナードの婚約破棄の旨が書かれた手紙を見て、顔を歪ませる。
レイラは頑張ったのに、また理不尽に奪われてしまうのだろうか。
そんなのは嫌。
レイラが頑張って作りあげた今は、誰にも譲りたくない。
「――ポピー王女殿下。わたくし、頑張るって決めたんです。だから決して、この場所は譲りませんわ」
「……っ、生意気!」
ポピー王女が手を振り上げた。
レイラの頬に向かって振り下ろされる手を、バーナードが掴む。
「勝手なことは辞めていただきましょうか」
「い、痛いわっ」
手を握りしめながら、レイラが肩を上下させていると、横にグレイスとローガンが並んだ。
「良く言ったわ、レイラさん。そういう心意気、私は好きよ」
「それにしても、さすがにおいたが過ぎるね」
グレイスが扇子を閉じた。空気を切る音がする。
「ねえ王女殿下。こんなことをしでかしたからには、覚悟があるのよね?」
「か、覚悟……?」
「レイラさんのように、いえレイラさん以上の振る舞いをする覚悟よ」
グレイスが扇子でポピー王女の顎を持ち上げれば、彼女は顔を真っ青にした。
「ひっ」
「あら? この程度で竦み上がるなんて、だらしないわね」
バーナードがレイラの腰を抱き、宣言する。
「レイラ以上の人なんて私にはいないんだ」
「バーナード」
「好きだ、レイラ」
「……わたくしも」
「貴女たち、そういうのは後でやってくれる?」
グレイスに突っ込まれ、レイラは口を閉じた。
その間に、王がやってくる。
王の隣にはローガンがいて、いつもの温和な感じとは違い眼光を利かせている。
「こ、此度のことは誠に申し訳なかった。婚約破棄は無しだ!」
「おやおや、陛下。これだけのことをして、それだけで終わりなのですか?」
ローガンが呟けば、王が汗をダラダラ垂らしながら「いやいや!」と叫んだ。
「ポ、ポピーは北の修道院で一生を過ごさせる!」
「……っ、嫌よお父様! 私、バーナード様が好きなだけなのに!」
「ええい、黙っておれ! 元からわしは反対していたというのに……!」
そして、衛兵にポピー元王女は連れて行かれた。
婚約破棄の紙をビリビリと割いたグレイスが、レイラを催促する。
「こんな所に長々と滞在する必要はないわ。――それでは皆様、ごめんあそばせ」
ローガンの腕に手を乗せる彼女を見て、レイラもバーナードにそうする。
そうして馬車に乗り、王城を後にした。
馬車の中で、レイラは頭を下げる。
「先ほどは、ありがとうございました」
「あら、なんのことかしら」
「わたくしを信じてくれたことですわ」
バーナードが瞳を緩めた。
いや、バーナードだけじゃない。グレイスとローガンも、レイラを優しく見つめる。
「私たちが凄いのではない、レイラ。君が頑張ったからだ。レイラがこの地位を築いたんだ」
「私に対して諦めず食らいつくような姿勢、高く評価しているわ」
「最初は僕も怖がられないかって不安だったけど、レイラさんは構わず話しかけてくれるから、嬉しかったんだよ」
温かい言葉がレイラに降り注ぐ。
不意に泣きそうになって、だけど義母の教えを思い出しレイラはぐっと堪えた。
そして思った。
彼女に会いに行こうと。ようやく、会いに行けるような気がしたのだ。
◇◇◇
あの日彼女に教えてもらった森の中を、バーナードと息子と一緒に進む。
光が降り注ぐ道を歩いていれば、ポツンと小さな家が見えてきた。
数回扉を叩けば、ゆっくりとドアノブが回る。
現れた彼女は、昔と変わらなかった。
レイラは涙が溢れそうになるのを押さえながら、彼女に笑いかける。
「久しぶりね。今日は、貴女とお友達になる為に来たわ」
彼女の紫色の瞳が見開かれた。
レイラは、はっと息を呑む。
彼女は、レイラに花が綻ぶような柔らかい表情を向けた。
――そう、そうなのね。頑張ったのは、わたくしだけじゃないのね。
その事実に嬉しさを感じながら、レイラはたった一人の友達に招かれながら家に入った。
積もる話は沢山あるのだ。
ねえ、五年間貴女はなにしてた?
ねえ、今、幸せ?
わたくしは幸せよ。貴女に会えて、皆と会えて、とっても幸せ。
あら、貴女も今すっごい幸せなの? ……そんな気がしてたわ。分かるのよ。だってわたくし、貴女の友達だもの。
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