14
――二度、博士に尋ねたことがあった。
一度目は、十三歳の少女型の時。
初めに博士が帰ってこなかった日。
探すこともせず淡々とご飯を作っていれば、夜がとっぷり更けてから博士が帰ってきた。
「おかえりなさいませ、博士」
「ちょっと、どうして探してくれないのさリセロット! 迷子レーダー付けてるから、僕の居場所分かってたでしょ?」
「どうして、探す意味が? 博士がいた場所は、博士が一人で帰ってこれると判断できる位置です」
博士はもういい大人なのに、子供のような表情でむくれる。
「だとしても、家にずっといる僕が三時間もどこか行ってたんだよ!?」
「はあ……?」
必死に説明するが、いまいちピンと来ていない様子のリセロットに、悲しそうに博士は肩を落とした。
リセロットには、帰ってこれるのに帰ってこないという感覚が分からないのだ。
「うう、次は探しに来てね?」
「………………会得しました。はあ」
「あ、今面倒くさそうにため息ついたね。探してね。絶対だからね」
コクリと頷けば、博士はようやく満足そうに笑った。
それを見ながら、リセロットは首を傾げる。
「何故博士は、私に迷子レーダーを付けたのです?」
博士はその水色の瞳を二、三度パチパチさせた。
「それはもっちろん、僕を見つける為だよ」
そういうことをリセロットは聞きたい訳ではない。
何故博士を見つける必要があるのか、それを知りたいのだ。
「――博士」
「次はどこで待とうかなあ。あ、今回はベリーが実っている所で待ってたんだよ。はい、お土産」
リセロットの手に布で包んだモノを乗せられる。
解いてみれば、中から赤く熟れたベリーがコロコロと出てきた。
その一つを博士がつまみ、リセロットの口の中に入れる。
その行動は、リセロットからの言葉を拒んでいるようだった。
「ほ~ら、甘いだろう?」
もぐもぐと咀嚼しながら頷けば、博士は満足そうに「さ、今日のご飯はなにかな」と、かき混ぜている途中だった鍋を見に行った。
「わ、僕の大好きなシチュー! さっすがリセロット、僕のこと分かってるう!」
「偶然です。それで、どのくらい食べますか?」
「うーん、ベリーを食べちゃったから、いつもより少なくていいかな」
「かしこまりました」そう相槌を打ちながら木のスプーンでシチューをすくう。
リセロットからシチューを受け取った博士がスキップをしながらテーブルに向かう様を、リセロットはじっと見つめていた。
◇◇◇
二回目は、大粒の雨が降りしきる日だった。
リセロットは十五歳で、博士が戦争に赴く二ヶ月程前の日のこと。
博士がいなくなった。
いつものことだ。だけど雨の日にいなくなるのは初めてだった。その日は朝から降っていたから、雨が降ると思っていなかったとは考えづらい。
魔法人形は雨に濡れても問題ない。
リセロットは、博士を探しに行くことにした。
迷子レーダーが示したのは、ベリーが実る所でも、寝転ぶのが好きだと言っていた野原でもなかった。
森の入り口だった。
パシャパシャと、雨でぬかるんだ地面を踏みしめる。
博士はリセロットと違い弱い。このままでは風邪を引くだろう。その前に迎えに行かなければ。
ピコーン、と音が鳴る。近くにいるのだ。
どこ。一体博士はどこ。
そしてリセロットは見つけた。
森の入り口で、木の幹に寄りかかって座っている博士を。
「見つけましたよ、博士」
やまない雨はリセロットを、そして木の葉の間から零れ落ち、博士をも濡らす。
座り込んだ博士の茶髪も白衣も、ぐっしょりと濡れていて肩は僅かに震えていた。
「……何故わざわざ今日迷子になったのです。いえ、そもそもどうして博士は迷子になるのです」
手を伸ばせば、顔を俯かせたまま博士がリセロットの手を握る。
ゆっくり顔を上げた。
彼は、迷子の顔をしていた。
「迎えに来てほしいから」
雨で濡れた顔は、泣いていると錯覚させた。
リセロットはかける言葉を失う。
どれだけ探っても、良い言葉を選べない。
「……博士。私は迎えに来ましたよ。これで、満足ですか?」
水色の、水分を多分に含んだ瞳が揺れた。
瞬間、リセロットは言葉選びを間違えた、と分かってしまった。
暫くリセロットを見た後に、博士はゆっくり笑う。
一見すればいつもと同じ笑みだけど、いつもよりずっと静かな笑みだった。
「うん」
「そうですか。では帰りましょう」
「うん」
「今日は博士の好きな、シチューです」
「うん」
