12
結局、リセロットの押しに負けレイラは今串肉を持ち立ち尽くしていた。
「どうして食べないのです、レイラ」
「どうしてって……串をとってお皿に置いてもらわないと食べれないわ」
リセロットは串肉を食べるアーサーを指さした。
「このようにかぶりつけば良いのですよ」
「は、はしたなくないかしら! わたくし令嬢なのよ!?」
「この場で、貴女を令嬢だと思う人はいませんよ」
串肉に口をつけながらリセロットが言えば、暫し葛藤した後レイラはローブで顔を隠しながら串肉を食べた。
もぐもぐと噛みながら、ぱっと顔を明るくする。
「凄いわ。わたくしの家で食べているお肉の方が柔らかくて味付けも美味しい筈なのに、これも美味しい」
「香辛料がたっぷりまぶしてあって、美味しいですよね」
「ええ、それに、口いっぱいに食べるなんて初めて……」
最初は気の強い令嬢、というイメージだったが、いざ接してみるとどちらかというと子供のようだな、とリセロットは思った。
食べ終わり、唇に油がついていることをレイラが気にしていると、アーサーがハンカチを取り出した。
「レイラ様、俺のハンカチ使いますか?」
「あら、ありがとう。……拭いてくれる?」
「えっ」
「私が拭いて差し上げますレイラ。行きますよ」
「ちょ、痛い、痛いわ! 唇の皮が切れたらどうするのよ!」
アーサーの手からハンカチを奪い取り口を拭いてやれば、レイラが抗議の声を上げる。
それを軽くいなしながらリセロットはレイラの唇を拭いてあげた。
「――んもう!」
アーサーがリセロットのパシリとして果実水を買いに行った途端、レイラは頬を膨らませた。
「貴女のせいで、全然アーサー様と良い雰囲気にならないじゃない!」
「レイラ、私の名前はリセロットです」
「リセロット、どこか行ってちょうだい!」
素直にリセロットの名を口にするレイラを可愛いなと思いながら「それは出来ませんね」と首を横に振った。
「……そもそも、リセロットはアーサー様とどういう関係なのかしら?」
「一緒に旅をしているだけです」
「そうなの? だったらわたくしにも可能性はあるわね! ねえリセロット、アーサー様の好みのタイプを探ってきなさい。聞き出せたら、金貨を五枚あげる」
ふふん、と髪を指先でくるくるしながらレイラは、慣れた様子でリセロットに命令した。
「それは出来ませんね」
「え、なぜですの!」
「もうアーサーの好きなタイプは知っています」
「まあ!」
リセロットに早く教えるよう目で訴えるレイラを、まあまあと手で制す。
そして彼女は自身の胸に手を当てた。
「アーサーのタイプは、私です」
「…………」
「聞こえませんでしたか? アーサーのタイプは――」
「なに、リセロット? もしかして嫉妬しているのかしら」
せせら笑われた。
「アーサー様はあんなに素敵な人なのだから、わたくしのように完璧な子が釣り合うのよ!」
「嘘言ってませんのに……」
リセロットが頬を膨らませた所で、のほほんとしたアーサーが果実水を持って帰ってきた。
果実水を受け取りながら、レイラが銀髪を揺らしながらアーサーに詰め寄る。
「ねえ、リセロットがアーサー様の好きなタイプは自分だ、と言っているのだけれど、違うわよね?」
「いえ、事実です。リセロットは俺のタイプど真ん中です」
きっちりはっきりアーサーが答えた。
「んなあ……っ、このわたくしよりも、リセロットの方が魅力的だというの……!?」
「ほら、言った通りでしょう?」
「生意気よ、リセロット!」
「この世には事実という言葉があります」
「もう、もう!」
「それにしても、俺のタイプがリセロットだって、ちゃんと分かってくれているの嬉しいなあ」
少女たちの掛け合いがピタリと止まる。
「可愛いね、リセロット」
アーサーの骨張った指先がリセロットの頬を擽った。
レイラが頬を赤くしながら、ゴクリと息を呑む。
