13
ずっとずっと、鬱屈とした想いを抱えていた。
弟を憎んで、父を恨んで、婚約者を選んで。そして自分自身をも恨んで生きてきた。
「はあっ、はあ……っ」
足がもつれて転びそうになる。
普段走ることなんてないせいか、足がじんじんとして痛い。
もう破落戸たちは追ってきていない筈だ。
だけどレイラの足は止まらない。
脳裏に浮かぶのは、自分を逃がしてくれたリセロットのこと。
今日一日、久しぶりにレイラは大きな声を出した。
初めて町で飲み食いをした。
とてもとても、楽しかった。
涙がボロボロと頬を伝う。
友達にはなれないと言われた。
もうレイラにはなにもなくて、なにもあげれないのに。
これから、針のむしろに立たされ、子を産み両家の和平の象徴となるだけの人生に支えが欲しいだけだったのに。
それすら閉ざされた。
嫌い。やっぱり嫌い。リセロットなんて大嫌い。
――レイラ
でも、と考えながらもレイラの足は止まらない。もう息切れで喉からは血のような味もするのに、人を掻き分け走り続ける。
あの、優しい鈴の音のようなリセロットの声が好き。
様を付けずに名前を呼んでくれた所が好き。
親しく触れてくれたリセロットの細い指が好き。
顔は無表情なのに、意外とわかりやすいリセロットが好き。
自分が犠牲になれば良い、と考えるリセロットは嫌い。
でも、優しいリセロットが好き。
今でもお友達になりたい。
だから、その為に無事でいてもらわなければ。
レイラはようやく、目的の人を見つけ出した。
黒い騎士服の――自分が今まで拒み続けていた婚約者の前に出る。
バーナードは黒い瞳を見開いた。
「レイラ様! 一体今まで何処に――」
「バーナード、お願い、助けて欲しい子がいるのっ」
一度もやったことなどない礼をする。頭を必死に下げた。
「わたくしを逃がす為に、自分が、わたくしを襲おうとした男たちの中に残って……。お願い、お願い」
涙がポタポタと石畳を打つ。
「助けてください……っ。今まで、貴方を避けてきたわたくしが、虫の良いことを言ってるのは分かってるわ。……だけど、その子を、どうしても、助けたいの。お友達になりたい子なの。お願いします。助けてください」
「お願いします。助けてください」を繰り返す。
目をぎゅっと閉じただひたすらに願えば、バーナードの手がレイラの肩に触れた。
「レイラ様。今すぐその方の場所を教えてください。おい、お前はレイラ様の護衛を頼んだ」
「はっ」
レイラはゆっくりと顔を上げた。
涙で滲んだ視界で、バーナードが優しく笑っている。
「助けて、くれるの……?」
「勿論です。私は騎士であり、そして、レイラ様の夫となるのですから。だからもう、頭を下げるのは辞めてください」
「……っ、ありがとう。ありがとう!」
レイラがリセロットの元へ走ろうとする。
もう足もプルプルで限界だが、ここに残ったままの方が嫌だった。
「レイラ様はここに残ってください。私が行きます」
「嫌よ。わたくしのせいで、リセロットが怖い目に遭っているんだもの!」
「そうですか……」
困ったように眉を下げたバーナードが「では失礼します」と呟いてからレイラを抱き上げた。
「掴まってください」
「え、ええ……」
顔を赤くしながら、レイラはリセロットがいる方をバーナードに伝えた。
◇◇◇
三人気絶させた。
だが前から後ろから来られる為に、リセロットは上手く出来ずにいた。
「俺らの獲物を逃がしやがって! 殺してやる!」
前方から、男がナイフを構え走ってくる。
それを刃に触れないように掴んで押さえて入れば、後ろからもう一人きた。
「……っ」
「リセロット!」
そこでアーサーがやって来た。
アーサーが投げた石がリセロットの後ろの男に打つかり「ぐうっ」と男が額を押さえる。
その間にリセロットはナイフを掴んでいた男の手を掴み、腹に蹴りを入れる。男は地面に倒れこんだ。
「ごめんリセロット。危険な時側にいなくて」
「いえ、大丈夫です。ですからアーサー、隠れていてください」
「なに話してんだよっ!」
リセロットがアーサーに隠れるよう促していると、殴りかかられる。
反応が遅れたリセロットは目をキツく閉じるが、音はすれども痛みはこない。代わりに温かいモノで包まれる。