よろよろと立ち上がった博士の手を引く。
博士はずっとリセロットの目を見ない。
ただ意味のない言葉を繰り返しながら、時折、森の入り口を見ていた。
翌日博士は風邪を引いた。
ミルクパン粥を口に運び、額に乗せるタオルを時折濡らし直しながら、リセロットは淡々とお世話をする。
その時博士は、顔を真っ赤にしながら、なにかをずっと呻き続けていた。
◇◇◇
「博士はよく迷子になり、それを見つけることを私に求める。ある日その理由を尋ねたら、博士は言ったんです。迎えに来てほしいからと」
日が沈んだ、夜の大通りを歩く。まだ人で賑わっていて、辺りは明るい。
「迎えに来てほしい……?」
「はい。当時の私には、分かりませんでした。私はマスターである博士に、迎えに来るよう言われていて、それは命令と同義です」
アーサーは、真っ直ぐに前を見据えるリセロットの話に耳を傾ける。
「であるならば、私が来ることは必然です。それは博士も分かっている筈」
そこでようやく、リセロットの足が止まった。
宿に帰ってきたのだ。
だがリセロットは宿には入らず、そのまま話し続ける。
「なら博士には、迎えに来てほしかった人がいたんでしょう。その人に私を重ねて、いえ、その人がすべきことを果たさせる為に、私は作られた」
ずっと不思議だった。
それはリセロットを博士が作った理由。
ようやくその答えが分かった。
博士は、リセロットを作ってから迷子レーダーを付けたのではない。
迷子レーダーを付ける為に、リセロットを作ったのだ。
「では、博士が迎えに来てほしかった人とは、一体誰だったのでしょうか」
リセロットは思い起こす。初めて笑った日のことを。
「私の笑顔を、博士は『初恋の子に似てる』と称しました」
「え、そうなんだ……?」
若干引いた様子のアーサーに、静かにリセロットは首を振る。
『好きな子』というのは、博士がその場で思いついた苦し紛れの嘘だった。
迎えに来てほしい人とリセロットのは笑顔似ていたから、油断すればその名を言ってしまいそうになったのだろう。
リセロットに迷子レーダーを付けるような、回りくどい博士は、リセロットがその人物の名を知ることを避けたかった筈だから。
「でも多分違います。博士は幼い頃からあの森に住んでいると、いつかの日に聞かされました。そんな博士に、女の子との出会いなどある筈もありません。そもそもが、研究にのめり込んでいるような人でしたし」
リセロットの抑揚のない言葉に、アーサーがなにかに気づいたように顔を険しくさせた。
「幼い頃から……?」
「はい。幼い頃からいた理由は、聞かされていません。ですが可能性として考えられるのは二つ。一つ目は親が元々あの森に住んでいた。二つ目は――」
「親が、森の前に捨てた?」
リセロットの言葉をアーサーが引き継ぐ。
指を二本立てながら、リセロットはコクリと頷いた。
「可能性として高いのは、二つ目。博士はずっと待っていたんです。――親が自分を、迎えに来るその日を」
けれど来なかった。だからリセロットを作った。
寂しさを埋める為に。自分を迎えに来てもらう為に。
リセロットが宿の扉を押した。
「博士の親は、私と似た姿になるよう作られた筈です」
笑った時に目じりに寄るシワの数。
話し方の癖。
どんな風に感情を表すのか。
博士にかける言葉の数々。
それら全てを忘れていても、自分を優しく見つめる瞳の色と、自分と同じ髪の色は憶えていた筈だ。
「誰なのか、ずっと分かりませんでした。だけど今日の朝、鏡で私の姿を久しぶりに見て、ようやく重なったんです」
宿に入れば、テーブルを拭き上げる女将の姿があった。
リセロットたちの存在に気づくと、紫色の瞳を細め、白髪混じりの茶髪を耳にかける。
「あら、おかえりな――」
「私と似ていたのは、貴女でした。女将さん、いいえ、博士のお母さん」
彼女の目が見開かれた。
それから、テーブルを拭いていた布巾を置き、リセロットたちを見つめる。
いつも元気な女将とはかけ離れた、ぼんやりとした瞳をしていた。
「博、士。何故その名前を……貴女たちは、一体……?」
リセロットは自分の胸に手を当てた。
「私は、今は亡き博士の作った、魔法人形です」
リセロットの瞳にはゆらゆらと炎が揺れている。
彼女は間違いなく今、怒っていた。
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