アーサーの新緑を感じさせる緑色の瞳がとろりと細められる。
「ア、ーサー……」
言葉を詰まらせたリセロットは、それだけ口にした。
「俺と結婚して、ね?」
端正な顔が、ゆっくりリセロットに近づく。
あわあわとレイラが顔を真っ赤にしながら、リセロットとアーサーの顔を交互に見比べる。
そして。二人の体どちらかが揺れれば触れ合ってしまう程になった。
「……アーサー」
「ん? なに、リセロット。――っ痛あ!?」
スパーンッと、リセロットが両手で思いっきりアーサーの頬を挟んだ。
レイラの頬から朱が引いていく。
「……リセロット、貴女ちょっとツンデレが過ぎるわよ」
「どういうことでしょう、レイラ」
「無自覚なの? 余計たちが悪いわね」
赤くなった頬を押さえるアーサーに同情的な視線を送るレイラはため息をついた。
「うう、まだヒリヒリする」
「すみませんアーサー」
「いいよ、これもリセロットからの愛だって、俺はわかっているから」
目を伏せ微笑むアーサーの可憐な姿に、リセロットの中のなにかが切れた。
「怒りを会得しました。感謝します。そしてレイラ。アーサーのお腹を一発殴る許可をください」
「出すわけないでしょ!」
落ち着きなさい、と宥められる。
渡された果実水を飲みながら怒りを鎮めていると、急にレイラがリセロットに抱きついた。
レイラは顔を伏せ、ローブをキツく握りしめている。
「レイラ……?」
「――レイラ様はまだ見つからないのか」
「目撃情報は上がってくるんですけど」
二メートル程先の距離に、人の波に埋もれながらさっきの黒い騎士服の男が歩いている。別れたのか、伴の騎士は一人だけだった。
「……違う方を探すか」
「はい」
一言二言言葉を交わしてから彼らはまた人の波の向こう側へと消えていく。
レイラの握りしめていた手が、ゆっくりと綻んだ。
リセロットはレイラに視線を戻し問いかける。
「レイラ、彼らは貴方に、害をなす者ですか?」
「……いいえ、反対よ。彼らは、わたくしを守ってくれる人たち」
伏せられた青い瞳には、諦めの色が宿っている。
「そして、黒い騎士服の彼――バーナードはわたくしの婚約者。一週間後には、わたくしたちは結婚するの」
レイラが縋り付くようにリセロットを抱きしめる。
「わたくしのお願い、聞いてリセロット。勝手なことをするのは、今日でおしまいにするわ。明日からは、ちゃんと振る舞うわ。だから今日だけは、わたくしを隠して」
その瞳に涙が滲んでいる。
リセロットは肯定も否定もせず、レイラを抱きしめ返した。
◇◇◇
今、リセロットとレイラは裏道に少し入った所で壁に沿って座り込んでいる。
アーサーはこういう話は女の子同士の方がしやすいでしょ? と言って食べ物を買いに行った。
「お父様は、わたくしのことなんてどうでもいいの。お父様が大切なのは、弟のラオリーだけだから。そしてわたくしはね、五歳年上のバーナードに嫁ぐのよ」
レイラは、手を強く握りしめている。
「あのねリセロット、お母様は体が弱くて、もうこの世にはいないの。子供も、わたくししか産めなくてね? だからわたくしが侯爵家の跡取りなんだと驕って、ただ頑張ったわ。
でも違った。お母様が死んでしまった年。お父様は孤児院から優秀な子を連れて帰ってきたの。その時の、わたくしの絶望が分かる? あんなに頑張ってきたのに、それを全部全部無駄にされて!」
リセロットはぎゅうとレイラを抱きしめながら、時折レイラの話に相槌を打つ。
「なにをすれば良いのか、分からなくなって……。そうしたら、バーナードとの婚約が決まったわ。あのね、バーナードの家とわたくしの家、とっても仲が悪いのよ。お祖父様の代より、もっともっと前かららしいわ」
レイラの目の周りは真っ赤で、今も絶えず涙が流れ続けている。