不思議に思い目を開ければ、アーサーがリセロットに覆いかぶさっていた。
「アーサー……?」
「ごめんね、リセロット。俺弱くて」
ズルリと体が落ちるアーサーを支えながら、リセロットは殴りかかってきた男を蹴り飛ばす。
「アーサー、アーサー。目を覚ましてください」
抱きしめ、周りを警戒しながら声をかけ続ける。だけどぐったりと目を閉じたアーサーはなにも答えない。
冷たい汗がリセロットの背中を伝う。
どうしよう、どうしようと頭を抱えていれば、「ぎゃあっ」と声がした。
大通りに繋がる方の道へ目を向ければ、そこにはバーナードがいた。後ろにはレイラもいる。
バーナードが走り出し、それからあっという間に全員を伸した。
「お嬢さん方。遅くなって誠に申し訳ない」
「いえ、助かりました」
「そちらの男性は――って、ああ。さっきの射的屋の方か」
リセロットはコクリと頷く。
未だにアーサーは目を覚まさない。
「軽い脳震盪か。もう少ししたら、目を覚ますかと」
「そうですか。……良かった」
アーサーを壁によりかからせるように座らせる。もう一人の騎士は破落戸たちを縄で縛っていた。
髪が乱れたな、と薔薇などを挿し直していると、バーナードの後ろからレイラが出てきた。
「リ、リセロット……」
「レイラ、ご無事なようでなによりです。助けを呼んでくださり、ありがとうございます」
「いいえ、謝らなくちゃいけないのはわたくしの方よ。怖い目に遭わせて、本当にごめんなさい」
肩を寄せ身を縮こませるレイラを、リセロットはホコリをはたきながら見つめる。
「……レイラ。私がさっき言ったことを覚えていますか?」
「え。……今のわたくしとは、仲良く出来ない、よね?」
レイラが目に涙を溜めたので、リセロットは慌てて首を横に振った。
「違います。その後の『レイラが私に求める友達の定義は、ズレています』の方です」
「……どちらだって、同じ意味でしょう?」
「いいえ」
レイラの震える手をそっと取る。
「私が思う友達の定義とは、対等なことです」
「…………」
「どちらか一方だけが、という関係は、隷属と呼びます。友達ではない」
レイラが小さく項垂れた。唇を噛み締めている。
「知っていますか、レイラ。迷子は一人では出来ないのです。見つけてくれる人、帰れる家があって初めて、迷子になれるのです。だから、レイラは頑張らないといけません。今のレイラは、迷子ですらない。ただの駄々っ子です」
「……っ、頑張ったわ! 頑張ったに決まってるじゃない!」
レイラが叫ぶ。
「わたくしのこと、リセロットはなにも知らないじゃない! 勝手なこと言わないでちょうだい!」
「ええ、知りませんよ。――ですが、レイラはまだ生きなきゃいけません。長い長い人生を、生きるのです。その為には、水をせき止めるように留まるだけでは駄目なんです。前に進まなくては」
「なんでよっ、偉そうに言わないで、リセロット! そんなこと言う権利、リセロットにあるの!?」
レイラが顔を歪め、真っ赤になりながら声を荒げる。
だが、リセロットの瞳はついとも揺らぎはしない。
「お友達になりたいからです。今のレイラとは、お友達になれませんから」
「……っ」
「頑張って、生きて。そして、本当に対等な立場になれたら、その時に正式なお友達になりましょう」
「約束です」とリセロットが頷く。
レイラの瞳が揺れる。
顔を歪めて――それからゆっくり、顔を綻ばせ頷いた。
「――ええ、約束するわ」
「私、レイラとお友達になれる日を、楽しみにしています」
とびきり素敵な笑顔に、リセロットも目を柔らかくさせる。
それからレイラは、バーナードに向き直った。
「バーナード! そういう訳で、もうわたくしは逃げないわ。……だから、よろしくね」
目をぱちくりとさせたバーナードは、顔を緩めた。
「はい」
「あと、様も要らないし敬語も要らないわ」
「……ああ、わかった。改めてよろしく、レイラ」
バーナードがレイラの手を取り、そっとキスをする。
レイラは最初目を見開いていたが、じわじわと理解したのか耳まで真っ赤になる。
「……っ、わたくし、ちょっとアーサー様の様子を見てくるわ!」