「和平の為に、婚約を結んだのよ。そして結婚したら、バーナードの家でわたくしは冷たく扱われるの。だって前挨拶に行った時、お義母様、わたくしのことを蔑んでいたもの。……誰にも愛されずに、わたくし冷たくなって死んでいくんだわ」
震える肩は痛々しくて、リセロットは眉を下げる。
「レイラ……」
「わたくしの人生って、なんだったのかしら。いつも一生懸命頑張ったの、その時できることを全部やったわ。でも誰も、わたくしを大事にはしてくれないの……!」
最後の自由だと、レイラは言った。それは嘘ではない。
けどきっと、レイラの願いの本質はそれではない。
彼女は、きっと探しに来たのが彼女の父で、汗水流しながら自分を探しに来たのなら、すぐに姿を現した筈だ。
彼女の願いは、外を自由に歩き回ることではない。
ましてや、アーサーと恋仲になることでもない。
彼女の願いは、必要としてもらうこと。そして、見つけてもらうこと。それだけだった。
「この先きっと、良いことなんか一生ないわ。ずっとずっと、冷たい氷の上で立たされ続けるのよ」
言い切ってから、レイラはリセロットに微笑みを浮かべる。
「でも今日、二人と一緒にいたのはとても楽しかったわ。嘘じゃないの、本当よ? この思い出だけで、わたくしとっても元気が出るの。だから、ね。わたくしとお友達になって、リセロット」
彼女らしくない儚い笑みに、リセロットはぐっと喉を詰まらせる。
戯れに首を縦に振ることは、簡単だ。
だけどきっと、それでは駄目だ。
「いいえ、私は今のレイラとは、お友達になれません」
レイラの表情が絶望に染まる。
いや、染まるというより取り繕えなくなったような、必死さが伝わる表情だった。
「……っ、なんで? 今のってなに? わたくし、もうなにも残っていないのっ、だからこれ以上、あげられないの。わたくしから奪わないで、わたくしから取り上げないで、わたくしを愛してよ!」
施しを望むレイラは、奴隷が道行く人に水を乞うように、酷く憐れだった。
「レイラ、私には友達がいません」
声を荒げていたレイラはピタと止まった。
「そ、そうなのね……?」
「はい。縁遠いものでした。ですが、私は既に、友達とはなにか、それを会得しています」
友情モノの本は凄かった。
どれだけのピンチでも、一人ではなく二人なら、悲劇が喜劇へと変わるのだ。
「だからこそ、わたくしは思うのです。レイラが私に求める友達の定義は、ズレています」
「…………」
レイラとリセロットが見つめ合う。
だがそこで、男の声が割って入ってきた。
「近頃お嬢様が護衛も付けずに歩き回ってるっていうのは、本当だったんだなあ」
はっと顔を上げれば、破落戸たちが大通りへの道と裏道の奥へと続く道を塞いでいた。
数は十人程で、リセロットでも全員倒せるかは分からない。
「レイラ、逃げてください」
「……リセロットも、一緒よね?」
「いえ、私は残ります」
リセロットは立ち上がり、にじり寄ってくる破落戸の一人を蹴り上げた。
壁に打つかり、ぐふっと気を失う。
「この通りですので。どうか逃げてください」
狙いがレイラであるならば逃がした方が良いし、リセロットは魔法人形だから余程のことでなければ死なない。
服を割かれれば、魔法人形としての部品たちが露呈するが、それをされなければ良いだけだ。
大通りに出る道を塞いでいる破落戸は三人。
一人目は腕を捻り、そのまま壁に押し付け昏倒させる。
そして空いた隙間に、レイラを押し込むように大通りへと出した。
「さ、早く! 走ってください!」
レイラの瞳が揺れる。
ぎゅっと目を閉じてから、レイラは真っ直ぐに走り出した。
人に埋もれて、すぐに見えなくなる。
良かった。あの様子だと、捕まる様子はないだろう。
「おい、なにやってんだよ!」
怒鳴り声を上げナイフを振りかざす破落戸をいなす為、リセロットは強く前を見据えた。
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