そう言って、バーナードを振り払いレイラは騎士が介抱するアーサーの元へと行った。
リセロットとバーナード、二人きりになる。
バーナードが話を切り出した。
「――すみません。貴女に一つ、伺っても?」
「一体なにをでしょうか?」
「あの青年についてです。彼は、誰なのですか?」
バーナードの問いに、リセロットの頭には疑問符が浮かんだ。
「……アーサーは、私と一緒に旅をしていて――」
「それは、昔から?」
「いえ、出会ったのはつい最近です」
「では彼は、旅をする前はなにをしていたのだろうか」
騎士、と言おうとしてリセロットは固まった。彼は一度も、自分を騎士だと名乗ったことはない。剣を持っていたから、リセロットが勝手にそう判断しただけだ。
「えっと、アーサーは……剣は、持っているんですけど」
「ですが、彼の筋肉は、騎士とは程遠い」
バーナードの瞳には、冷たい色が乗っていた。
「銃の構え方。彼のそれは只者ではなかった。彼は一体、誰なのだろうか」
「……っ」
リセロットの肩が震えた。
「アーサーを、連行するのですか?」
「……いや、私の憶測だけでそんなことはできない。だが仮に貴女が助けを望むなら、その声に応えよう」
真摯な態度に、リセロットはほっと息をつく。
そして首を横に振った。
「大丈夫です。アーサーは悪い人ではありません」
「それは私自身、良くわかっている。彼は善良な人間だ」
「はい」
リセロットは、自分を守ってくれたアーサーの、優しい笑みを思い返す。
「それに、アーサーよりも、私の方が強いです。ですから、どうぞご心配なく」
バーナードは目を見開いてから、ようやく顔を柔らかくさせた。
「そうだな。ではもう私も、これ以上はなにも言うことはない」
「はい」
和やかな雰囲気が満ちる。
リセロットがバーナードに一撃で相手を昏倒させられる技について聞いていると、二人を引き離すように間に誰か入ってきた。
「リセロット、俺が気を失っている間に浮気なんて酷いよ!」
「していません。アーサーの勘違いです」
「あらリセロット。バーナードと話していたの?」
「ええ、少し技を伝授してもらっていました」
シュッシュッと拳を振り下ろす。
「そ、そう……元気そうでなによりだわ」
若干引き気味のレイラがバーナードの腕に引っ付く。
一瞬虚を突かれた顔をしたバーナードは、愛おしげにレイラの肩を抱いた。
「では、そろそろ帰ろうかレイラ」
「……! もう少しリセロットと話したいわ」
「我儘はいけませんよレイラ」
リセロットが窘めると、レイラは不満気な顔をした。
「でも……」
「レイラ」
リセロットがレイラの頬に、そっとキスをした。
「「……!?」」
「リセロット!?」
男性陣が絶句し、レイラも顔を朱に染め上げリセロットの名を呼んだ。
「これは親愛の印です。どうかレイラの未来に、幸福があることを願って」
「……ありがとう」
「はい。次会う時は、お友達になりましょう」
「ええ、約束よ! 嘘ついたら許さないから!」
水色の瞳に柔らかい色を宿し、レイラもリセロットの頬にキスをした。
「大好きよ、リセロット」
「私もです」
少し放心状態のバーナードを引き連れ、レイラが馬車がある方へ歩いていく。
その様子を背後からアーサーに羽交い締めにされながらリセロットはずっと見送った。
「リセロット、酷いよ……俺にも親愛のキスをして……」
「拒否します」
すっかり日は落ちかけていて、リセロットの体はオレンジ色に染められている。
じっとレイラたちを見つめるリセロットを、チラとアーサーが見た。
緩んでいた唇を引き締めて、真剣な面持ちで声を発した。
「ねえ、リセロット。ずっと思っていたんだけど」
「はい、なんでしょう」
「今日の朝からずっと、不思議に思ってたんだ」
「早く本題をどうぞ」
リセロットの紫の瞳とアーサーの緑の瞳がかち合った。
「ずっと、怒ってる?」
最初に目線をそらしたのはリセロットだった。
空を見上げ考える。
今日リセロットは怒りを会得した。
確かに思い返してみれば、ずっとリセロットの中でなにかが燻り続けていた。
その感覚は怒りと似ていた。
「――行きましょう、アーサー。彼女の下へ」
評価等頂けると励みになります